有能派遣社員の本性をただ一人見抜いたバカボン課長

これは以前派遣社員として働いていた職場でのお話。

そこでは同じ業務に従事していた派遣社員の先輩が6人いたのだが、その中に飛びぬけて仕事ができる女性がいた。

同僚の派遣社員も正社員も口を揃えて、彼女のことを「仕事ができる人」と称していた。

そんな優秀な人の誰も予想していなかった過去と、その素性を見抜いていた意外な人物とは…

2人分の仕事をこなすスーパー派遣社員

今回舞台となる職場では正社員の仕事と派遣社員の仕事が完全に分離しており、私たち派遣社員は計7人で当番業務をローテーションしながら仕事をしていた。

私が働き始めて3日目だったと思うが、その日の教育担当者は40代の女性だった。

彼女はとても気さくで面倒見がいい人で、仕事部屋で二人きりになった時に業務の話だけでなく、部署内の人間関係のこともいろいろと説明してくれた。

たとえば、「あの人はパソコンの操作に詳しい」とか「あの人は結婚して苗字が変わったけど、旧姓を気に入っているから、同僚はそちらで呼んでいる」とか。

その中の一つにヤスダ(仮名)という30代の女性派遣社員についての情報があった。

彼女は仕事のあらゆる面でずば抜けて優秀で、勤続年数半年にもかかわらず、あっという間に先輩たちを追い抜いて、今では派遣社員2人分の仕事をこなしており、例外的に正社員の仕事も任される程だという。

私に話をしてくれた女性はこんなことを言った。

先輩派遣社員:「ヤスダさんは特別な人だから、間違っても『あの人にみたいにならなくちゃ!!』なんて思ったらいけないよ。そんなことをしたら自信を無くすから」

数日後、私はヤスダから仕事を教わることになった。

聞いていた通り、彼女は「とても仕事ができる人」という印象を受けた。

最初に仕事を教わった時も、マニュアルに書いてあることを説明しながら、実際に私に操作させるというごくありふれた指導法なのだが、私が操作に集中できるように、説明しながらマニュアルに手書きでポイントをメモしてくれるなど、些細だがありがたい気配りを見せてくれた。

また、私が間違えた時は、大声で失敗をあげつらったり、「人に聞く前にどこが違うかを自分で考えてみて」とネチネチと糾弾するのではなく、さりげなく指摘したり、自然と自分から間違いに気づくよう仕向けてくれた。

その指導力の高さは「この人は教員免許の所持者なのではないか?」とさえ思うほどだった。

単純作業の量が多く時間が長引くであろう時は、繰り返しとなる仕事は自身も手伝い、私が焦らずに仕事を覚えることと、仕事を定時内に終わらせることの二つを完璧に両立させていた。

その上、私に仕事を教えながら、自分の仕事も淡々とこなしていた。

知り合って数日だが、彼女の優秀さは十分理解できた。

しかも、彼女は気取ったり、偉ぶった態度は全く見せない。

「スマート」という言葉はこの人のようなことを指すのだろう。

本職ではない教育でさえ、こんな能力を発揮しているのだから、通常時の彼女の仕事ぶりは本当に派遣社員2人分の量をこなしているようだった。

というよりも…

「何でこんな人が派遣社員で一般事務の仕事をしているんだろう?」

ちなみに、私たちの仕事は部署内で完結する業務だけでなく、他部署との連携が必要なこともあったのだが、彼女の優秀さは他部署からも評判だった。

真偽は不明だが、私たちの課長曰く、彼女の仕事ぶりがあまりにも評判なため、他部署からは「ぜひともウチ(の部署)に欲しいから、早く正社員に登用して欲しい」との要求が殺到しているらしい。

そんな彼女であるが、仕事中に私語は一切しない。

決して、不愛想というわけではなく、人から話しかけられたら相応に対応するのだが、私生活のことはほとんどの同僚が知らない神秘的な人だった。

先ほど、彼女の年齢は30代と書いたが、それもだいぶ後になって判明したことで、私が働き始めた時点では誰も知らなかったらしい。

(※:派遣社員を採用する時は個人の特定を禁止しているため、面談の場では職歴を説明することはあっても、年齢や(資格が必要な専門職の採用を除き)学歴についての情報は明らかにされない)

・あまりにも仕事が出来ない課長

どんな会社でも同じだろうが、優秀な非正規労働者がいる一方で、無能な正規労働者もいる。

先ほど、少し他部署との連携の話をしたが、その際に関わる人で某部署の課長(50代男性)がいた。

彼は、部署の専門用語を知らなかったり、2年前に導入された社内ソフトも使いこなせないなど部の内外で「仕事ができない人」と有名な人物である。

メール連絡の確認もあまりに遅いため、「彼へメールを送る時だけは必ずCCに部署の代表アドレスを入れる」というルールも作られていた程である。

彼には課長という肩書があるが、これは仕事を評価されて昇進したわけではなく、「さすがにあの年齢で役職を付けないというのは組合が黙っていないだろう…」という政治的な理由で役職を付けたらしい。

彼が課長になった時、部署には「課長補佐」というポストが新設された。

これは「彼が課長では仕事が成り立たないので、実質的には『課長補佐』に部署をまとめてもらおうという会社の意向」だという噂もあった。

彼は天才バカボンに出てくるバカボンのパパのような外見をしていたため、ここでは彼のことを「バカボン課長」と呼ばせてもらう。(この記事に出てくる鮮魚部門の社員の「バカボン」(仮名)とは別人)

バカボン課長は私たちの業務連絡に対しても頓珍漢な反応をすることが多く、私たちを何度も困惑させていた。

ある時は彼によって、私たちの部署に多大な混乱が起きたため、部下である課長補佐が謝罪に来たこともあった。(バカボン課長は来なかった)

私たちはせいぜい「たまに会って、迷惑を掛けられている」くらいの被害で済んでいるが、「毎日彼と共に働く人はどんな思いをしているのだろう?」と心配になる。

休憩中に彼の部下が「何であれをクビにできないんだ!!」と陰口を言っていたのは秘密の話である。

・唯一の取り柄

有能な派遣社員のヤスダと仕事が出来ない正社員のバカボン課長。

この対照的な二人が意外な形で相対(あいたい)することになった。

きっかけはヤスダがバカボン課長へ業務資料を届けたことである。

例によって、その内容は完璧だったため、彼は(内容を理解できたのかは定かではないが)、彼女の席を訪れて直接お礼を言った。

「そんなのメールで連絡すればいいのでは…」と思うが、彼は勤務時間中も「息抜き」と称した社内のお散歩が好きらしく、この時もその一環だったのだろう。

そして、同僚との無駄話も同じくらい大好きなようである。

この時は私たちの課長と話を始め、そこでヤスダのことを褒めちぎっていた。

バカボン:「それにしても、あのヤスダさんって人は凄いなあ」

課長:「ええ、彼女は『抜けたらウチの部署は仕事が回らなくなる』と言われているくらい優秀で頭が良い人ですから」

バカボン:「そうなんだ。俺はどちらかというと『彼女はとても気持ちが強いタイプの人』だと思う」

これまで淡々と仕事をこなしてきた彼女のことを、課長と同じように「優秀な人」、「頭が良い」と言う人はたくさん見てきたが、「気持ちが強い人」と称する人は見たことがなかった。

このやり取りは課長以外の人も聞いており、彼らは皆「また、バカボンが変なこと言っているよ」という冷ややかな反応だった。

数ヶ月後、ヤスダは契約満了で退職することになった。

詳しい経緯は不明だが、退職理由は自己都合で、課長は何度も説得を試みていたらしい。

退職の一週間ほど前から、彼女も硬さが取れたのか、少し明るくなって、素性も明かすようになった。

30代という年齢もその時に知った。

あれほど優秀で仕事ができた上に、人に仕事を教えることが上手かった彼女であるが、実のところ、最終学歴は高校中退で、3年前までは肉体労働を転々としており、それまでは仕事でパソコンを使ったこともなかったらしい。

事務職に就いたきっかけは、コロナの発生で失業していた時に、失業者対策のような形で行われていた派遣の大量募集の仕事に応募したことであり、そこからは短期の派遣の仕事を渡り歩きながら、スキルアップを重ねた苦労人だったのである。

彼女のことを高く評価していた同僚や課長も、彼女の学歴や若い時は肉体労働を中心に働いていた過去は知らず、大変驚いていた。(邪推だが、就業前の面談(違法面接)の時は派遣会社が上手くキャリアシートを誤魔化したものだと思われる)

私も驚いたが、同時にバカボン課長が言った「彼女は気持ちが強い人」という言葉を思い出した。

「優秀なこと」と「気持ちが強いこと」は全く矛盾しないが、中卒でいくつもの仕事を転々としてきた彼女が、人並み以上に仕事をこなすことができた要因は、執念や負けん気といった気持ちの強さによるものが大きかったのではないだろうか。

身近にいた私たちでさえ全く気付かなかった彼女の過去を他部署のバカボン課長が事前に知っていたとは考え難い。

何をやらせてもダメだと思われていた彼だが、人の素性を見抜く目だけは超一流だったのかもしれない。

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