東京で生まれ育った人は本当に地方出身者が羨む人生を送っているのか?

東京で暮らす地方出身者あるあるにこんなものがある。

「東京で育った人は近くにいつでも頼れる人がいるから羨ましい(=ずるい)!!」

「東京にはたくさんの選択肢が用意されており、子どもの時からアドバンテージがある(=ずるい)!!」

20代半ばで、家も仕事もなくスーツケースひとつで上京した私も、この記事で紹介した「パラサイトシングル憎し!!」とまでは行かないが、かつては同じような感情を抱いていた。

だが、実際に東京で暮らして、現地で生まれ育った人たちと接していると別の視点が見えてきた。

(※:お願い)

今回の記事では「東京」という言葉を「東京都」ではなく、「東京都心部」という意味で使用する。そのため、埼玉、千葉、神奈川であっても東京近郊であれば、その中に含まれ、逆に東京都内であっても、山間部の地域は含まれない。この定義に納得できない人もいるかもしれないが、今回はどうかご容赦願いたい。

・東京出身者には「不安定」な暮らしがない?

以前、この記事で「日本社会のしくみ(小熊英二(著)講談社現代新書)」という本を参考に「大企業型」、「地元型」、「残余型」という日本社会の3つの生き方を紹介した。

少し遠回りになるが、今回もそのモデルを補助線として使わせてもらいたい。

まず、「大企業型」とは、「男性であれば高校や大学の卒業を機に地元を離れ、新卒で就職した会社を定年まで勤め上げ、その間に結婚して、子どもが生まれ、ローンで家を買い、子どもの学費を払い、定年後は、年金で悠々自適の老後を暮らし、女性であればそのような人の妻になる」というライフコース。

大企業型はしばし「日本的」などと呼ばれて、この社会の生き方を定義しており、私がお笑いの師匠として一目置いている「自称フツーの社会人」は唯一絶対神と崇めている。

一方で、学校を卒業した後も、地元を離れない生き方が「地元型」である。

こちらは大企業型のような恵まれた企業福祉の恩恵は受けられないものの、親から引き継いだ資産や昔からの人間関係があり、現金の出費を押さえて生活することができる。

大企業型は企業福祉が充実しているため、出身地が「東京か、地方か」は関係ない。

だが、定員が限られているため、全員がそのコースに乗ることはできない。(頑なにその事実を認めない困った人もいるが)

昭和時代でも、その割合は人口の3割程度だと言われている。

地元型はそこからはみ出た人を包摂するが、近年は地方経済の衰退が著しく、いよいよそこで食っていくことも困難となり、仕事を求め、都心へ移り住む人が増えてきている。

そこで出てくるのが「残余型」である。

「残余」という名前は「いずれにも属さない」というだけで、特にマイナスの意味はないが、代表格は地元を離れ、非正規の職に就く人たちで、彼ら(というよりも私も含まれている)は大企業型の手厚い企業福祉を享受することはできないが、地方出身であるため昔からの人間関係資産を利用することもできない。

東京は仕事の数も質も圧倒的に恵まれており、東京出身者は大企業型へ入れずとも、食っていくための仕事を求めて移住する必要はない。

当然、そこが地元であるため、(地元の友達が一人もおらず、実家の親族とも著しく仲が悪いという人でなければ)困った時に頼れる仲間が近くにいる。

言い換えれば、雇用の不安定はあっても、生活の不安定とは無縁であり、残余として食いっぱぐれる心配はない。

私のような地方出身の単身者にはそのような生き方はできない。

つまり、「東京で育った人は子どもの時から教育の機会に恵まれているから『いい教育・いい大学・いい会社』といった大企業型のコースに乗りやすい」というイメージとは正反対に、そこから外れた人ほど、地方出身者に比べて大変なアドバンテージがある。

理屈の上ではそのようになる。

上京後、初めて働いた職場にまさにそのような同僚がいた。

・一週間で「この人は超えた」と確信する

彼はフルヤ(仮名)という名前で年齢は当時25の男性だった

出身地は東京近郊の千葉県で、当時も実家で暮らしアルバイトとして働いていた。

彼の第一印象は典型的なやる気のないフリーターだった。

まず勤怠が尋常ではない。

9時勤務開始なのにタイムカードの出勤時刻は毎日85758分のギリギリ出社。

「電車の乗換駅を間違えた!!」と言って遅刻したこともある。

さらに、毎月1以上は風邪を理由に休む。

それから、分からないことがあっても、上司に確認せずに放置するということが何度もあった。

他の社員一同、彼のことは「やる気がない人」だとみなしていた。

今まで、いくつもの職場を転々としてきた私は、毎回新しい職場では、最も勤続年数が短い人の仕事ぶりを観察することにしている。

まずはその人に追いつくことで、他の同僚からも認めてもらえるようになるから。

の職場ではがその立場だったが、私はおよそ一週間で「あ、もう俺この人は超えたな」と確信した。(もちろん、こんなことは初めてだった

彼は私が働き始める半年前に転勤になって、その際にこの職種に転向した。

一方の私はこの職種で数年の経験がある。

たとえ職種の経験があっても、一週間で先輩に追いつくことは難しい。

それくらい彼のやる気のなさは際立っていた。

「彼は一度、正社員として働いたものの、そこで酷使され退職、その後リハビリ目的でフリーターになったのか、それとも高校卒業後ずっとフリーターを続けているのか?」

そんなことを考えていた。

・勉強はできないが大学へ進

ある日、私たちの上司である店長が仕事中に同僚のベテラン社員とフルヤのことを話していた。

店長:「フルヤは、いつまでここでバイトを続けるつもりなんだろう? アイツ、あれでも大学出てるんだぜ

それを聞いた私は驚いた。

え?

は大卒なの

いや、学歴は見た目で分かるわけではないので、そこでくのはおかしいが、率直にそう思った

彼らはフルヤの話を続けた。

店長:「あいつは大学生の時から俺の所で働いていて、俺が就活のこと心配してたのに、就活を全然やってなかったんだ」

ベテラン社員:「え? 全然? 大学院にでも行くつもりだったの?」

店長:「いや。あいつの通っていた大学は名前を書けば誰でも入れる○○大だぜ。あいつが勉強なんかするわけないよ」

ベテラン社員:「それじゃあ、何で大学なんか行ったんだろう?」

店長:「さあ、就職するのが嫌だったから、先延ばししただけじゃないの?」

ベテラン社員:「いわゆる社会不適合者ってヤツか?」

これが本当ならすごい話だ。

の数週間後、店内で外国人とおぼしき買い物客に英語で話しかけられて困っていたフルヤに変わって、私が英語で対応したことがあった。

彼は私にお礼を言った後に、驚くべきことを告白した。

フルヤ:「いやー、自分は学生時代、英語が大の苦手で、最近までImymeの違いも分からなかったんですよ」

え!

それは中学一年生習う内容だろ!?

まあ、英語ができなくても他に得意なことがあるのかもしれない。

私は学生時代に得意だったことはないのか聞いてみた。

フルヤ:「いや全く。歴史も数学も全然でした」

れが本当なのか、それとも謙遜しているのかは分からない。

しかし、彼の話が本当なら、これが店長の言っていたFランク大学生ということになる。(厳密に言えば卒業生)

私はそれ以後、フルヤのことが気になり始めた。

彼はどんな人生を送ってきたのか?

勉強ができないのになぜ大学へ進学したのか?

どうして就職活動を真剣にしなかったのか?

他にいくらでも恵まれた仕事がある東京に住んでいながら、いつまでこんな生活を続けるつもりなのか?

フルヤの行動は典型的な親の脛齧りであり、私の目には堕落した人間のように映った。

・通用しないと分かっていても降りることが許されない

だが、その後の私がフルヤと接して感じたのは「傲慢さ」ではなく「自信のなさ」だった。

そして一つの仮説が浮かんだ。

「彼は周りと比べて『自分が使えない』と自覚しているからこそ安全地帯に退避しているのではないか?」

私が地元で生活していた時は、普段の生活で、周囲に公務員や大企業で働く人、特に年が近い人を目にすることがなかったから、そんな生き方を「したい」とも、「しなければ」と思ったことはなかった。

もちろん、それができないことをプレッシャーに感じたり、「自分はダメな人間だ」と思ったことも一度もなかった。

進学や就職を機に地元から出て行った人はたくさん知っているが、せいぜい「進路の違い」であり、「あいつは勝ち組で、自分は負け組だ」と思うこともなかった。

前回の記事で登場した「年収700万円以上でなければ結婚できない」や、「子どもに中学受験をさせなきゃ!!」という話をメディアを通して見聞きしても、「一体どこの国の話ですか?」というようなポカーンとした状態だった。

しかし、彼は違う。

東京には「大企業型」の会社が数多く存在しているため、目の前にいる同世代の多くがそのような生き方をしている様子を日々目の当たりにする。

そして、「その生き方こそが標準的な人生だ!!」と言われたら、そこに入れない自分の劣等感を嫌というほど感じてしまう。

私の地元のような田舎町では、高校を卒業した時点で「自分は大企業型に入れない」と悟れば、地元型の生き方を模索するだろう。(実際に食っていけるかどうかは別にして)

だが、幸か不幸か、東京には大学が星の数ほど存在し、その中の少なくない大学では、彼が通っていた学校のように、金さえ払えば、勉強しなくても入学できる。

そのため、高校卒業を機に、大企業型の生き方と決別できず、大学まで延命することになる。

しかし、大学に進んでも、結局は大企業型である「安定した正社員」になることが求められる。

つまり、彼にとって「自分はそのコースで通用しないと分かっていても、降りることが許されない」のである。

このような「無理やり競争に参加させられる人生」は、私のような地方出身で地域に足場がなく、大企業型の企業福祉からも守られていない暮らしを送ることよりも、はるかに苦しいことではないのか?

・アドバンテージを自ら放棄する人たち

それでも、フルヤは親の支援を受けながら安全地帯に退避しているわけだから、まだ利口なのかもしれない。

私が出会った東京出身者には、近くに家族が住んでいて頼ることができるにもかかわらず、自分の意志で家族の支援を拒否する人も多くいた。

たとえば、この記事で登場したカメダ(仮名)というルームメイトは埼玉県の都心部の出身だった。

だが、彼は不安定な日雇い派遣で生計を立て、奨学金の返済が滞るなど経済的に困窮しているにもかかわらず、1年以上実家に帰っていなかった。

彼だけではない。

この記事で少し触れたが、私が入居した当初のルームメイトは11人中少なくとも6人は東京都心の出身だった。

彼らの多くはカメダ同様、安定した仕事に就いていたわけではないにもかかわらず、実家を出て、シェアハウスで暮らしていた。

彼らは定職に就いていなかったため、家族に顔向けできないという負い目や苦悩があるのかもしれない。

しかし、定職についていて、彼らよりも実家の家族から疎まれる心配はないであろう人であっても同様な生き方をしている人もいる。

この記事で登場したことがある社員B(仮名)という人物は23区内である足立区に実家があるにもかかわらず、なんと群馬県との県境にある埼玉北部に住み、毎日そこから通勤していた。

その時の職場は渋谷区であり、通勤時間は(乗車時間だけでも)およそ1時間半。

JRが台風の影響で計画運休を行った時は、地下鉄で帰ることができる実家に泊まっていたため、家族と仲が悪いというわけではなさそう。

なぜ、彼はそんな状況で実家を出て暮らしていたのだろうか?

余談だが、他の社員曰く、下っ端である彼の給料は他人ですら悲しくなる程低いらしい。

ますます、実家を出た理由が不明である。

本人は「いつまでも親の脛齧りじゃいけない」と思っているのかもしれないが、第三者の視点からすれば、奴隷の鎖自慢をされるよりも、親の脛齧りの方がはるかにマシなのだが…

彼らは近くに住んでいる家族と同居すれば、大企業型へ入れなくても、経済的に安定した生活を送ることができるはずだ。

私のような地方出身者から見れば、それこそが彼らにとって最大のアドバンテージであるはずだが、なぜ自らの意志でその優位性を放棄したのだろうか?

彼らが家族と折り合いが悪く、家を飛び出したのなら仕方ないが、私が彼らの立場なら迷うことなく実家に住み続ける。

だって、地元に住んでいた時は親との同居など当たり前の選択肢だったから。

大企業型の視点から「いつまでも親に寄生することはけしからん!!」などと言われても、そんなもんはどこ吹く風である。

これは私の推測だが、彼らは大企業型以外の生き方を与えられていないため、自分がそのコースから外れているにもかかわらず、そこを目指す以外の選択肢がないのではないのか。

だから、成人後も実家に住んでいれば生活の安定は確保できるが、それを自ら放棄してしまう。

・「帰るべき故郷」の支え

「帰るべき田舎」という言葉がある。

もちろん、地元で暮らしていくことが経済的に難しいから東京へ出てきたわけだから、地元に帰ったところで生活の当てがあるわけもないのだが、今いる世界がすべてではないと分かっているからこそ頑張れる。

そこには経済的な安定などなくとも、精神的な安定がある。

一方で、東京出身者は経済的な安定はあっても、それを活かせない心理的なストッパーを抱えている。

彼らは「故郷」を持たず、今の生き方が苦しいと分かっていても、他の生き方をすることができない。

そして、経済的には優位であるはずなのに、精神的に追い詰められている。

以前、仕事を教えていたニシヤマ(仮名)という人物に私の地元の話をしたことがある。(その時の記事はこちら

10年ほど前は仲間と楽しく遊んでいたが、今はとてもではないがそんな生活は送れず、その思い出も幻となっていること。

東京の暮らしは楽しくはないが地元へ帰るつもりはないということ。

すると彼はこんなことを言った。

「たとえ幻でも、その時の思い出が心の中で今の早川さんを支えているんじゃないですか?」

「僕のように東京の暮らししか知らない人間にはそれすらないから、とても羨ましいですよ」

その言葉にすべてが凝縮されている気がする。

彼のようにずっと東京で暮らしている人は都会の生活が世界のすべてであり、その生活に適応できないことは死に直結する。

一方の私は、たとえ幻だろうが、別の世界を知っているため、「この生き方が苦しい」と感じたら、すぐに逃げるか、別の道を模索することができる。

これが「帰ることができる故郷」がある強みなのかもしれない。

もっとも、東京23区の出身で大企業に入社できた彼がなぜそんなことを知っていたのかは分からないが…

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