就職から逃げても、「就職したくない」という気持ちから逃げたらダメだ!!

2019年も残り約1ヶ月となった。

来春に卒業を迎える人は進路の問題に直面していることだろう。

って、今頃になっても進路で悩んでいる人の大半は希望する道へ進めるか否かという不安よりも

「自分が本当にやりたいことは何だろう?」

という迷いがある人たちだろう。

今日はそんな人たちへ向けた話をしたい。

・就職したくないから進学するという選択

「特に勉強したいことがあるわけじゃないけど、すぐに働くのも嫌だから進学しよう」

高校卒業後はこのような気持ちで、進学した人も少なくないだろう。

個人的な意見だが、「やりたいことがない(分からない)から、大学へ進学しよう」という考えは理解できる。

学歴は汎用性があるし、大学で様々なものに触れることで、やりたいことが見つかる可能性もある。(と、大学へ通ったことのない私が言ったところで何の説得力もないのだが…)

しかし、「特にやりたいことはないけど、とりあえず専門学校へ進学しよう」という考えは全く理解できない。

言い方は悪いが、専門学校の場合は大学と違って、努力して入学試験に合格しなければならないということが少ない。(最近はそうではない大学も珍しくないが…)

そのため、「やりたいことはないけれど、入学するための努力もしたくない」という人にとっては絶好の逃げ道となるのだろう。

私の同僚にもそのような人がいた。

彼らがどんな分野で学んだについて言及することは避けるが、

「どうして、この仕事のように学校で学んだこととは無縁の仕事をしているのですか?」

と聞くと、彼らはこんなことを言っていた。

同僚A:「高校を出て、すぐに就職するのが嫌だったけど、『フリーターになるのはよくない』と思って、なんとな~く自分が興味のある分野に進んでみたけど、思ったよりも大変だった。何度も辞めたいと思ったけど一応卒業はした。だけど、やっぱりこの世界で働くのは自分には合わないと思って、全然別の仕事に就いた」

同僚B:「高校生の時に成績が悪かったから、もう進学はどうでもいいと思ったけど、やっぱり高卒で働くのは嫌だったから、専門学校に進学したけど、その業界で働くのはあまり面白くなかった…」

このようなことを聞いた私は、思わず彼らを張り倒したくなった。

高額な学費を全額親が払ったのなら親不孝甚だしいし、奨学金で学費を賄ったのなら、こんないい加減な気持ちで進学したやる気のない学生には、将来返済に苦しんだとしても猶予措置も免除措置も適用すべきではない。(怒)

とはいうものの、彼らのように「就職したくないから、ひとまずは就職せずに済む理由が欲しい」という考えは理解できる。

なぜなら、かつての私も同じだったから。

・就職が怖い

他の人も同じ経験があるかもしれないが、私の学生時代は、親や教師が「あなたが本当にやりたいことは何なの?」と言って、仕事での自己実現を迫ってきた。

もちろん、本当にやりたい仕事(当たり前だが、生計を立てることが可能な収入を得ることが条件である)があればいいのだろうが、少なくとも当時の私にはそれを見つけることができなかった。

しかし、夢が無かろうが生活のためには働かなければならない。

「仕事なんて飯の種であり、毎日決まった時間に会社へ行って、上司から言われたことだけをやればいい。だから、できるだけ楽なものを選ぼう!!」

今でこそ、完全に開き直ってこんなことを宣言しているが、当時の私はここまで吹っ切れた態度を取ることはできなかった。

なぜか?

それは、この社会で「正社員」として働くということは単に生活の糧を得る営みとは違う気がしたからである。

先ほどのように親や教師は何度も「仕事での自己実現」を煽る。

そして、正社員は長時間労働、勤務地や勤務時間の一方的な決定のような高い拘束性があり、新卒一括採用のように労働市場が閉鎖的で転職の機会が限られる。

そのため、一度就職したら、「そこに自分のすべてを費やさなくてはならない」というプレッシャーがある。

このように、就職とは単に仕事に就くことではなく、企業との婚姻に近く、まるで「就職=人生の決定」となる気がした。

そこまで、情熱を持って取り組む仕事を見つけたわけではなかった私にとっては、やりたくもない仕事に自分の人生を埋没させたくはなかったし、何のとりえもない自分がそこで通用するわけがないという不安もあった。

もっと率直に言えば、「就職が怖い」と思っていた。

ちなみに、この記事にも書いた通り、当時の私は友人たちが就職した直後であり、彼らとなかなか会う機会がなく孤独を感じていた。

加えて、少々ひねくれた意見だが、その元凶は従業員を徹底的に拘束する日本型雇用にあるような気がして、どことなくその働き方を毛嫌いしていた。

要するに、当時の私は「サラリーマンとして働きたくなかった」のである。

かといって、やりたいことがあるわけでもないのに高額な学費のかかる大学や専門学校へ進学することは、「これ以上、親に迷惑をかけたくない」という自分の出来の悪さをうっすらと自覚していた人間としての最後のプライドが許さなかった。

このような経緯で私はフリーターを続けていた。

のだが、その時は家でもバイト先でも頻繁に「早く正社員になれ!!」と言われ続けた。

当時はリーマンショックをきっかけとした「派遣切り」騒動から日が経っておらず、今のように「ブラック企業」という言葉も広く知れ渡っていなかったため、「どこでもいいから正社員として就職したら一安心」という雰囲気一辺倒だった。

そのため、私は

「実は…正社員という形で働きたくないんだ…」

と言い出すことができなかった。

そんな状況に耐えられなかった私は、アルバイトをしながらNPO活動に参加したり、資格の取得を目指して通信教育の講座を受けたりして、何とか就職しない理由を正当化していた。

あの時、正社員として就職して仕事に没頭する以外の選択肢を示してくれる人がいたら、私も時間とお金を無駄にすることはなかったのかもしれない。

ちなみに、先ほどの記事で登場した自動車学校に通っていた時も、免許を取った後は正社員として就職する道以外はないと悟り、その日のことをまるで戦争中の召集令状が届く日のように恐れていた。

実家暮らしで親も働いていたため、生活に困窮することはなかったが、毎日夕方に出かける犬の散歩の時間以外は常に怯えていた。

そして、そのXデーが来る前に20万程度しかなかった全貯金を持って、沖縄へ逃亡することを考えていた。

沖縄であれば、正社員でなくても、人間扱いしてもらえる気がした。

今となっては笑い話だが、当時は真剣にそう考えていた。

私も「やりたいことがないからとりあえず進学」と考えている人と同じだった。

ただ、私はメインがフリーターだったので、大した出費はしていない。

就職から逃避するために費やした金額はせいぜい、5年間で50万円程度だった。(運転免許のように実際に役に立つ資格の取得費用は除く)

だから、私の場合はいつでも引き返したり、進路を変えたりすることができたが、高額の学費を払っている人は同じようにはいかないと思う。

・「何でいいから進学しよう」の罠

「何の目的もなくフリーターをやっていたらダメだ!!」

「何もしないより、何でもいいから学校で学んだ方が将来の選択肢は広がる!!」

教育系の信者はそう宣って、何でもいいからとりあえず進学させようとするが、逆に教育が足かせとなるケースについてはあまり(というよりも全然)指摘されない。

たとえば、私がシェアハウスに住んでいた時の同居人は専門学校で身につけた技能を生かした仕事に就いていたが、ブラック企業とか関係なしに、その業界では生計を立てるだけの収入を得ることは難しく、彼も月収は17万円程度(手取りなのか、額面なのかは不明)だった。

その給料では東京で一人暮らしなど出来ず、シェアハウス住まいで、学費の返済もあるために、週1日はアルバイトもしなければならなかった。

ちなみに、彼は「ずっと新卒採用で入社した会社で働いている」と言っていた。

もし、彼が新卒で就職した会社を数ヶ月で退職して、このような貧困生活に陥ったのなら自業自得と言えなくもない。

しかし、彼は学校で専門的な知識と技能を学んで、その専門性を生かすことができる職場に就職したにもかかわらず、このような苦しい生活を強いられていた。

これを自己責任と言えるだろうか?

他方、何の専門性を学んだわけでもない私は派遣社員としてデパートの販売員の仕事をしており、毎月の手取りは20万程はあった。

もちろん、私は彼のように負債など抱えていない。

決して裕福な暮らしができる金額を稼いでいるわけではないが、彼に比べたら恵まれていると思う。

あれ?? 何できちんと教育を受けた人の方が苦しい生活を強いられているのかな?

「教育は人を貧困から救う!!」と信じて疑わない教育系の方は、無知な私にぜひともこの逆転現象を説明していだけますでしょうか?

・しがらみが奪う多様な働き方

今の私は事務の仕事をしており、収入も先ほどのデパートの販売の仕事よりも増えた。

私は週5日勤務をしているが、同じ職場で働く職員の人たちには

「週5日勤務がきついから週4日で働きたい」

「週5日勤務でもいいけど、内2日は半日勤務にしてほしい」

と労働条件に注文を付けて働いている人もたくさんいる。

彼ら(彼女ら)の給料はおそらく20万前後だと思われ、どのように生計を立てているのかはよく分からない。

しかし、私の元同居人で専門学校を卒業後にフルタイムで働いても月給17万の仕事をしていた彼のように、生活費+学費の返済が必要な人がこのような働き方ができるのだろうか?

もちろん、専門性の高い仕事は時給が高いため、専門学校で知識と技術を身に着けた後に短時間で働くということは選択肢の一つとして考えてもいい。

ただし、それは最初から「普通に働くことが嫌だ」ということを自覚して、周到な計算を立てて行うべきことであり、「好きなことを仕事にしよう」とか「就職するのが嫌だから何でもいいから、入れる所に進学しよう」というような甘い動機では絶対に辿り着くことができないと思う。

「良い教育を受けたら、それだけたくさんのお金を稼ぐことができるチャンスがある」

この言葉は事実だろうが、何もせずにフリーターのままでいてはいけないと思って、やる気もないのに高額な借金をして進学したことで、その返済に迫られた結果、本来可能だった多様で自由な働き方を奪われてしまった人がどれほどいるのだろうか…

・不都合な「自己責任論」

私は彼らが「就職したくない!!」という理由だけで、何の目的もなく莫大な金を費やして進学するのは、大人から刷り込まれる「自己責任」という言葉の非対称性にあると考えている。

おそらく今でも同じようなものだろうが、私は高校生の時に進路指導の教員からこんなことを聞かされた。

高校教師:「高校卒業時に就職も進学もせずにフリーターになったら、そこから(彼らの考える)普通の生き方へ戻ることは困難であり、それは本人の選択が招いた結果なのだから、社会は彼らを一切救済しない」

このように、フリーターになることの自己責任はこれでもかと強調した。

しかし何の目的も無く、返せるあてもない莫大な借金を背負って進学した結果、卒業後に返済が滞った場合も同様に自己責任が問われることはまるで指摘しなかった。

なぜ、彼らはフリーターになって貧困に直面することは「自己責任」で、奨学金を返済できずに人生が行き詰まる人は「自己責任ではない」と考えるのだろうか?

「奨学金を借りてでも絶対に進学しなよ!!」

と言って未成年者をそそのかす(バカで悪質な)大人たちは、この社会が奨学金を返せずに苦しんでいる人に対して

「うんうん。君は家が貧しくても、借金を恐れず果敢に進学したんだね」

「君のような勤勉な子は社会の宝なのだから、たとえ学費の返済ができなくても君は僕たち大人が救済するよ」

と笑顔で借金を肩代わりしてくれるとでも思っているのだろうか?

最近、諸外国に比べてバカ高い日本の学費やいろいろと歪みがある奨学金制度が問題となって、教育予算を増やそうという動きがある。

それ自体は良いことなのかもしれないが、あれだけ、無暗やたらに奨学金を借りて進学することを勧めていた教育系の人間が、今頃になって

「日本の奨学金制度は悪質だ!!」

「政府はもっと教育に投資しろ!!」

と財政支援の重要性を唱えて「僕たちは学生の味方です!!」というような態度でいることが私にはどうも納得できない。

そのおぞましい奨学金を何の疑いも無く勧めて、未成年者を借金漬けにした彼らは弁護人などではなく、れっきとした共犯者である。

あんたは糾弾する側ではなく、される側の人間だろうが!?

・正社員にならなくたっていいじゃねえか!!

学校を卒業した後の進路に悩んでいる人や、すでに卒業して「これからどうすればいいのか…」と悩んでいる人はたくさんいると思う。

少し前に流行った「自分探し」という言葉のように「本当に自分がやりたいことが分からない。だから、いろいろな世界に触れたい!!」というエネルギッシュな人は高い費用を払ってでも自分探しの冒険へ出かけたらいいと思う。

ただし、「今はまだ、就職したくない」という気持ちで就職したくないのなら、下手に高い学費を払ってどこでもいいから進学するのではなく、自分の気持ちに正直になるべきである。

「就職したくない」と思うのなら、堂々とフリーターをやっていればいい。

かつての私もそうだったように、「正社員として働きたくない」という考えは別におかしくないはない。

当時の自分にも同じことを言いたい。

仕事で輝かなくてもいい。

他人から「立派に働いている」と思われなくてもいい。

職場が居場所じゃなくてもいい。

正社員になっても、一生懸命働かなくたっていい。

なんなら、正社員にならなくたっていいじゃねえか!!

それでも、生きている人はたくさんいる。

就職から逃げるために進学しても、数年後にはまた同じ悩みに直面するし、下手したら数百万円の借金を抱える可能性もある。

そんなことになれば将来は取り返しのつかないことになってしまう恐れもある。

それなら、「できない自分」を受け入れ、正々堂々と「自分はモーレツ社員のような型で働きたくない!!」と宣言し、違う生き方を探そう。

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