前回は若い時の私が「大の大人が毎週日曜日は必ず休めるなどということは架空の世界の話である」と思い込んでいた時の話をした。
今日はそんな私が日曜日に休むことが当たり前になっていた人たちを目の当たりにして感じたことについて書こうと思う。
・日曜日の補講と食事会
前回の記事で書いた通り、私が初めて平日勤務の職場で働いたのは短期で工場の派遣の仕事に就いた時だった。
しかし、それは繁忙期の仕事だったため、土日も出勤させられたことがあった。
そのため、当時は「これが土日休みという働き方なのか!!」と新しい世界を知るような感動などは特に生まれなかった。
私がそれを知ったのはその仕事を終えた数ヶ月後のことである。
その時(2014年)の私は毎週月曜日の午後7時から、ある習い事に通っていた。
ある日、その習い事の講師(外国人)が「風邪を引いて今日は日曜日だと勘違いしていた」と言って寝バックレをかましたことがあった。
それ自体は許容範囲だったが、次の授業で、彼女はこんなことを言った。
無邪気な顔でそんなことを発表する彼女を見た私は唖然とした。
当時の私は先の派遣の仕事を終えてから数ヶ月間失業中だったため、問題なく参加できるが、急に「来週の日曜の朝10時から授業をする」なんて言われても、仕事をしている人は無理な話である。
学生だった彼女が日本の労働現場に疎いことは仕方ないにせよ、
「この国の労働者は日曜日に休めると思うな!! 日本人をなめんなよ!!」
と叫びたくなった。(もちろん、これは外国人に誇れることではないことは重々承知している)
補講当日、私は授業の参加者はいつもより少ないと予想していた。
だが、私の予想に反して、その日の参加者は普段よりも多かった。
当初はやる気があったけど、仕事終わりに授業に参加するのはしんどいと思って、次第に遠のいていたが、「日曜日は休みだから参加できる」と思って、その日の授業には顔を出した人もいた。
授業を終えた私たちは、近所にある中華料理店で食事会を開き、世間話をしたり、酒を飲んだりして盛り上がった。
人によっては珍しくない日曜日の過ごし方なのかもしれないが、それは私にとっては衝撃的な光景だった。
それまでの私は、就職後の社会人が仕事や家族以外の人間関係でこのような充実した休日を過ごすことができるなどと想像もしていなかった。
「この国でもこんな生き方ができたのか!?」
本気でそのように驚いた。
しかし、その時の私の中で芽生えた感情は、新しい世界を見つけた喜びではなく、「自分はこの人たちとは住んでいる世界が違う」という疎外感と屈辱に満ちた劣等感だった。
・某海外都市に見る「お金を使う側」と「使われる側」の格差
私がそのように思った理由の1つは、1ヶ月前の授業で受講仲間だった40代後半の男性からアジアの某大都市に赴任していた時の話を聞かされたからである。
私はその都市に対して「各国の大企業が支社を置いており、交通費や外食費が安くて、(日本ほどではないにせよ)お店も夜遅くまで開いているため生活しやすい場所」という認識を持っていた。
だが、彼によると、そのイメージは事実なのだが、それは決して「豊かな社会」という言葉で表現できるものではないとのことである。
そこに拠点を置いている外国資本の会社で働く人は高給を得ているが、それはあくまでも外国人の話であって、地元の人々は便利な暮らしを提供するために劣悪な労働環境で働くことを強いられている。
だからこそ、交通費や外食費のような地元の人が提供しているサービスは値段を安く抑えることができるわけだ。
その上、その地域は高給取りの外国人が大勢暮らすため、家賃は高騰し、ただでさえ貧しい現地の人は高い家賃で劣悪な住居に住むことを強いられ、年寄りから子どもまで家族総出で働かなければ生活費が回らなくなる。
一概に「便利で快適な都市(社会)で暮らす」と言っても、それはお金を使う側なのか、それともお金を使われる側なのかによって日々の生活は全く異なるのだ。
むしろ、消費者として過ごしやすい世界であればあるほど、労働者の強いられる負担は大きなものとなる。
それを聞いた私は「どうしても日曜日は働きたくない!!」と考えている人の気持ちが少しだけ分かった気がした。
日曜日に仕事をするということは「みんなが休みの日に自分だけ働かなくてはならないから、一緒に遊ぶ予定が組めない!!」という仲間からの疎外だけではなく、日曜日に休むことが前提の社会で、一般の(という言い方が適切なのかは分からないが)人が休みを満喫する中、自分は彼らへの労働を提供する側に回らなくてはならないことを意味する。
それは、人によっては「人に使われる側になる」というような耐え難い身分秩序のようにさえ感じてしまうのではないだろうか。
特にこの国のように消費者としてのサービスが充実している社会では、その格差も大きくなり、(日曜日に)お金を使う側に立ちたいと考える。
そのため、毎週日曜日に休まなければならない事情がない人でも、「日曜日に仕事をしない」というステータス自体に価値を見出すのだろう。
・頑なに守られる「フツー」と蹂躙される「フツー」
「日曜日はどうしても休みたい!!」と考えている人についての一般論は以上になるが、ここから先は、例の食事会がその後の私にどんな影響を与えたのかについて話させて頂きたい。
日曜日にも仕事をすることが当たり前だった私は、受講仲間が日曜日の休日を大いに楽しんでいる様子を見て、「この人たちとは生きる世界が違う」と実感したのだが、それだけなら、疎外感や劣等感といった負の感情に襲われることはなかったのかもしれない。
前回の記事に書いた通り、私は前年まで日曜日に仕事をする職場で働いていたものの、英検の試験日のように前もって予定を知らせれば、日曜日でも休みを取ることはできた。
そのため、そのような職場で働いていた時に「楽しい日曜日の過ごし方」を知れば、今回のケースのように急な集まりの場合は無理にせよ、それなりに仕事と日曜日の楽しみを両立することは可能だったのかもしれない。
しかし、当時の私はまさにこの記事に書いた最中であり、「アルバイト=簡単な仕事」というようなそれまでの常識が通用しないことに直面していた。
その例として紹介したいのが販売の仕事の面接に行った時のこんなやり取りである。
担当者:「ウチはギリギリの人数で職場を回しているから土日祝日の勤務は必須です。それは可能ですか?」
早川:「『土日は毎週休まなければならない』ということはありませんが、資格の試験などでお休みを頂きたい日もあると思うので、『絶対に土日は勤務が可能』とは確約できません」
担当者:「そうですか。それでは、今回はご縁がなかったということで」
というように、アルバイトでも正社員並みに一方的な勤務日の拘束を要求する職場も多々あった。
また、日曜日の休みとは関係ないが、午後7時からの授業に参加するために、「毎週月曜日は定時で帰らせてほしい」と面接で伝えたら、「それでは急な残業に対応できないからウチで働くことは難しいですね」と即不採用を言い渡されたこともある。(ちなみにこの仕事は正社員ではなく派遣の仕事である)
こんな応募先ばかりで、何ヶ月もの間、職に就けない状態だった。
その結果、もはやこの社会は以前のような「フツー」という考えは通用しないと思っていた。
そんな苦悩を抱えた中で、目にしたのが例の食事会だった。
その席で、酒に酔った参加者の一人がこんな言葉を口にした。
この発言に対して、賛同した人も少なからずいた。
冗談だと分かっていたが、それを聞いた瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。
当時の私はアルバイトであっても日曜日に休むことを理由に採用を拒否されていた。
それまでは低い給料とトレードオフで保証されていた「自由な働き方」という権利も奪われ、追い詰められていた。
だが、その一方で、この社会は相変わらず「日曜日」に休むことを前提としている。
それは「日曜日は休暇として楽しく過ごす」というお金を使う側(強者)の権利は頑なに守ろうとしているように思えた。
むしろ、彼ら強者の楽しみを提供するために、日曜日に働かざるを得ない弱者の待遇がさらに悪化している気がした。
某海外都市の話を聞かせてくれた男性は、たとえ自分が恵まれた暮らしを享受できても、その暮らしを支えるために苦しい思いをしている現地の人のことを思うと「僕はこの社会で暮らすことができて幸せ!!」とは堂々と言えないと私に言った。
今まさに私の目の前で展開されている光景は彼の発言をそのまま具現化しているように思えた。
自分は彼らへの楽しみを提供するために搾取され続ける。
「私はこの人たちとは違う」
この言葉を使ったのは、単に「彼らのように日曜日の休暇を楽しむことができない」からではなく、彼らの娯楽のために、生活する上で必要な最低限の権利すら保護されず、社会から見向きもされない虫けらとして扱われていることを実感したからである。(もっとも、その時はサービスを提供する側にさえ入ることを許されなかったが)
それまでの就職活動で積み重なってきた社会への不信感は、この一件が決定打となり、憎しみと嫌悪感へと変わった。
その時、私はこの社会の「フツー」を徹底的に拒絶する外道として生きることを誓ったのであった。
・たとえ日曜日が休みでも無邪気に楽しみことはできない
この出来事が起こったのは2014年の10月で、あの時から5年以上が経過した。
振り返ってみると、あの頃がどん底だった気がする。
それ以降は、日曜日に勤務する仕事であっても、会社の都合で絶対に日曜日は休めないという職場は一つもなかった。
そして、紆余曲折あって、今は東京で土日休みの仕事に就いている。
時給は当時の2倍になった。
今の私は「日曜日にお金を使われる側」ではなく「使う側」にいるのかもしれない。
しかし、今でも、あの時の憎しみや、受講仲間が教えてくれた某海外都市の話を忘れることはない。
たとえ、今の自分が地獄のような環境で働くことはなくても、働かされている人のことを思うと、自分だけのうのうと「日曜日は思いっきり(消費をして)遊ぶぞ!!」という気にはなれないし、いつ自分があの時と同じ立場に転落するかという不安が絶えず付きまとう。
あの時から自分の立ち位置は変わっても、私の魂の在り所は「外道」のままである。
その結果、他人(特に同僚)から「休みの日は何をしているの?」、「楽しみは何なの?」と聞かれて、何も答えることができず、世間話一つできない冷たい人間になってしまっているのだが、今さら、かつてのように無邪気な顔ではしゃぎながら日曜日の娯楽を謳歌できるとも思っていない。
そういった意味では、日曜日が休みであること自体に妙な居心地の悪さを感じて、何もする気が起きない最近の私である。