先の月曜は祝日だったこともあり、先週末は三連休となった。
天気も良くて、ふと思い立って外出することにした。
少し外出しただけで汗が滴り落ちる真夏の暑さを感じたが、普段あまり行かない街を歩くだけでも気分が変わる。
気ままな一人時間。
そんな時、駅前や、ガラス張りになっている飲食店、公園の広場などのあちこちに、自分と同じくらいの年齢だと思われる男性たちが、妻や子どもと一緒に楽しく過ごしている姿があった。
ベビーカーを押しながら話す夫婦、子どもとサッカーボールを蹴っている父親。
穏やかで、どこか満たされているその姿は、30代、独身、非正規労働者に私にとっては「ちゃんと人生を歩んでいる人たち」のように見えた。
そして、一瞬、「もし自分も結婚していて、正社員として安定した職に就いていたら、あんな休日を過ごしていたんだろうか」と思った。
・35歳、正社員、マイホームパパの休日
都心から電車で約40分、緑の多い郊外の住宅街。
数年前、僕はこの地にローンを組んでマイホームを購入した。
日曜日の午前7時。
2階の寝室で目を覚ます。
僕は製造業の大手企業の営業課で「主任」として働いている35歳の男性。
部下も持つようになり、責任も増えたが、チームのまとめ役として信頼されている。
ただ、定時で帰るのはなかなか難しく、家族とゆっくり過ごせるのはこの休日くらい。
家族と過ごす時は仕事のことを忘れたい。
そっと起きて、まだ寝ている妻と子どもたちを起こさないように静かに階段を降りる。
コーヒーメーカーのスイッチを入れ、窓の外に広がる庭を眺めながら、深く一息つく。
「やっぱり一軒家にして正解だったな」
そんな思いがよぎる。
8時前、2階から「パパー!」という元気な声とともに、5歳の長女と3歳の長男が飛び込んでくる。
妻も起きてきて、朝ごはんは家族総出で調理。
子どもたちはベーコンを焼くお手伝い。
僕はフレンチトーストを担当。
平日とは違う、のんびりした朝が心地いい。
午前中は近くの公園へ出かける。
愛用のスマホで子どもたちを撮影。
「パパは写真を撮るのが上手くなったね」と妻に褒められ、ちょっと得意げ。
普段は社内会議でプレゼン資料ばかり作っているけど、こういう家族アルバムの方が気合が入る。
子どもたちが生まれてから、妻とは名前ではなく「パパ・ママ」と呼び合う関係になり、最初は寂しさも感じたが、子どもたちが成長してそう呼んでくれるので、今は親としての自覚や喜びも十分感じている。
昼は自宅の庭のウッドデッキでホットプレート焼きそば。
芝生の上を裸足で走り回る子どもたちの笑い声が響く。
妻と「平凡だけどこんな休日が、一番幸せだよね」と目を合わせて微笑む。
最近、職場の後輩が「結婚って本当にいいもんですか?」と聞いてきたけれど、「大変だけど、悪くないよ」と答えたくなる、そんな日常だ。
食事をして、のんびり過ごした時間を過ごし、午後3時頃には家族全員でスーパーへ。
「今日は手巻き寿司にしよう!」と子どもたちの提案で、具材をみんなで選ぶ。
イクラにまぐろ、卵焼き。
ちょっと贅沢だけど、ボーナス月だから気前よく。
夜、子どもたちをお風呂に入れた後、パジャマ姿の2人に絵本を読んで寝かしつけ。
読み終えた頃には、パパの方が眠くなっている。
それでもなんとか起きてリビングに戻り、妻と一緒に録りためたドラマを観ながら、「明日からまた戦場だけど、まあ、やるか」と、静かにビールを口にする。
そんな、肩肘張らない休日。
今週は自宅や近所でのんびり過ごしたけど、来週は車に乗って少し遠くへお出かけする予定だ。
誰かに自慢するような特別なことはないけれど、この「何気ない日常」が、今の僕にとっては最高の幸せなのだ。
学生時代とまでは言わなくても、20代前半の時に正社員として就職していたら、もしかしたら、今頃私もそんな生活を送っていたかもしれない。
そんな未来が脳裏をよぎった。
だが、すぐに気付いた。
それはあまりに都合よく考えすぎだと。
我に返った私はもう一人の人生について考えていた。
・地方で暮らす、零細企業勤務、35歳正社員の休日
僕は生まれ育った地元で生活している35歳の男性。
土曜日の朝6時。
まだ薄暗い台所で、自分で沸かしたインスタントコーヒーをすすりながら、テレビで今日の天気予報を確認する。
ワイシャツの襟はすでにくたびれていて、ボタンの糸が緩んでいるが、新しいのを買う余裕はない。
世間はすっかり休日モードだが、僕は今日も仕事。
週6日勤務、手取りは月20万円ちょっと。
「生活できているだけマシ」と言い聞かせながらも、気持ちは晴れない。
職場までは車で20分。
ガソリン代もばかにならない。
勤務先は地元の零細製造業。
社長はワンマン経営で、気分次第で怒鳴り散らす。
勤続10年を超えているので、名目上の役職はあるが、それに似合った手当があるわけではなく、いわば「名ばかり管理職」。
部下はいるものの、高校を卒業しても、進学や就職先がなく、地元にしか居場所のなかった使えない若者ばかりで、仕事が出来ないだけならまだしも、上司である自分をバカにした目で見てくる。
命令すれば反発され、黙っていればナメられる。
「何のためにここで働いているんだろう」と思っても、他に転職出来そうなあてもない。
昼休みは、唯一の楽しみ。
歳の近い同僚とコンビニ弁当を食べながら、「社長の説教、今日も意味不明だったな」、「俺の部下がまだ仕事を覚えていないぺーぺーなのに、もう『辞めたい』なんて言っている」と愚痴をこぼし合う。
酒もタバコももう止めた。
というより、止めざるを得なかった。
昼食代を除くお小遣いは月1万で、コーヒー代と床屋で終わってしまう。
いつもは21時前まで仕事が長引くこともあるが、この日は取引先の多くが休みだったこともあり、18時過ぎに帰宅できた。
僕とパートで働く妻の給料ではマイホームを購入できる見込みはなく、実家をそのまま使って暮らしているが、親と同居していることに、彼女はずっと不満を抱えている。
「気を遣う」、「自由がない」と何度となく言われてきた。
日曜は唯一の休み。
妻は自分を置いて、子どもたちだけ連れて近所のショッピングモールやファミレスに出かけている。
もちろん、自分は最初から誘われず、遊びに出かける時は、僕や両親の食事のことなど全く考えない。
「俺や親のことも少しくらい考えて欲しい」と言っても、「ただでさえ、家に居たら息が詰まるのだから、子どもたちと過ごす時間だけがホッとできる時間なの!!」と冷たく返される。
妻のそうした言動には当初こそイラ立ちや落胆を味わったが、子どもたちも妻と同様に自分のことを疎んでいることを知ると、次第に誰もいない、または親と一緒にリビングで、一日中テレビをつけっぱなしにして過ごす方が居心地が良いことに気付いた。
バラエティ番組も、ドラマも、正直もう面白く感じないが、音がないと、自分の空虚さだけが部屋に残ってしまう気がして、消すことができない。
ふと、流れてきた転職サイトのCMをぼんやり眺める。
「今の自分にも、やり直しがきくんだろうか?」
そう思っても、履歴書に書けるスキルも、強みも、何もないことをすぐに思い出す。
夜、帰ってきた妻と子どもたちは、何やら楽しげな雰囲気。
だが、自分には声がかからない。
「もう、自分は家族の中でも、給料の運び屋兼実親の介護要員にすぎないんじゃないか」と感じる。
布団に入って、目を閉じても、眠気はやってこない。
代わりに頭をよぎるのは、「自分のどこで人生は狂ったんだろう」という問いと、「10年後は一体何をしてるんだろう」という不安ばかり。
目覚ましのアラームまで、あと5時間。
明日もまた、同じような誰からも必要とされず、満たされない一日が始まる。
35歳、正社員、既婚という点においては、先程のマイホームパパと共通しているが、生活の質は似ても似つかない。
若い頃の自身の能力や、境遇を考えると、仮に私が就職や結婚が出来たとしても、送ることになるのは、大企業に勤め、都心部の郊外に一軒家を構えるマイホームパパではなく、職場や家族から蔑まれ、休日に一人ぼっちでテレビを眺めながら、「どこで自分の人生は狂ったんだ」とぼやく後者の中年オヤジとしての人生だったことだろう。
それに気付いた時、不思議と肩の力が抜けた。
もちろん、今の自分の生活も楽ではない。
非正規雇用、結婚もしていない、都内での一人暮らし。
将来に対しての安心感もまるでない。
だが、その生活の対角線上にあり、今の生活に転落しなければ得られたであろうものは、必ずしも大企業勤めのマイホームパパというわけではない。
地方在住で家族にも仕事にも恵まれないながら、必死に生きる人たちの人生を否定するつもりはないが、私にはとても耐えられそうになく、それだったら今の生活の方がまだ恵まれていると感じる。
・大多数はこちらの生き方
今回の話は私の個人的な体験から派生したものだが、「働き盛り」や「(結婚)適齢期」と呼ばれる年代で未婚の非正規労働者が「自分も正社員だったら、今頃は結婚して家庭を持っているはずだった…」と考えていることは少なくない。
90代以降の不景気や労働者派遣法の緩和により、正社員として働くことが出来ない労働者が増え、それまでのごく普通の生活を送ることが難しくなったことが理由だろう。
そのような人は決まって、このような恨み節を唱える。
「生まれる時代さえ違えば、自分も普通の人生を送れたのに!!」
そこで語られる「得られたはずの普通の人生」とは「電車に乗って東京都心部の会社へ通い、都内もしくは関東郊外に一戸建ての家をローンで買い、日々の生活に不満を持ちつつも、家族や仕事仲間から信頼され、安定した人生を歩んでいる姿」と相場は決まっている。
分かりやすく例えると、クレヨンしんちゃんに登場する「野原ひろし」なのだ。
だが、生涯未婚率が男女共に5%を下回っていた昭和時代ですら、大多数の人が彼のような人生を歩んでいたわけではない。
もう5年ほど前になるが、こちらの記事で取り上げたように、しばしば「普通の(日本人の)生き方」と言われる「学校を卒業→大企業に就職して地元を離れる→年功序列・終身雇用のレールに乗り定年までサラリーマン人生を全うして、その間に結婚、マイホームの購入、子どもを大学卒業まで育て上げる→定年退職後は年金で悠々自適(女性であればそういった人と結婚して主婦になる)」という人生を送れたのは1950代生まれですら約34%であり、80年代生まれのおよそ27%と比較すると大幅に減少しているわけではない。
かつての日本が「誰もが安定した人生を送ることが出来た」と言われていたのは、その34%に入れなかった人たちが、年功序列や終身雇用などなくとも、地元で暮らす親族や友人といった社会資本に支えられたに過ぎない。
そして、今の時代に不安定な暮らしを送る人が増えたのは、地方経済の地盤沈下により、以前であればそうした社会資本に支えられていた人が、地縁もない都会で非正規労働をすることによって生じたものである。
大企業の福祉から漏れても安定した生活を送ることができた人間については、同記事に登場した私の元同僚がその最たる例で、自身は「貧しいながらも娘二人を立派に育て上げた」と自慢していたが、彼は結婚後も定職に就いておらず、看護師として働く妻が長らく家計を支え、娘の大学と短大の進学費用は奨学金を借り、返済は当事者に丸投げという体たらくだった。
「一家の大黒柱として金銭面では家族の全責任を持つ」という大企業の正社員モデルを視点にすると、彼は世帯主の責任を果たしていないバカ親(クズ親)ということになる。
そんな人物でも家庭を持ち、娘二人を育てることが出来たのは、大企業モデルにおいて、男性家長が負担すべきだった妻の扶養や娘の教育費を家族に負わせていたからである。
言い方を変えると、「彼が家族を養っていたのではなく、彼が家族に支えられていた」のだ。
さすがにここまで情けない男は極端かもしれないが、昭和時代に「結婚して、安定した生活を送ることが出来た」と言われる人の中には、このように野原ひろしとは似ても似つかない人生を歩んでいる人が少なくないのだ。(本人の自己評価は別にして)
私がイメージした地元で暮らす冴えない35歳の男性のように。
もちろん、たとえ立派でなくても、うだつが上がらなくても、「誰かと一緒に居れるだけで救われる」という人にとっては、そんな毎日であっても、常に孤独を抱えている独身非正規生活よりマシなのだろう。
しかし、自分よりも遥かにキラキラした暮らしを送っているマイホームパパを見かけて「自分だって本当は…」と嫉妬したり、後悔することは独身非正規の暮らしと何も変わらないのではないか?
「こうだったらいいな」と夢や理想を求めるのは自由である。
だが、都合が良い「ありあえたかもしれない人生」に固執して、努力を怠る人間は、たとえ時代や雇用形態が違っても、結局のところ、今と大差ない人生を送ることになるだろう。