東京では一度別れた人と二度と会える気がしない

前回の記事の冒頭で、10月は下半期が始まる季節という話をした。

私は10月以降も同じ仕事を続けているが、異動や退職によって、9月末で職場を去る同僚も数名いた。

その中の一人に同じ部署だったものの、一度も口を利いたことがない人物がいた。

彼とは全く交流などなかったものの、帰り際に一応挨拶だけはすることにした。

すると、意外にも彼は私のことを認識していたらしく、仲間内で私の仕事ぶりを評価してくれていたことを伝えてくれた。

それはとても有難い話だったのだが、別れ際に彼から言われたことで、どうしても気になることがある。

元同僚:「それでは、またどこかでお会いしましょう

この言葉自体は、「お世話になりました」と同じくらい別れの挨拶としては自然なものである。

退職しても、二度と会えなくなるわけではない。

そう考えると、この言葉の方が「さようなら」よりも温かさを感じる。

だが、私は東京に出てきて以来、街中で元同僚とバッタリ再会するという経験は一度もしたことがない。

そのため、職場での別れは本当に今生の別れを意味するような気がする。

文字通り、「金の切れ目が縁の切れ目」ということである。

・地元では元同僚と再会することが珍しくなかった

他方、地元に住んでいた時は街中で偶然元同僚と再会することが珍しくなかった。

今でも覚えているのは、1年半程働いたバイト先を退職した日に、私のために会社で送別会を開いてくれたのだが、その翌日、たまたま歯科医院を訪れた時に、前日まで同僚だった人と再会したことである。

昨日は送別会で別れを惜しむ言葉を貰ったばかりだったのに、いきなりの再会でとても驚いた。

この時に限らず、病院で元同僚や元同級生と偶然再会することは何度もあった。

また、私の地元は店の数が多くないため、買い物中にバッタリと再会することも珍しくなかった。

その他にも、地元の仕事は主に販売の仕事が多いためか、客と店員という形で出会うことも少なくなかった。

一度だけではあったが、ハローワークで再会したこともあった。

しかも、その人とは同じ職場で働いていたわけではなく、彼女は私が小売業をしていた時の常連さんで、逆に私は彼女が働いていたレストランでよく食事をしていたという間柄であった。

私がハローワークで彼女と再会したのは、仕事を辞めた半年後だったため、まさか、あんな場所で再会するとは全く予想していなかった。

このように、地元に住んでいた時は、たとえ職場を去っても、予期せぬ場所で偶然再会することが珍しくなかったのである。

・狭い人間関係の短所

こんな話をすると「田舎はいいなあ、温かいなあ」と思われるかもしれないが、このような狭い世界の人間関係には短所もある。

たとえば、もしも、職場で人間関係が上手くいかずに退職したら、もしくはバックレたら、その過去を知っている人間と、どこかで再会する恐れもあるということ。

この記事で、元ルームメートがいじめにあった職場への復讐を果たした話を紹介した。

彼からその話を聞いた時に、一瞬「自分もボスの一派に同じことをやればよかった!!」と思ったが、すぐに「やっぱり、私には無理だな…」と悟った。

その理由は、たとえ彼女たちを成敗しても、その後、再会してしまえば、逆恨みによる報復をされる可能性があるからである。

前段で触れた通り、私の地元の主な仕事は販売である。

もしも、職場を去った後で、販売の仕事に就き、その職場を加害者一派に知られたら、報復として、しつこく勤務先の店にイチャモンをつけてくるかもしれない。

いわゆる、「モンスタークレーマー」である。

奴らが身寄りのない一人暮らしであれば、事情を店に相談して当事者を出入り禁止にすれば事足りるが、そこは田舎社会、怨念を晴らすためなら、一族総出で復讐に加担する恐れもある。

また、たとえ私自身が人目のつかない職に就いたとしても、私の家族が報復の対象になる可能性もある。

実際に、私の身内は、地元ではそれなりに名の通った店で販売の仕事をしていた。

そこが彼らに魔の手が及ばないとも限らない。

このような人間関係を考慮すると、私の置かれた状況では、彼のように「加害者にはきちんとした裁きを!!」とは動けなかった。

・気付かないうちに芽生えていた愛着

一方で、今住んでいる東京の都心部では、前の職場の嫌な奴と再会する危険性は低い。

さすがに同じ町内に住んでいるのであれば話は別かもしれないが、電車で2駅も離れた場所、それも駅前を避けたら、たとえ販売の仕事であっても、再会することを恐れる必要はない。

このような匿名性が高い社会は、人目を気にする必要がない快適さをもたらす。

私も東京へ出てくる前はそのような快適な生活に憧れていた。

しかし、その快適さは「職場を去ると、その日までの同僚とは二度と会えなくなる」というドライな人間関係と表裏一体である。

私は東京へ出てきてからも、いくつもの仕事を転々とした。

その内のいくつかは自己都合で退職した。

退職の理由が、いい転職先を見つけたからにせよ、仕事が不満だからにせよ、「今の職場に居続けるメリットがない」と判断して辞めるわけだから、職場を去ることに後悔などあるはずがない。

だが、いざ退職へのカウントダウンが始まると、こんな感情に襲われるのである。

「もう、この人たちには会えない…」

そう思うと、今までの退屈で当たり前だった日常がとても名残惜しくなった。

自分から「辞める」と言ったのに、なんというアンビバレントな感情だろうか…

その対象は職場のメンバーだけではない。

取引先や常連客、会社の近くにある店の店員、通勤中の電車でいつもの見かける名前も知らない人たち、そんな当たり前だった人とも、今後会うことはなくなる。

冷静に考えると、「会えなくなる子が、そんなに悲しくなる人たちなのか?」と思うが、それでも気付かない内に、彼らに対しても「愛着」が生まれていた。

以前、退職数日前が繁忙期だったため、上司から毎日1時間の残業を頼まれたことがあった。

私は普段、その職場を定時ピッタリで退社していたため、いつもであれば「ああ、嫌だ!!」と憤慨していただろう。

しかし、その時は「この人たちと過ごすのもあと数日だけだから、少しでも多くの時間を共に過ごしたい」という感情の方が強く、上司の残業依頼がとても有難かった。

それだけ、彼らへの愛着が生まれていたのである。

幸い、その職場は小売業でだったため、客として訪れることができたことや、退職後すぐに大がかりな売り場の改築がなされたため、「改築後の様子を見に来る」ことを口実に、何度か彼らと再会することができた。

その後に就いた職場では、販売のようにこちらから会いに行くことができない仕事だったため、退職後に元同僚と再会したことは一度もない。

あの時、共に働いていた彼らは今何をやっているのだろうか?

何かが始まるであろうこの季節に、そんな過去の人間関係へ思いを馳せているのであった。

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