前回の記事では、夫婦そろって総合職で働くため家事の時間が全く取れない家族が、実家でプー太郎をやっている夫の妹を家事手伝いとして引き入れることで問題を解決した話をした。
これはあくまでも「男が外で働き、女は家で家事をして、二人だけの力で家族を守るべきだ!!」という固定観念を捨てて、自分たちに合った家族の形態を選んだことが重要なのであって、私は別に「すべての人がそうすべきだ」と言いたかったわけではない。
彼らは二人ともそのような働き方が自分たちに合っていたが、すべての人たちがバリバリと働く必要はない。
そもそも私は家族を犠牲にしなければならない働き方こそが諸悪の根源であり、先ずはそれを是正すべきだと思っている。
しかし、「家事は専門のメイドさんにアウトソースしましょう」という考えはより彼らを長時間労働に向かわせる結果になるだろう。
また、(すべての家事を女性に押し付けることは不公平であるにせよ)「女性は家事があるから仕方ない」という認識が長時間労働の要求に対して一定の歯止めになっていることは否めない。
ということで、今回はその「自分は家事をしなければならない」という建前を取り繕うために結婚制度を利用した夫婦のケースを紹介したい。
・僕は非正規雇用で充分です
これは自分たちの生活を守るための防波堤として結婚を利用した夫婦の話である。
今回紹介する人物のプロフィールがこちら。
名前:ムラタ(仮名)
性別:男性
職業:一般事務
住まい:西日本の都市圏
年齢:42歳
家族:妻(44歳)
彼は西日本の都市圏で一般事務の仕事をしている。
高校を卒業した後は製造業で正社員として働いていたが、会社に命じられるままに現場や勤務時間が変更させられて、毎日のように何時間も残業させられる働き方に耐えかねて5年で退職した。(よく5年も続いたと感心するが…)
それ以降は派遣社員として軽作業や事務の仕事をするようになり、一度も正社員として働くことはなかった。
理由はかつて正社員として働いていた時とは違って、職務内容や勤務時間が定められており、定時退社が基本で、残業をすればきっちりと残業代が支払われるからである。
そして、煩わしい人間関係に悩まされることはない。
彼はこれからも正社員として働くつもりはない。
よく、「派遣社員は正社員と違って、ボーナスや退職金、家賃補助などの福利厚生がないから生活が苦しいのでは?」と言われることが多いが、この心配は半分本当だが半分は違う。
派遣社員は大企業で働くことが多い。
そのような会社の正社員と比べたら、福利厚生が大きく劣っていることは事実だが、それはあくまでも恵まれている環境の正社員と比較した場合の話である。
「正社員」という肩書であっても、ボーナスや退職金はおろか交通費や残業代(さすがに残業代は違法である)さえ出してもらえない会社など世の中にはごまんとある。
そんな劣悪な会社の正社員と比べたら派遣社員の方が仕事だけでなく、待遇面でもよっぽどマシである。
彼はこうして「早く正社員になれよ!!」という周囲の声を無視して派遣社員として働き続けた。
しかし、30代中盤になると、年齢の壁を意識するようになった。
派遣会社から「この年齢では紹介できない」と露骨に年齢で差別されることはなかったが、この国には、従業員を採用する際に(違法であるにせよ)年齢で選別する違法行為が横行している。
そして、親の介護や副業などのもっともらしい理由がなく、派遣の仕事を続ける中年男性に対する社会の視線が冷たいことは彼も承知している。
そこで彼はこれからも派遣の仕事を続けていくことは難しいのではないかと思い、派遣先から契約社員への転換を打診された際にそのオファーを受け入れることにした。
もちろん、直接雇用に変わったからといって、労働条件が変わるわけではないことは前もって確認した。
正社員への登用の可能性はないことは知らされていたが、彼にとってはその方が好都合だった。
・結婚を前提にしない付き合い
契約社員となったことで、派遣社員よりも多少は安定した生活の見通しが立ったとはいえ、ムラタはこれからも正社員的なライフコースに戻るつもりはない。
もちろん結婚する気も全くない。
家族を養うなんてとんでもない。
そんなことになったら、嫌な仕事も辞めることが出来なくなる。
そんな彼だったが、長年付き合っている人はいた。
旅行が趣味で、特に東南アジアへ行くことが好きだった彼は職場近くにあるタイ語の教室で彼女と知り合った。
彼女も彼と同じような経歴で、専門学校を卒業した後に正社員として数年間勤務した後は都会へ出て、派遣社員として10年以上一人で生計を立てていた。
正社員にならない理由は派遣の方が仕事が楽だし、稼げるからである。
彼と彼女のウマが合ったのは趣味の一致だけでなく、この正社員で働くなんてバカらしい感で意気投合した。(余談だが、私も彼らとは気が合いそうな感じがする)
そんな二人が出会ったのは、今から8年ほど前だった。
二人とも他に親しい友人がいなかったため、仲良くしていくうちに自然と付き合うような形になっていたが、互いに結婚する気はなかった。
彼が結婚する気がないのは前出の通りだが、彼女は両親とあまりいい関係ではなく、家族に対していいイメージを持っていなかった。
そして、年齢も30代後半になったことで、子どもを産める可能性が下がり、「自分が結婚することはないだろう」とあきらめていた。
もっとも、彼女は結婚するつもりはなかったためか「婚期を逃した!!」と悲観することはなかったらしいが。
二人とも、互いに非正規として自立できる程度に金を稼いで、休日に楽しく遊ぶ間柄であることに満足しており、これからもこの関係を続けたいと思っていた。
・幻の世帯主に守られる
そんな彼らだったが、3年前に結婚した。
決して、彼らの考えが変わったからではなかった。
籍は入れたが、同居もしなかった。
「自分たちは普通の家庭など望んではいないし、作れるとも思っていない。しかし、今の生活を続けるにしても、結婚した方が都合がいい」
そう判断した。
たしかに、税制や社会保障の面で結婚した方がはるかに得になることが多い。
しかし、それは夫がそれなりの稼ぎがあり、妻が扶養内であればの話である(男女の役割が逆転しているケースもある)。
彼らのように、自立しているとはいえ、互いに非正規用としてはありふれた収入の家庭では扶養者控除も配偶者控除も国民年金第3号も役に立たないのでは?
彼らが考える「結婚した方が得」だと考えるのは経済的な理由ではなく、「既婚」というステータスが有効だからである。
ステータスという言葉を聞くと、この記事で書いた「結婚道徳バカ」を連想するが、彼らが望むものはそのような見栄ではない。
たとえば、「結婚して家庭があるから家事をしなければならない」という大義名分があれば、常に定時で退社することができるし、面倒な社内行事への参加も堂々と断ることができる。
そして、何より正社員にならないことをしつこく糾弾されることがなくなる。
ムラタも結婚したことを伝えると知人や同僚から、
「契約社員なのに結婚したの!?」
「家族を養うためにも他所で正社員の仕事を探した方がいいのではないか?」
と言われることが多々あった。
しかし、その時も「ウチは妻の方が仕事を頑張っているから、家事は主に契約社員で働く僕が担当しているんですよ。ハハハ…」と言って、結婚したことを上手く利用して、非正規の仕事を続ける正当性を主張した。
ちなみに、結婚後も世帯主は別々にしている。
そうすることで、会社から実際の妻の収入を把握される危険性を少しでも減らしている。
一見すると不可解に見えるが、「それが男としてのせめてものプライドですから」と言うと周囲(特に男性)はすんなりと理解してくれる。
幸か不幸か、世帯主として扶養すべき家族がいても何ら特別な手当てなど出ない待遇のため、世帯主になることをしつこく勧められることは多くないが…
もちろん、彼女が彼を経済的に支えるわけではない。
だが、逆に依存するつもりもない。
彼だけでなく、妻も「結婚したから家庭の責任がある」という口実を最大限に利用している。
「非正規の女性なら定時退社が普通でしょ?」と思っている人もいるだろうが、職場の大半が女性で、そこに独身者と既婚者が混在している場合は、既婚者の都合を優先して、独身者が残業を押し付けられたり、遅番のシフトばかり組まされることは珍しくない。
そのため、子どもはいないとはいえ、「夫の仕事を支えるために家事をしないといけない」という理由があれば、彼女も堂々と定時退社が可能になる。
また、「既婚」というステータスは彼女が新しい仕事を探す時も役に立っている。
この社会の独身差別は根深く、「まともな人がこの年齢で独身なはずがない」と「未婚」であることに偏見の目を持たれることが少なくない。
しかし、実態がなくとも「既婚」という書類上の事実があれば、そのような偏見を持たれずに済む。
こうして彼らは互いに幻の世帯主の存在をチラつかせ、「既婚」や「家庭」という盾を得ることで、過剰な労働要求や偏見から自分を守っている。
・立派な家族など目指さない方が上手くいくのかもしれない
彼らは互いの静かな暮らしを守るために結婚した。
お互いに相手に経済的な支援をするつもりも依存するつもりもない。
あくまでも、この社会で生き抜くための手段であり、人から「当然」だと思われている家族になどなるつもりはなかった。
入籍に必要な証人を除いて、結婚したことを知っている知人は多くない。
彼らは結婚後も手続きに必要な業務連絡を除いて、以前と全く変わらない生活をしていた。
平日はそれぞれの家と職場を往復して、休日に予定が合えば遊びに出かけ、たまには旅行にも出かける。
それで満足だった。
そんな彼らだったが、半年前から同棲を始めた。
その方が、生活費は安くなるし、万が一の時に孤立する可能性も防げる。
それでも、互いに家計は独立したままで、光熱費や家電の買い替えは半分ずつ出し合い、家の掃除は交代で行うと約束した。
同棲を始めたからといって、特に親しさが増したわけではないが、互いに味方がいる心強さは感じるようにはなった。
この展開は彼らも予想外だったが、本人たちが幸せならそれが一番である。
当初は「自分たちは絶対に普通の人のような家庭をつくるつもりはない」と誓った上での結婚だったが、本人たちが意図した目的からかけ離れて、段々とごく普通の仲の良い家庭のようになってきている気がする。
それを伝えると彼にこんなことを言われた。
・まとめ
ある家族は自分たちのみで家庭を維持することをあきらめ、家事を第三者に任せることで家庭を守った。
別の家族はお互いに独立した生活を歩み、子どもを作るつもりがないにもかかわらず、利害が一致したことで結婚することを選択し、結果的に夫婦二人で生活することになった。
生き方は全く違うが、二組とも幸せな生活を送っている。
共通しているのはいずれも、夫婦二人で経済生活を営むことを前提とした「当たり前の家族」であることを捨てたことである。
もしも、彼らが「夫婦なのだから自分たちだけで家事も育児も行わなくてはいけない!!」「子どもも作らず、家計も別々にするのなら結婚する意味などない!!」と従来の結婚観に縛られていたら今の幸せな生活は手に入れられなかっただろう。
前回の記事でプー子が結婚しない理由を聞かれた時にこんなことを言った。
「私は主人公じゃないもん」
私はそれを聞いて10年以上前に見たあるテレビ番組のことを思い出した。
幼稚園だか小学校だかは覚えていないが、学芸会で「みんなが主役」と称して、すべての子どもが桃太郎やかぐや姫を演じる劇が紹介された。
その番組に出演していたコメンテーターが「これは(身)分をわきまえずに、『みんなが同じ』『みんな平等』であることが素晴らしいという悪しき戦後教育の成れの果てだ」と得意げな顔で力説していた。
なるほど。
今になって彼の言いたかったことが理解できた。
個別の事情や能力を無視して、すべての人が結婚し、子どもを育てて、父や母として、家族の主人公になることが、従うべき唯一絶対普遍的な家族モデルだと考える皆婚思想も「全員が主役になること」を押し付ける悪しき戦後の風習と言えよう。
少し話が脱線したが、家族や結婚といった制度は、あくまでも人が幸せに暮らすための道具に過ぎず、それに過剰なまでに縛られると、かえって不幸になるという本末転倒な事態になることを忘れないでほしい。