
意図せずに始まった「結婚や恋愛は意外な所に落とし穴があるシリーズ」も今回が最終回となる。
今回のテーマは「恋愛結婚は本当に不幸な未来しか生まないのか?」である。
近年、日本社会の少子化や未婚化が深刻になる中、ネットではしばしば
「自由恋愛が悪い!」
「昔のようにお見合い婚を復活させろ!」
といった主張が飛び交う。
そこには思うようにマッチングが進まない強い苛立ちと「現代は間違った恋愛観に毒されている」という断罪的な雰囲気すらある。
一見すると荒唐無稽に見えるこれらの議論だが、その背景には彼らなりの論理体系が存在している。
今回は恋愛結婚批判派が繰り返す主張点を整理して、その主張に批判的な点と賛同できる点について見てみよう。
・アンチ恋愛結婚主義者(お見合い復活論)の主張

SNSや掲示板などで見られる恋愛結婚批判派は主張は以下のようなものである。
①:自由恋愛は「弱肉強食」を生む
彼らがもっとも強調するのは、「恋愛市場では一部の容姿・能力に優れたモテ層に人気が集中する」という点である。
自由恋愛は「自由競争」であり、その結果はしばしば少数の勝者と多数の敗者を生む。
お見合い制度の時代は、地域や親類が仲介することで「人気の分散」が起こり、極端な偏りは避けられて、健全な婚活として機能していた。
それがなくなったために、「モテる人だけがモテ続け、モテない人は永遠に機会を得られない」という不満が噴出している。
②:恋愛結婚は相手への高望みが無限大
彼らによれば、恋愛結婚では相手に求める条件が多すぎて、「普通の人」が結婚市場から排除されやすい。
身長、容姿、年収、コミュ力、マメさ、話題力、趣味の一致、価値観の一致…。
相手に求める要素が増えるほど、必然的に「平均的な人」は相手にされなくなる。
それに対して、お見合い婚は結婚後の安定のみが重視されるため、相手に多くのものを求めない。
③:マッチングアプリがその傾向を加速させた
マッチングアプリは「疑似人気投票」の場になりやすい。
大量の人の中から条件で検索して、簡単に比較し、合わなければ即切り捨てられる。
結果として、関係の耐久力が下がり、少しの違和感で別れが発生する。
一方のお見合い婚は、一人の相手とじっくり関係を築くので、そうした他人との比較とは無縁。
④:お見合いは恋愛が苦手な人でもチャンスがある
恋愛結婚は結婚へ辿り着くまで上記の通り、壮絶なモテレースを生き抜かなければならないが、お見合い結婚はそのような面倒で時間がかかり、努力が空振りに終わることもない。
そして、誠実な性格で、結婚後は堅実な結婚人生を歩める人が、恋愛下手という弱点のみで篩にかけられることもない。
つまり、非モテや恋愛弱者に優しい。
それを全否定して、「恋愛!! 恋愛!!」と叫ぶのはけしからん!!
上記の積み重ねから、彼らは「自由恋愛が社会を壊した」という結論に至る。
・お見合いは恋愛弱者を救済しない

しかし、彼らの議論は全体として粗く、決定的に現実とずれている。
特に「お見合いこそ万人に平等な制度だ」という理解は、あまりにも的外れだ。
その点については、過去の記事で何度も取り上げてきた。
だが、悲しいことに全く反響がないので、「彼らの主張がなぜ空論なのか」を改めて説明したい。
誤解①:恋愛結婚とお見合い結婚は「対立する価値観」ではない
恋愛結婚批判派の議論で最も大きな誤解は「恋愛結婚」と「お見合い結婚」を完全に対立するものとして捉えている点である。
この2つは全く矛盾しない。
お見合いは親族が一方的に結婚相手を決めるアレンジ婚と異なり、お互いに「この人と会いたい」という気持ちがなければ成立しないし、顔合わせ後即結婚ということはほとんどなく、最終的に結婚するかどうかは当人同士の意思に委ねられていた。
そのため、お見合い結婚と恋愛結婚を完全に切り離すことは不可能である。
たとえば、知り合ったきっかけはお見合いで、最初は乗り気ではなく、紹介してくれた知人との付き合いもあって断り切れずに嫌々会うことになったが、実際に相手と接することで徐々に好きという気持ちが芽生えたことで結婚を決断した場合は、どちらにも該当する。
つまり、恋愛結婚とお見合いは矛盾しないし、お見合いこそ自由恋愛の対立軸である」という認識は完全に誤りである。
誤解②:お見合い結婚は「低スペックほど有利」ではない
恋愛結婚批判派が強調するもう一つの幻想がこれだ。
「恋愛は外見やコミュ力の強い者が勝つ不平等なゲームだ!!」
「その点、お見合いなら誰でも平等にチャンスがある!!」
しかし実際には真逆である。
お見合いをするためには、釣書と呼ばれるエントリーシートにプロフィール情報を記載して、相手に興味を持ってもらう必要がある。
写真、職業、年収、婚歴、家族構成、学歴、生活基盤……
今時の言葉で表現するとまさに「スペック」であるが、これらの要素が期待値を下回れば、そもそも「会ってもらう段階」にすら進めない。
どれほど人柄が良くても、どれほど誠実でも、この書類審査を突破しなければ、面談にたどり着けないし、何も始まらない。
これは、身分詐称や共通の知り合いがいないが故のわがままで無責任な行動を防ぐことが出来るという2点を除くと、彼らが敵視しているはずのマッチングアプリと全く同じではないか?
スペック偏重社会の最たるものは「お見合い結婚」である。
一方で、意外かもしれないが、恋愛結婚の方が日頃の行いによってチャンスを掴める可能性がある。
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学校や職場で日々接する中で良いところを見てくれる。
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たまたま趣味や価値観が重なるきっかけが生まれる。
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長く接する中で外見の魅力以上の部分を評価してもらえる。
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スペックで比較される前に、人柄で評価される機会が圧倒的に多い。
恋愛結婚批判派の「お見合いは平等!」という主張は、制度の実態を知らない人ほど言ってしまう幻想なのだ。
誤解③:なぜかプラトニックな恋愛を想像できない
そもそも彼らは「恋愛」という言葉に対して、脊髄反射的に以下のようなケバケバしい様子を連想している。
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合コンやマッチングアプリのように複数の候補者の中から見た目やコミュ力に秀でた者が選ばれる。
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そうした魅力がない人は、スタートラインにも立てない。
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相手への期待値だけが異常に高くて、自分を恋愛ドラマの主人公のように過大評価。
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デートをする時はインスタ映えするお洒落なお店を選ぶ必要があり、男性であれば、女性をスマートにエスコートしなければならない。女性であれば上品に振舞わないといけない。
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このように常に相手が自分にときめいてくれるような演出をしないといけないから疲れる。
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少しでも思い通りにならなかったり、他に目移りしてしまう人がいると即ブロック。
恋愛とはこのように、非常に金がかかり、欲望や承認欲求がドロドロ渦巻くものなのだ、と。
しかし、純粋に「好き」とか「一緒に居たい」という気持ち、相手に対して優しさや思いやりの感情を持つこともれっきとした恋愛である。
誤解というよりも、「なんでこんな当たり前のことも分からないんだろう?」と不思議に思う。
・お見合いは他人が都合の良い相手を召し出してくれるという浅はかで傲慢な姿勢

恋愛結婚批判派の人たちは「自由恋愛は平凡な人同士の結婚機会を破壊した」と信じて疑わないが、彼らの主張の中心にあるのは「恋愛という制度そのもの」への怒りではなく 「自由恋愛が(彼ら自身にとって)不利に働いた」という不満である。
だが、そうした私怨から生まれる理論は恐ろしく虚しくて、利己的な本音を隠せていない。
加えて、彼らの「自分には異性としての魅力はないけど、お見合いして結婚さえすれば、安定した家庭を築ける」という自信はどこから湧いてくるのかも不思議である。
彼らが求めているものを一言で表せば、「絶対に自分が傷つかない結婚制度」である。
自覚があるかどうかはともかく、彼らはお見合いさえすれば、自分が決して労力を伴わず、リスクを取らずに、どこかの誰かが自分にとって都合が良い相手を連れて来てくれると思っているのだ。
彼らの言葉を聞くと、常に次のような願望が透けて見える。
「自分は選ばれる側でありたい」
「自分は拒絶されたくない」
「相手から一方的に肯定されたい」
「自分より魅力的な人と比較されたくない」
これは、結婚を「自分の承認欲求を満たしてくれる制度」として捉えている発想だ。
しかし、結婚は常に相手の意思があって成立するものだ。
誰かが「あなたと結婚したい」と思わなければ絶対に成立しない。
それにもかかわらず、恋愛結婚批判派の多くは、自分が満たされることばかり考えて、相手の意思を軽視している。
「自分を受け入れてくれる結婚制度が必要だ」と語るその考え方は、世界各地に存在してきた「誘拐婚」と1㎜の違いもない。
誘拐婚とは、女性の意思に関係なく連れ去って結婚を迫る風習のことだ。
もちろん現代では人権侵害として廃絶されつつあるが、「自分が拒否されない制度こそ理想」という価値観は、本質的にそれと非常に似ている。
それこそが、彼らが異性に相手にされない最大の理由でもある。
彼らは恋愛に向いていないことは同意するが、それは決して異性としての魅力ないからではなく、相手の気持ちを思いやるという人としての当たり前の感情が欠如しているからではないのか?
他者の気持ちに無関心な態度では、恋愛結婚だろうとお見合いだろうと、誰からも選ばれないのは当然の結果である。
・「恋愛結婚」ではなく「キラキラ婚」が生み出す歪み

ここまでかなり批判的に述べてきたが、恋愛結婚憎しの人々の言い分の中にも、的を得ている指摘はある。
それは「マッチングアプリやSNSの普及によって身の程を弁えない自己中心的で傲慢な人間が増えた」である。
彼らの誤解③で取り上げた「彼らが想像する恋愛」の例を思い出してほしい。
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複数の候補者から外見やコミュ力のような第一印象だけで選ばれる。
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自分のことを棚に上げて、相手への要求だけが異常に高い。
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恋愛ドラマの主人公のような特別扱いを望む。
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少しでも気に入らない点があれば、話し合ったり、自分が変わることなく、即ブロックして新しい相手に取り換える無限ガチャ。
これは明らかにマッチングアプリで相手を選ぶ感覚や、前々回の記事で取り上げた「ネットde真実の愛」に毒された者たちによって引き起こされる愚行である。
また、彼らの常套句である「自由恋愛が悪い!!」という、言葉通りに受け取れば「あんたは人身売買のような結婚が理想なのか!?」と言いたくなる理屈も、「マッチングアプリで上位10%のモテ男に80%以上の大多数の女性が群がる様子」を想像しているのだと考えれば理解できる。
この点においては彼らに同情するし、私もそのような他人を消費財としか考えないような恋愛は嫌いだ。
ただし、ここで重要なのは、こうした現象は「恋愛結婚」そのものの本質ではないという点だ。
SNSやアプリで起きているのは、好条件の相手と映えの良い関係を追求する恋愛スタイルであり、「恋愛の市場化」と言える。
このような関係では、「相手が好きか」よりも「理想のキャラ設定を満たせるか」が重要視される。
細かな条件、テンション、行動様式まで「正解の型」があり、それから外れると一気に冷める。
アプリやSNSで「もっと良い相手がいるはず」という幻想が常に刺激される。
結果として、「交際の忍耐力が低くなる」、「少しの不満でも乗り換える」、「結婚後の不満耐性も低い」といった問題が現れる。
そして、「外から見て魅力的な関係であること」が最大の価値になり、「継続」より「瞬間の幸福感」が重視される薄っぺらい関係しか築けない。
これぞまさに、恋愛結婚批判論者がやり玉にあげている「恋愛」であるが、恋愛結婚そのものは、「相手が好きだ」という感情に根ざしているため、この認識の祖語によって、議論が噛み合わないのだろう。
こうした関係によって目指される結婚は「キラキラ婚」とでも呼んで、「恋愛結婚」とは区別して論じるべきである。
恋愛結婚批判派が抱いている不満の多くは「恋愛そのもの」ではなく「キラキラ婚」に対する違和感と反発である。
「恋愛結婚が悪い!!」
「自由恋愛が悪い!!」
「お見合い婚の復権を!!」
という彼らの主張には全く同意できないが、その違和感は決して的外れとは言えず、闘うべき真の相手を見誤らないでほしい。
冒頭でも説明した通り、「結婚や恋愛は意外な所に落とし穴があるシリーズ」は今回で終了となる。
当初は企画ものではなく単発ネタとなる予定だったが、同じようなテーマが続いたため急遽予定を変更した。
かつてはジューンブライドである6月にこうした企画をやったこともあり、やるのならその頃にすべきだったのかもしれない。
11月は結婚や恋愛の話をされてもあまり関心を持たれることもなく、たぶんあまり多くの人の目に触れることもないと思われる。
ただ、この季節は年末が近づくこともあり、来年に向けて人間関係を見直す季節でもあるので、今回の企画がそうした人たちにとって少しでも役に立てれば幸いである。
…って、こんな記事を面白おかしく読んで「参考になった!」と考える人は、そもそも恋愛や結婚なんて最初から考えていないだろうけど…(笑)











