マミートラックの定員オーバーが「女性のわがまま」なら、男性世帯主モデルの定員オーバーも徹底的に批判しよう

前回の記事では、本来であれば正規・非正規関係なく受給資格がある社会保障が「正社員の特権」として扱われることで生じる「正規・非正規戦争」を紹介した。

今日は正社員間で繰り広げられる悲しい争いについて取り上げようと思う。

・マミートラックとは何か?

「マミートラック」という言葉がある。

女性の正社員が産休・育休明けに復職し、仕事と子育ての両立はできるものの、責任のあるポジションから外され、昇進・昇格を諦めたキャリアコースを歩むことである。

私のような企業内の昇進など全く興味がなく、できるだけ楽な仕事をしたいと考えている人間にとっては、夢のような働き方であり、率直に「いいなあ」と思う。

私は未婚で子どももいないが、そのコースに乗りたい。

正社員としての身分がありながら、長時間労働を免除され、楽な仕事に留まる大義名分を得られるなんて羨ましい限りである。

メリットこそあれデメリットなど微塵も感じないが、当人たちは抜け出したいけど、気付いたら抜け出せなくなっていたり、結果的に選ばざるを得なかったにもかかわらず、自分の意志で選んでしまったかのように思われ、辛い思いをしたりとそう簡単な話ではないようである。(参考:育休世代のジレンマ 中野円佳(著)

だが、今回取り上げたいテーマは、マミートラックで働く女性そのものではなく、同僚がそのような働き方をすることを快く思っていない人がいるということである。

家庭の責任を理由に育児休暇、短時間勤務や定時退社という条件で働くと、同じ部署で働く他の社員へそのしわ寄せが来る。

派遣やパート労働者がそのような働き方をするのであれば、「雇用形態の違い」だと納得できるが、同じ正社員なのに自分たちだけがそのような負担を押し付けられるのであれば不公平極まりない。

「子持ちの女性が今日も仕事を休んだ!!」

「わがままに振り回されるのはウンザリだ!!」

「そんなことは人件費を気にしなくてもいい公務員しかできない!!(いや、本当に公務員がそんなに恵まれているのかは知らんけど…)」

「だけど、そんなことを言うと、すぐに『パワハラだ!!』『マタハラだ!!』と騒ぐ」

そのように部署内のお荷物として扱われれば、精神的に疲労して、居づらい思いに耐えられず退職したり、うつ病を患ってしまう人が出てくることも想像に難しくない。

この問題に関して個人的な意見を言わせてもらうと、「労働者は皆仲間」がモットーの日本企業がこの程度の福利厚生も提供できないことは情けない話だ。

どこが、「日本の会社は社員に優しい」のでしょうか?

日本型雇用のファンである私としてはがっかりである。

そのような職場は人員が満たされていないのだから、補充しようとしない管理職や、そのための予算を割かない会社が非難されるべきである。

日本の会社は「一度、人を雇ってしまったら、仕事が無くなった時に解雇できなくなるから、人を雇入れる際に慎重にならざるを得ない」と主張する人がいる。

だが、この国には派遣社員に代表される、都合のいい時に補充できて、いつでも切れる非正規労働者という便利な存在があるのに、何を意味不明なことを言っているのだろうか?

「むやみに人は増やせない!!」なんてことは非正規労働者を一人も雇っていない会社の人だけが言ってくださいね。

・「定員オーバー」というもっともらしい批判

私がこの手の批判で唯一もっともらしいと思うものが「定員オーバー」という考え方である。

このブログでよく名前を出させてもらっている濱口桂一朗氏は著書、働く女子の運命(文春新書)の中で、マミートラックの問題に対して、先ほどの中野氏の著書を引用する形で「定員オーバー」という表現を用いている。

日本の会社で正社員として働く時は会社に命じられたままに勤務地も、職種も、勤務時間も変更しなければならない「無限定」な働き方がデフォルト(標準)ルールとなっている。

限定的な働き方をするマミートラックはそんな多数派の中の例外だからこそ、辛うじて成立していた。

その原則を変えずに例外だけが増えてくると、組織が破綻することは目に見えている。

ちなみに、濱口氏はマミートラックのような労働時間や勤務場所が限定された働き方こそノーマルトラックにすべきだと主張しているのだが、私はこの「定員オーバー」という批判はアンチ・ワーキングマザー主義者にとって唯一説得力がある批判材料になるのではないかと思う。

「マミートラックを『わがまま』だと言っているのではない」

「ただ、そんな働き方をする人が多すぎて、収容人数を超えている」

「だから、これ以上増えてしまったら、会社が潰れてしまう」

こうなると、俄然彼らの主張がもっともらしく聞こえる。

現実を無視して理想だけを無理強いしても最悪な結果につながるだけである。

だが、そんなことを言われたら私は思うのである。

「定員オーバー」を根拠にマミートラックを批判するのであれば「男性稼ぎ手モデル」の定員オーバーも同様に批判すべきではないのか?

マミートラックを批判している人は「正社員=家族を養う男性、つまり家族の大黒柱であるサラリーマンのお父さん」と考えているのだろう。

そのような前提でいるため、長時間労働の問題を無罪放免とする一方で、家事や育児と両立しながら正社員として働く女性に対して異常なまでの嫌悪感を持つのだろう。

彼らに政治的な信念があるのかは定かではないが、女性の社会進出に抵抗して、かつてのような世帯主である男性だけが正社員の地位を独占する「男性稼ぎ手モデル」(本人たちは「伝統!!」とか「日本的!!」とか「昭和モデル!!」とか呼んでいる)の復興を望んでいるのだろう。

「その方が女性も安心して家事と育児に専念できる」と疑う余地もなく。

ちなみに、濱口氏は著書の働く女子の運命で、そのような考え方を皮肉を込めて「日本型ワークライフバランス」と呼んでいる。

しかし、その日本型ワークライフバランス社会への回帰という(アホな)考えには致命的な欠陥がある。

なぜなら、彼らはかつての日本社会は全員(という言い方が大げさなら89割の人々)が「男は年功序列と終身雇用で働く、女は専業主婦」という生き方をしてきたかのような言い方をしているが、そのような人は昔から多数派だったわけではない。

むしろ、全員がそちらを目指さなかったからこそ社会が安定していたのである。

・戦後の日本社会の安定は全員が大企業を目指さないことで実現された

今から20年以上前の1998年に出版されたものだが、

という本がある。

戦後日本の社会は諸外国に比べて失業率が低い一方で、大企業と中小企業で労働環境が大きく異なる労働市場の二重構造が存在していた。

このような社会では仕事を求めている人は全員何かしらの仕事に就けるが、労働条件は大きく異なる。

明らかな賃金格差が存在する中で働くことは、仕事がないよりマシだから働かざるを得ないだけであり、各人が最大限の生産性をあげているわけではないし、賃金に満足しているわけでもない。

このような状態は「完全雇用」とは言えない。

そのような社会は、近代的な大企業と前近代的な中小企業や自営業が混在している状態であり、働き方と家族のあり方は主に3つに分類できる。

「大企業モデル」:年功序列・終身雇用の下で働き、一人の稼ぎで世帯生計を賄い、専業主婦の妻が家庭を支える

「中小企業モデル」:会社に雇われて働くが、会社には大企業のような余裕がなく、同じような収入が見込めないため、妻がパートなどの働きに出る

「自営業モデル」:家業を営み一家総出で生計を立てる

社会の近代化が進めば、中小企業モデルや自営業モデルは淘汰され、二重構造は解消されるはずである。

だが、淘汰される旧セクターで働いている労働者を近代的セクター(大企業モデル)で吸収できなければ、そこで働いていた人たちは失業者となってしまう。

実際に完全雇用(全員を大企業モデルで吸収すること)を目指した西ドイツでは、そのような現象が起きて高い失業率が生まれた。

戦後の日本が選んだのはすべての労働者が近代的な大企業型雇用に入るのではなく、前近代的な中小企業や(農業も含む)自営業を維持して、労働条件も形態も全く異なるものの、ほぼ全員が何かしらの仕事に就ける道であった。

野村氏はそのようなモデルを「全部雇用」という概念で説明している。(「全部雇用」という言葉の発案者は東畑精一氏)

80年代まではこのような3つの生き方の棲み分けによって社会の安定が保たれていた。

そんな社会では、たとえ「安定」はあっても、「一人の稼ぎで家族を養う正社員と専業主婦」という大企業モデルで生きていたのは3割程度だったと言われている。

しかも、雇用の調整弁としては、仕事がある時は働きに出るが、景気が悪化して仕事がなくなれば家庭や家業に戻るため失業者としてカウントされない女性の貢献が大きい。

彼女たちは「縁辺労働」と呼ばれ、従来の「日本型雇用論」では主流派の枠外に位置していると扱われている人たちである。

決して、「戦後の日本社会の安定は年功序列や終身雇用に代表される日本型経営が生み出した」わけでも、「みんなが日本型雇用の中に入れたから、安定した生活ができた」わけでもない。

大企業モデルが上位で、中小企業と自営モデルが下位という呼び方は適切ではないかもしれないが、このご時世に安定した正社員に就けない人や専業主婦になれない人は、当時であれば「安定した生活」を送ることはできたかもしれないが、大多数は中小企業モデルや自営業モデルで生きていた人たちであろう。

そんな人たちが、無意識に上方修正して、昔であれば自分も

「正社員として家族を養えたのに!!」

「専業主婦になれたのに!!」

と憤慨している姿は何とも情けない限りである。

・勘違いから生まれた伝説

「昔はみんな(安定した大企業の)正社員と専業主婦だった」は幻想であり、日本の失業率の低さは「何があっても従業員をクビにせず、どんなに仕事ができない社員に対しても家族を扶養する給料を支払った人情味あふれる経営のおかげだ」とか、「女性を労働市場から締め出すことによってもたらされた」というような単純な話ではない。

逆に、近代化によって淘汰されるはずの雇用セクターを残すことによって、全員が何かしらの仕事に就くことができたのである。

そのような社会は、賛否は別にして、低予算の福祉制度を実現させた。

のだが、それを大企業モデルのみの成果だと勘違いした人がいた。

そんな困った人たちが作り上げた伝説の書物、それこそが1979年に自由民主党が出版した「日本型福祉社会」である。

これぞまさに私がお笑いの師匠として尊敬している「自称:フツーの社会人」の教典である。

政治や経済について学ぶ際に少なからず耳にした人も多いと思うが、入手困難なため、現物に目を通したという人は少ないかもしれない。

有難いことに、この本では一部をそのまま引用してくれている。

一部を紹介すると、日本型社会福祉の基本的な根幹は以下の4点である。

:個人が所属する(あるいは形成する)家庭

:個人が所属する 企業(または所得の源泉となる職業)

:市場を通じて利用できる各種のリスク対処システム(保険など)

:最後に国が用意する社会保障制度

個人の生活を支えるのは家庭と企業で、個人が自衛のために加入する民間の保険がそれを補完し、それでも生活の基盤を失った場面でようやく公的な扶助の出番という、国家による社会保障の存在を極端に嫌う彼らの考えがはっきりと見て取れる。

前回の記事で紹介した、自分がお世話になっているにもかかわらず、公的な社会保障の存在を認めずに、それを頑なに「正社員だから」という身分特権だと思い込んでいる人たちはこの考えに驚くほど忠実であることが分かる。

ちなみに、一部は原文を完全に引用しているだけあって、

「フリー・セックス」   男から見れば「ただの」セックス   

かつての母に代わる主婦の存在

といった秀逸な表現がボロボロ出てくる。

さすが師匠の聖書だけあって、読んでて笑いが止まらん。

アホのスケールが違う。

私のような小物はまだまだ彼らの足元にも及ばない。

・「正社員」は打ち出の小槌ではない

少々はしゃぎ過ぎてしまったが話を戻そう。

野村氏は「全部雇用論」について、当時(98年)加速していた規制緩和路線よりも「ベター」と評しているが、すべてを肯定しているわけではない。

私も同意見で「昔はそうだったから」と言って、それを無条件に肯定することはできないし、今さら「復活させろ!!」と言って無理だと思う。

というよりも、(ほぼ)全員が何かしらの仕事に就ける社会を取り戻したとしても、そんな人たちと仕事で関わることになったら、最低賃金で働くアルバイトにすら基幹労働者であることを求める現代人が耐えられるとは思えない。

それに、おそらく当時はヤクザ(暴力団)のような反社会組織が全部の受け皿に貢献していた可能性も高い。

だが、ここで重要なことは「昔はみんなが正社員と専業主婦だったから社会が安定していた」という前提は間違いであり、そんな生き方をしていた人は一部でしかなかったということである。

にもかかわらず、なぜか、そのような「大企業型の正社員」の雇用のパイは、現代においても、いくらでも増やせると思われている。

「政治家は魔法使いではない」という言葉がある。

国民は生活が苦しくなったら、国に対して

「年金の受給額を上げろ!!」

「子ども手当を出せ!!」

「大学教育を無償化しろ!!」

と要求するが、政治は税金として集めたお金を再分配しているだけなので、「打ち出の小槌のように振ればお金が出せる魔法は存在しない」という考えである。

この意見には多くの人が賛成するだろう。

だが、そのような人たちも、なぜか労働者が一生安泰な「正社員」という雇用はいくらでも出てくると楽観視していることが少なくない。

かつてですら「全正社員=一家の大黒柱である男性」という時代だったわけではないし、そこに全員(といっても男性のみだが)を押し込んでも、そのようなコースはとっくに収容人数をオーバーしている。

「正社員はみんなが家族を養う世帯主なのだ」

そのような幼稚な考えの末に大量発生しているのが、この記事で書いた、一人の稼ぎでは家族全員を養うには到底不可能な賃金しか受け取れないにもかかわらず、家庭のことはすべて家族の誰かが担ってくれることが前提で働く「働き方だけ男性稼ぎ手(世帯主)モデル」なのだと思う。

前回の記事で、非正規労働者には違法行為は泣き寝入りを要求する一方で、正規労働者に対する権利の侵害は「裁判を起こしてでも徹底的に争うべき!!」と考える不思議な理屈を紹介したが、今回も同じような話である。

マミートラックの定員オーバーは「仕方がない」というスタンスを取りながら、男性稼ぎ手モデルの定員オーバーは「社会を変えてでも、多額の税金を費やしてでも、全員に行き渡らせるべき!!」という思想の根拠は宗教的観点を除いて見当たらない。

マミートラックのような「正社員らしくない(?)正社員」が定員オーバーを起こし、「企業や他の従業員への負担」となっていることを根拠に批判するのであれば、「男性稼ぎ手モデル」の定員オーバーと強引な押し付けも同様に批判されるべきである。

・目指すべきは「働き方だけ男性稼ぎ手モデル」の解体

今回の本題ではなかったとはいえ、「マミートラック」を紹介したため、最後にこの問題に対する前向きな提案をしたい。

「男性の育休よりも定時に帰る経験を」

これは先ほど紹介した中野氏の著書の中で登場した言葉である。

出産後の女性の抱える問題は、育休を取るかどうかではなく、復帰後の働き方と処遇にある。

男性が育児休暇を取得しても、復帰後は以前と同じ何時まででも働くスタイルに戻ってしまうと、女性が抱える問題は理解できない。

それなら、育休を取得するよりも、「ケア責任を抱えながら働く」ことを経験する方が有効なのかもしれない。

これはあくまでも、家庭を持つ男性へ向けての提言なのだが、「男性の育休よりも定時退社を」というのはなかなかいい考えだと思う。

というのも、「男性の育児休暇の取得率を高めよう」という政策を行えば、その恩恵を受けられるのは子どもを持つ男性だけであり、職場の同僚はそのしわ寄せを受けることになる。(男性の育児休暇などたかだか数日だろうけれども…)

一方で、定時退社が徹底されれば、子どものいる無しに関係なく、すべての労働者が救われることになる。

そのため、男性の育休よりも定時退社を促す政策を選択する方が、子どものケアが必要な労働者にとっても、子を持たない同僚にとってもお互いに恩恵を受けられる。

濱口氏は先ほど紹介した著書の中で「ワークライフバランス」を2つの段階に分けて説明している。

まずひとつ目、インターバル規制や最長労働時間のように、すべての労働者のワークライフバランスを保障する制度、これを「第一次ワークライフバランス」と呼ぶ。

そして、育児休暇や短時間勤務のように、子どもを育てながら働く人の権利を保障する制度が「第二次ワークライフバランス」である。

日本の場合、第一次ワークライフバランスを完全無視して、二次部門のみを充実させようとするから、どれだけ働く女性を支援する政策を行っても空回りするのである。

その結果、

「あいつだけずるい!!」

「なんで、あいつが勝手に子どもを作っただけなのに、そのことで自分が迷惑を被らなければならないだ!?」

「こっちだって疲れていて、苦しいんだ!!」

と反感を持ってしまう人が出てくる。

それを考えると、マミートラックの問題を解決するための方向は明らかである。

それは無限定な労働時間を規制して、定時退社の原則を徹底することである。

そもそも、マミートラックとは結婚後も女性が正社員として働くことを求められることで生じた現象だが、「女性の自立」を促すのなら、銃後の守りがなければ成立しない「男性稼ぎ手モデル」は即刻廃止しなければならない。

百歩譲って、家族を扶養するにふさわしい給料を得られる「(本来の意味の)男性稼ぎ手モデル」であれば議論の余地はあるが、大半は家族の誰かが家事責任を負ってくれることを前提にコキ使うが、その対価は支払わない「働き方だけ男性稼ぎ手モデル」に過ぎない。(「働き方」の位置に入る蔑称は「劣化版」でも「なんちゃって」でも可)

どう理屈をこねくり回しても、そんなものの存続を正当化する根拠は見つからない。

また、どんなに有能な政治家や経営者が名君として辣腕を振るっても、正社員として働く人全員が、一人で世帯全員を養えるだけの高収入を得られるようになるのは不可能である。

だが、恒久的な残業を無くして、全員が定時で退社できるようにすることはできる。(それができない会社は存続すべきではない)

そうすれば、労働者間の対立を引き起こすことなく、全員に幸福が行き渡る。

この両面から、マミートラック問題の解消に必要なのは、ワーキングマザーをこれまでの正社員の枠に無理やり押し込む(見方によっては「排除する」)ことでも、ましてや、全正社員を「男性世帯主化」することでもないことが分かる。

この期に及んで、「正社員は家族を養うために責任を持って働く男性で固めるべき!!」などと過去の栄光(という妄想)を捨てられない人は

自分の会社の「正社員」という働き方は

・本当に一人の収入で家族全員を養うことができる「男性稼ぎ手(世帯主)モデル」なのか?

・それとも、家庭のことはすべて家族の誰かが担ってくれることが前提で働かされているだけの「働き方だけ男性稼ぎ手モデル」なのか?

ということをよく考えてみてもらいたい。

もしも、後者であれば、戦うべき相手はワーキングマザーではないはずだ。

次回へ続く

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