今日は7月20日。
元・海の日である。
この日が海の日を剥奪されてしばらく経つが、私の中ではまだ「海の日=7月20日」という感覚が抜けない。
ところが、最近知って驚いたのだが、7月20日が海の日だったのは、1996年から2002年までのわずか7年間だけだったのだという。
2003年からは「ハッピーマンデー制度」によって、海の日は7月の第3月曜日へと移されてからは、すでに3倍以上となる22年が経過しているというのに、未だにその図式が脳裏に焼きついている。
いかに幼い頃の記憶が後々の人生に大きな影響を与えるのかということがよく分かる。
・変わったのはどっち?
日付が変わったとはいえ、海の日を迎えると、今も昔も「いよいよ夏本番だな」という気持ちになる。
子どもの頃、この時期は夏休みの始まりということでワクワクしていた。
終業式の日、教室の窓から差し込む太陽の光も、校庭に響くセミの声も、すべてが「自由」の象徴のように思えた。
これから始まる長い夏休みを想像すると、無限に広がる可能性され感じる季節だった。
そんな純粋な心を持っていた日々から何年経ったのだろう。
今では、海の日を迎えても心が躍ることはない。
連休初日の朝、カーテンの隙間から差し込む光は、かつて感じた「自由」ではなく、「警告」のようだ。
外に出れば、モワっとする湿気と熱気に体力を奪われ、夜になっても眠りは浅い。
夏は、こんなにもしんどい季節だっただろうか?
今も昔も「海の日=夏本番、これから1ヶ月は…」という認識に変わりはない。
だが、今は子どもの頃のような「自由で楽しい日が続く」という期待感など微塵もなく、むしろ「暑くてしんどい日々が続く」という絶望感しかない。
これから迎える夏本番をイライラしながら身構えているその姿は、まさにかつて「こんな人にはなりたくない」と心に抱いていた「夢がない退屈な人生を歩んでいるおっさん」そのものである気がする。
自転車に乗って、無邪気に友達と遊びに出かけるあの頃の自分を、今の自分が見たら、きっと「あの子は何でこんなクソ暑い中、楽しそうに外出しているのか?」と苦笑いするだろう。
けれど、あの頃はそれが当たり前だった。
暑さも楽しさのうちだったし、汗をかくことも全然嫌ではなく、「日焼け、何それ?」状態だった。
けれど今は違う。
起床すると太陽の光を浴びると、「今日も暑い一日か…」と絶望し、少し外を歩いただけで額も下着の中も汗でビッショリになり、水をがぶ飲みしたことで尿意を催しトイレへ入ると、拷問部屋へ入れられたように感じる。
こんな季節は嫌だー!!
かつて暑さも楽しんでいた無邪気さなど、気づかないうちにどこかへ置き去りにしてきたようだ。
年齢のせいなのか、時代のせいなのか。
きっと両方なのだろう。
気候は確実に過酷になってきているし、年齢とともに体の調子も変わってくる。
それでも心のどこかで、「あの頃のように、また季節にときめきたい」と思ってしまう自分がいる。