8月ももうすぐ終わりを迎える。
東京では19時になると、外はすっかり暗くなる。
西日本で生まれ育った私には、まだ夏であるにもかかわらずこんなに早く日が暮れることに未だに違和感がある。
現在の勤務時間では、自宅の最寄り駅に到着する時間が大体19時を過ぎた頃になる。
電車を降りて、駅の外へ出ると、街灯や店の灯りが照らす光景が目に入り、蒸し暑い空気を浴びる。
それは、今が夏の夜であることを私に感じさせる。
昨年の今頃はもう少し早い時間帯に帰宅しており、元来夜に外出することもない性格のため、同じような経験をすることはほとんどなかった。
一方で、2年前は同じことを何度も経験したためか、当時の記憶が蘇った。
あまりいい思い出ではないが…
・駅前に停車しているバス
2年前の私はこの記事で書いた日雇い生活の最中にいた。
夏の夜で真っ先に私が思い出したことは、夜勤の現場へ向かうためにバスに乗ったことである。
普段は電車が主な移動手段だが、電車でその現場へ向かうと2社の鉄道会社を使うため割高になってしまう。
一方で、運よくバスの直行便であったため、バスを利用することにした。
ちなみに、東京でバスに乗るのはこの時が初めてだった。
バス乗り場はいつも利用している電車の駅の前である。
見慣れた光景だが、いつもは帰ってくる時間帯に、利用したことのない交通手段で、未知の場所へ向かうことを考えると、とても不思議な気持ちだった。
バスの中では、東京へ出てくる時のことを思い出した。
私が上京の時に利用していたのは、飛行機でも、新幹線でもなく夜行バスだった。
久しぶりに、それも夜に乗るバスということで、思わずその時のことが頭に過った。
「上京する時は期待に胸を膨らませていたが、今の自分は一体何をやっているのだろう…」
そんな何とも言えない複雑な気分だった。
仕事の集合場所はバス停から徒歩5分の場所にある地下鉄の駅前である。
待ち合わせの30分前に到着した私は周囲を歩き回ることにした。
思い返すと、東京へ出てきてからは夜に知らない場所へ出かけるという経験は初めてだった。
その時はすでに上京後1年が経過していたが、知らない世界へ足を踏み込んでいる気がした。
私は思わず、この記事で少し触れた、留学先のフィリピンで仲間たちと夜のコスプレイベントへ出かけた時のことを思い出した。
私にとって、夜に知らない場所を出歩くことはそれくらい縁遠いことであり、新鮮だった。
それだけ、日雇いで夜勤の仕事を経験した時のことははっきりと覚えている。
もっとも、今回は仕事だし、仲間もいないから全然楽しい思い出ではなかったが…
その日、駅前でバスを待っていた時間が、今まさに帰宅時に、駅へ到着する時間なのである。
毎日、仕事帰りに駅を出て、外の空気を浴び、出発前のバスが目に入ると、その日のことを思い出す。
・暗闇の中の家路
私が日雇い生活を送っていた時に就いた仕事はほとんどが日勤だったが、それでも夜の記憶が強く残っている。
多くの現場は9時に仕事が始まっていた。
それはごく一般的の始業時刻なのだが、日雇いの仕事はほとんどが初めてやって来る人であるため、2時間おきに休憩を取ることが多い。
それは有難いことだが、その分、終了時刻が繰り下がることも珍しくない。
また、突発的な残業が多かったり、そもそも、勤務場所が遠隔地なため、通勤時間が長いことが珍しくない。
参考までに、帰り道に撮影した写真をいくつか載せておく。
これらの写真はすべて帰路の電車に乗る前に撮影したものである。
何れも、そこから自宅の最寄り駅までは電車で1時間ほどかかるため、帰宅する時は夏場でもすっかり周りが暗くなっていた。
そして、疲れながらも、翌日の仕事の集合場所や電車の時間を確認すると、あっという間に1日が終わる。
日雇いの仕事では1日8時間の労働がとてつもなく長く感じた。
これまではフルタイムで働いても、帰宅後に読書や英語の勉強をすることなど容易だった。
そんなこともできない人間は甘えているとさえ思っていた。
だが、同じフルタイムの仕事であっても、日雇い生活を送っていた時は仕事だけで1日が終わった。
メールのチェックすらしんどい。
この時、私は初めて仕事で手一杯になる生活を体験した。
今の仕事でも、勤務条件に満足しているわけではなく、日雇い生活の時と同じく、自宅の最寄り駅に到着する時間帯はすっかり日が沈んでいるが、それでも当時に比べれば遥かにマシである。
日雇いサバイバーであるクボ(仮名)の言葉を借りると、「毎日同じ場所で、馴染みのメンバーと共に働き、安定した生活を送ることができる有難さ」を実感している。
・戻りたくはないが
私が中学生の時に担任の教師からこんなことを言われた。
「今の幸せは2年経った頃に実感する」
私の経験を振り返っても、その考えは何となく共感できる。(詳しい話はこちら)
しかし、日雇い生活からちょうど2年が経過した現在、当時の生活を思い出すことはあっても、「あの頃はよかった…」と思うことは一切ない。
元同居人から言われていた通り、つらい思いをした直後にネガティブな経験を記録に留めておいたことが功を奏したのかもしれない。
あんな生活は二度と御免である。
だが、同時に「今では同じ経験をしたくても、できないだろう」とも思っている。
先日、当時利用していた派遣会社のサイトで、当時と同じ条件で求人を検索してみたところと、仕事の数が1/5ほどに減少していた。
疑う余地なく、コロナの影響だろう。
この記事で説明した通り、多くの日雇いの仕事は中小企業の末端労働である。
景気が悪くなれば、真っ先に切り捨てられる。
少なくとも、私が日雇いで働かざるを得なかった理由はちゃんとした(?)バイトにすら採用されなかったからである。
日雇いの仕事はバイトにすら就けない中で、最後のセーフティーネットだった。
今はその最後の砦が完全に崩壊している。
日雇いの現場で共に働いた人と親しくなったり、連絡先を交換したことはないが、やはり、共に働いた者としては何某かの感情は芽生えていた。
駆け出しのボクサー、見習いのカメラマン、再就職を目指していた中年男性、etc…
果たして、彼らは無事に生きているのだろうか…
それがとても気がかりである。