最近は段々と冷えてきて、冬になったことを感じる日が増えた。
今は12月であり、気付けばもう年末である。
・11年前の年末の思い出
派遣社員として働いている私が「年末」と聞いて思い出すのが、今から11年前の2008年にリーマンショックを契機として起こった「派遣切り」や、行き場を失った彼らを支援するために設けられた「年越し派遣村」である。
当時はまだ学生で、アルバイトの経験しかなかった私だったが、とても他人事とは思えず、連日報道される派遣切りのニュースに見入っていた。
そして、「他人事ではない」という認識は今現在派遣社員をしているということで現実のものになった。
いや、自慢できることではないが…
当時は今のように「ブラック企業」という言葉は流行していなかった。
そのため、労働者側の立場で発言することは企業に対して
「雇用の責任を持て!!」
「派遣など使わずに正社員を雇え!!」
と言って、とにかく「正社員にすること」を要求していた。
それに対して、経営側の代弁者は
「国際競争力が~」
「自己責任が~」
といって漠然とした主張ばかりで、具体的な反論ができなかったように見えた。
主にこの対立軸で議論がされていたが、当時の私が感じたのは両側とも「正社員=正しい働き方」と認識しており、要はその分配を独占するか、奪い取る(取り返す)かの違いに思えた。
もちろん、労働者側にとっては従来型の正社員も「勤務地や職種に関する雇用主からの一方的な要求も受け入れなければならない」という不都合があるのだが、正規雇用という存在が希少になりつつある中では、それすらも懐かしいものとして扱われていたような気がした。
・「やりがい」を捨て「安定」を求めた男たち
そんな時にあるドキュメンタリー番組を見た。
テーマは「これまでの人生とは違った道を歩む正社員の男たち」だった。
一人目は長距離トラックのドライバーとして働くAさん(仮名)。
彼は大学を優秀な成績で卒業して、大学院まで進学した経歴の持ち主だった。
しかし、博士号取得後は研究職につけたものの、それは不安定な契約社員だった。
いわゆる「ポスドク問題」というやつだろうか。
その仕事は彼にとってやりがいのある仕事だったことがせめてもの救いだが、毎月の収入は辛うじて一人暮らしができる程度であり、期限の定めがある契約のため、契約更新前はいつも契約打ち切りに怯えていた。
そんな折、長年付き合っていた彼女から結婚を申し込まれる。
彼はこれを機にトラックドライバーへ転職した。
これまで学んだこととは無縁の世界で、労働時間も不規則な生活だったが、それでも給料は上がり、家族を養うだけの収入は確保できた。
会社も彼が大型車の免許を取得することを支援してくれた。
こうして、彼は今までとは全く別の分野で家族のために働くのであった。
もう一人は小売業で働くBさん(仮名)のケースである。
彼はかつて派遣社員の凄腕エンジニアとして月収50万を超える収入を稼いでいた。
お金には不自由しなかった彼も結婚すると、高給ではなく「安定」を求めて、中小企業ながらも正社員の仕事(小売業)に転職した。
収入は半分以上落ちて、これまで培った経験も全く活かすことはできない。
それでも毎月安定した収入が計算できる固定給で、いざとなったら会社が守ってくれて、家族を路頭に迷わす心配もない。
小売業は休みが少なく、一日の勤務時間も長いが、それでも彼は家族のために頑張るのであった。
10年以上前のことなので詳細は覚えていないが、たしかこんな内容だった。
・「高給の派遣社員」よりも「安定した正社員」の方が尊い?
この番組は典型的な
「正社員は安定しているよ~♪」
「結婚して家族が持てるよ~♪」
というメッセージを送りたかったのだろう。
それを見た私は、Aさんのように、特技を活かせて、やりがいのある仕事に就いていても「このままでは生活ができない」という収入の問題から、家族を養うために全く別の分野で働く姿は大変立派だと思った。
だが、Bさんの話は本当に美談なのか疑問だった。
なぜ、彼は月に50万円もの収入を稼ぐことができるのに、わざわざ給料が半減した上にこれまで培った特技が活かせない世界へ飛び込んだのだろうか?
彼のように高い専門性を持って高給を稼いでいたのに、なぜ全く得意なことが生かせない上に給料も大幅にダウンする零細企業で働く必要があるのだろうか?
それが本当に家族のためなのだろうか?
正社員として得られる「安定」などというものは、そこまでの価値があるものなのか?
たとえば、自営業者の場合は派遣社員の比ではないほど安定性がない。
しかし、親から引き継いだ事業を頑張っている人に対して、「家族のためにそんな不安定な仕事から足を洗わなければ」とは言わない。
なのに、なぜ派遣社員に対しては専門性がある人であっても「正社員以下」などと考えているのだろうか?
私が彼の立場なら迷うことなく派遣の仕事を続ける。
念のために言っておくが、私は「エンジニアの方が給料が高いから立派だ」とか「小売業が地位の低い仕事だ」と言っているわけではない。
私はITのことは全くの門外漢であるが、これまで派遣社員として工場や販売、一般事務の仕事に就いた経験から言わせてもらう。
よく、「派遣社員は正社員と違って、ボーナスや退職金がなく、年々続けても給料が上がらないから生活が苦しい」と言われることが多い。
これは半分本当だが半分は違う。
派遣社員は大企業で働くことが多い。
そのような恵まれている環境の正社員を日頃から目にしていると、「自分も正社員だったら…」というような劣等感を持つことがあるかもしれない。
しかし、それはあくまでも「恵まれた立場の正社員」と比較した場合の話である。
「正社員」という肩書であっても、ボーナスや退職金はおろか、交通費や残業代さえ出してもらえない会社などこの社会にごまんとある。
実際に私も零細の小売業に身を置いていたことがある。
そのような会社の正社員と比べたら派遣社員の方が仕事だけでなく、待遇面でもよっぽどマシである。
・保護されない正社員
たしかに派遣社員に安定なんてものはない。
たとえ、高いスキルを持っているエンジニアでも、技術革新についていけなければお払い箱になる可能性が高い。
しかし、そうして職を失った人の生活を保障したり、新たな就職先で必要なスキルを身に着ける機会を提供するのは企業ではなく国であると私は思う。
よく「教育は未来への投資」などといって教育は若い人の専売特許のように扱われているが、やる気もあまりない若者よりも、彼のように高いスキルは持っているが失職した人に再教育のチャンスを与える方がはるかに実りのある投資になると思えるのだが…
そもそも、手取りで20万程度の給料しか払わない会社は、たとえ正社員であっても従業員の生活を保障するつもりなどあるのだろうか?
これは私が、先ほど例に挙げた零細の小売業とは別の中小企業で経験した話だが、ある正社員が交通事故に遭ったことがあった。
「正社員=安定」と信じて疑わない人は、この状況で会社は彼に休みを与えて十分に休養させ、休職中も固定給を払ってくれると考えているだろう。
だが、普段から彼のことを快く思っていなかった社長はこれ幸いとばかりに、「事故により職務を遂行することが困難となった」と理由をつけて彼を解雇に追い込んだ。
「会社都合の解雇なら失業保険が出るだろう?」
と思った人もいるだろうが、こんな会社がまともに解雇の手続きなど取るなどと本気で考えている人はよほど平和ボケした人なのだろう。
彼は当然のように書類上は自己都合ということで処理された。
「企業は絶対に正社員を裏切らない」という前提はすべての企業に当てはまるわけではない。
さて、私が先ほどの番組を見てから10年以上が経過した。
あれ以来、私は多くの職場で働いて、たくさんの人と出会ってきた。
その中で、私も当時から考えが変わったことがある。
しかし、それでもあの番組が称賛していた「高給の派遣社員よりも正社員としての安定の方が尊い」という考えが素晴らしいものだとは思えないし、あの時のBさんの選択が正しいとも思えない。
ただ、Bさんの考えに共感する人が考えていることは何となく理解できるようになった。
・非正規労働外道論
私が強く感じるのは、彼らが「非正規労働者は(勤務先である会社だけではなく)、法や社会が救済する必要はない」と考えていることである。
よくよく考えると、これは不思議なことである。
正社員は企業福祉の恩恵を受ける。
もちろん、先ほどのような会社も存在するわけだから、すべての会社がそうであるとは言えないが、「正社員=安定」と考えている人はそのように信じている。
にもかかわらず、企業福祉の恩恵を受けられない非正規労働者を社会が保護する必要はないと考えることは矛盾していないだろうか?
その理由は、彼らが「非正規労働者は社会から、もっと強く言えば『人の道から』外れた存在、すなわち『外道』であるがゆえに保護の対象に当たらない」と思っているからなのではないかと私は思う。
これを「非正規労働外道論」と呼ぼう。(これは私が考えた言葉だから、ググっても出てきませんよ)
「外道」という言葉は少々過激だが、他に適当な言葉が見当たらないので勘弁してほしい。
この視点で考えてみよう。
犯罪者や暴力団は法律に反して活動する。
そのため、法律による保護は受けられない。
もしも、法律で守ってもらおうとするならば、身柄を拘束されて法を犯した罪を償わなければならない。
非正規を法律で保護する必要はないという考えも同じではないのか?
この社会には、「仕事とは組織に所属すること」だと考えている人がいる。
そして、その言葉の通り、正社員は職種も勤務時間も就業場所も企業からの一方的な命令で定められることが珍しくない。
一方で、非正規労働者はこれらが契約によって定められていて、会社の一方的な要求だけで変更することは認められない。
この企業に対する所属を堅気の証と考えているのであれば、その義務を果たさずに、それを必要としない世界に足を踏み入れた人間(=非正規労働者)は人倫に反する外道なのだから、法律で保護されることは許さないと思うだろう。
これは身分や所属の問題であって、「給料が高い・低い」や「スキルがある・ない」の問題ではない。
非正規外道論者にとって、Bさんのようにスキルを持って高給を得ている派遣社員は、まるで殺し屋稼業を営んでいる凄腕のスナイパーのような存在であり、能力が高く、大金を得ていることが事実であっても、それは非合法活動で金を稼いでいる反社会的な外道であると映るのである。
また、前段で述べた通り、派遣社員は下手したら、正社員よりも給料や待遇がいいことも珍しくないのだが、それも彼らにとっては「楽している上に、正社員よりも給料が高い」と見え、まるで不正でも行っているかのような憎しみに満ち、「非正規=外道」という考えに拍車をかけているのではないだろうか。
つまり、非正規の労働とはお金を稼ぐ営みであっても、それは社会活動ではなく、暴力団の「稼ぎ(しのぎ)」と同様に「仕事」ではなく「金儲け」でしかないと考えられているのである。
どんなに稼ぎのある派遣社員でも、アパートを借りる際の家主や、結婚する時の相手方の親から「収入は低くてもいいから、ちゃんと正社員として働いている人の方がいい」と言われて断られる一見バカらしく矛盾に満ちたような理屈もこう考えると合点がいく。
社会人と自称している人間が、「社会人=正社員」と考えて、非正規労働者を頑なに社会の一員と認めない理由も、このように「非正規外道論」に基づいているのだと思う。
なんだか、これまで通り、彼ら自称社会人が正社員(もしくは主婦)以外の生き方を頑なに認めない理由は偏狭な宗教観によるものに過ぎないという所に行き着いたが、彼らにとって会社組織に所属することがこの社会で堅気として生きる条件であり、それを果たしていない人間はどんなに真面目で能力が高く、高給を得ていても、反社会的な外道でしかないのである。