
前回の記事では、本題ではないとはいえ、外国人労働者の受け入れについて少し触れた。
今日はその話題を取り上げたい。
外国人労働者の受け入れをめぐる議論では、しばしば「高度人材」という言葉が使われる。
日本でいう「高度人材」とは、主にITエンジニア、研究開発職、金融・コンサルティング、グローバル企業の管理職・経営幹部など、専門的な知識やスキル、比較的高い収入を伴う職種を指す。
ここでは、これらを便宜的に「高度専門職」と呼ぶことにする。
日本は表向きには移民の受け入れを認めていない。
だが、単純労働者ではなく、高度な専門知識やスキルを持つ優秀な外国人を受け入れることは、日本社会や経済に貢献することなる。
こうした考えにより、高度外国人材の受入れを促進するため、ポイント制を活用した出入国在留管理上の優遇措置を講ずる制度が2012年より導入された。
一方で、介護・建設・物流・農業などのいわゆる非高度労働、肉体労働については外国人の受け入れを認めない、あるいは極力抑えるべきだという主張がある。
このように「高度専門職」に限って外国人を受け入れるという考え方を「高度人材限定論」と呼ぼう。
高度人材限定論を支持する人々は、しばしば次のように語る。
「学歴も収入もあり、日本社会のルールを理解できる高度人材なら問題ない」
「一方で、単純労働の外国人はトラブルの原因になりかねないから、断固受け入れ拒否!!」
一見すると、秩序や治安を重視した現実的な意見のようにも聞こえる。
しかし、ここで一度立ち止まって考えたい。
この主張は、本当に最後まで考え抜かれたものなのだろうか。
・視野が狭く浅はかな発想

外国人の非高度労働者の受け入れを拒否する人には、日本社会は外国人なしでもやっていける根拠として、こんな意見を述べる者が少なくない。
「そもそもコンビニの数が多過ぎる」
「外国人を受け入れてまでコンビニの24時間営業なんかいらない」
都市部で生活していると、外国人労働者を目にする機会が最も多いのはコンビニかもしれない。
そのため、「外国人の非高度労働者=コンビニ店員」というイメージで語っているのだろう。
だが、これは極めて視野の狭い認識である。
統計を見れば明らかなように、外国人労働者が最も多く働いているのは製造業であり、コンビニはあくまで小売業の一部にすぎず、外国人労働者全体から見ればごく一部でしかない。
しかも、彼らの多くは留学生なので、外国人労働者の受け入れを拒否したところで、彼らが日本から姿を消すわけでもない。
にもかかわらず、「コンビニさえ減らせば外国人労働者はいらない」という単純な発想が出て来るのは、自分の生活圏で目に見える範囲だけで社会を理解しようとする姿勢の表れだろう。
一方で、全く逆の方向から語られる意見もある。
それが「外国人を雇わなければ成り立たない産業は、そもそも潰れるべきだ」という主張である。
この言葉が向けられるのは、多くの場合、地方の工場や農業、漁業、建設、介護といった産業だ。
これらは、都心部でオフィスワークをしている人にとって、日常的に自分が働く場所として想像しにくい分野である。
しかし、これらの産業が実際になくなった場合、都心部で暮らす人々が無傷でいられるわけがない。
まず確実に起きるのは、物価の上昇だ。
国内で生産されていた食料や製品が減れば、輸入依存は高まり、為替や国際情勢の影響をより強く受ける。
食料品や日用品の価格は不安定になり、結果として生活費は上がる。
さらに、建設や物流、介護といった分野が縮小すれば、住宅コストや医療・介護費用も上昇する。
人手不足によるサービス低下を補うため、公的支出は増え、最終的には税や社会保険料として現役世代に跳ね返ってくる。
「潰れるべき産業」という言葉の裏には、自分がいかに多くの人々の労働に支えられて生活しているか、という想像力の欠如がある。
このように、いかに自分が社会の人々に支えられているかに無自覚で、自分の周囲の世界でしか物事を考えられない浅はかな人間には、社会や国家といった大それた理想について語る資格はないといえるだろう。
・人余りの世界にぶち込んで、人手不足の業界から奪い取る謎

これだけでも十分な気もするが、私が最も重大かつ見落とされている思うのが、高度人材限定論が日本人の雇用に及ぼす影響である。
冒頭で説明した高度専門職を思い出して欲しい。
ITエンジニア、研究開発職、金融・コンサルティング、グローバル企業の管理職・経営幹部…
これらの職種は、能力的に務まるかどうかは別にして、就きたがる日本人の志望者が多い。
単純に仕事内容や給料だけの問題ではない。
スーツを着て大都市のオフィスワークで働き、肩で風を切るように自信に満ち溢れて街を歩き、休日は新築のマイホームで家族と楽しい時間を過ごし、子どもに良い教育を受けさせて、周囲からは「勝ち組」として尊敬の目で見られる。
そんな人生を目指す人は多いと思われる。
そんな地位に外国人の高度人材が参入すれば、競争はさらに苛烈になって、そうした人生を手に入れる人は減ってしまう。
対して、高度人材限定論では「外国人労働者を受け入れるな!」と言われている建設、介護、物流といった肉体労働は人手不足である。
志望者が多い業界に外国人労働者を受け入れて、人手不足の業界から締め出すというのは、本末転倒ではないのか?
高度専門職に多くの外国人が参入すると、彼らとの競争に破れてポジションを奪われる人も大量に生まれる。
彼らは競争に破れたものの、能力が決して低いわけではないため、書類作成、調整業務、形式的な管理業務などのいくつか下のポジションに落ちたとしても、都内でオフィスワークを続ける可能性は高い。
彼らが雪崩れ込むことに加えて、(外国人労働者不要論者が対案として提唱することが多い)AI化の進展によって、「なんとなくホワイトカラー」とでも呼ぶべき、そこまで専門的な知識やスキルを必要としない事務職は急速に席を減らすことになる。
こうして行き場を失った人々は、どこへ向かうのか。
それは、外国人に代替させないと決めたことで、より人手不足が深刻になる非高度労働、現場作業、肉体労働の他にはない。
日本人同士の競争を最も激しくし、その敗者を不本意な形で別の場所へ押し出す。
これが高度人材限定論によってもたらされる姿である。
・高度人材限定論を本気で実現させるための政策

漠然とした話をされてもあまりイメージできないかもしれないので、高度人材限定論を本気で実現するとしたら、次のような政策を実行する必要があると思ってほしい。
・①:大学、大学進学者、進学校を1/4に削減する
外国人との競争が激化するため、高度専門職に就けるのは極めて厳しい競争を勝ち抜いた人たちのみになり、多くの人は肉体労働や現場作業に従事することになる。
そんな世界では、無用な敗者を出さないためにも、大学の数を大幅に削減して、最初から厳しい大学受験を勝ち抜いた一部のエリートのみが高度専門職に就けるようにすればいい。
多くの若者は大学へ進学せず、工業高校、商業高校、農業高校などで実務教育を受け、早い段階から労働市場に参加する。
そうすることで、外国人を排除した非高度労働を担う人材を国内で効率的に確保できる。
ちなみに、1/4という数字はあくまでも私の体感なので、適当な根拠が見つかれば1/3でも、1/5でも構わない。
・②:都心部でオフィスワークをしている労働者を地方の単純労働へ転身させる企業を手厚く支援する
①のように「高度人材限定論」を成立させるためのツケを若者だけに押し付けるのはフェアではないので、すでに働いている人たちにも負担を分かち合ってもらう。
AI化や外国人の高度人材との競争に破れた人の雪崩れ込みによって、これまで都心部のなんとなくホワイトカラーに就いていた者は職を奪われるため、地方へ移ってもらって、そこで介護や建設、運送などの肉体労働を外国人に代わって頑張ってもらおう。
当人に「地方へ行け!」、「現場で汗水流して働け!」と言っても、間違いなく抵抗するので、彼らを強制的に地方や人手不足の現場へ転勤させてくれる企業には減税、助成金、新事業の立ち上げ支援などを行って、協力してもらう。
かつて損保ジャパンが介護事業を立ち上げ、そちらに多くの社員を転属させようとして話題になった。
損保ジャパン4000人削減「介護へ転属」の深層と、この社会のバグ(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社
ぜひとも多くの企業に同じことをやってもらいたい。
こうした政策によって、「外国人は高度専門職のみに限定して、非高度労働は日本人が担う」という高度人材限定論の理想は成立するのである。
ちなみに、高校卒業後、大学へ進学するのは10~20%程度、大多数の人が中卒・高卒で働き、とてもではないが、男一人の稼ぎで家族を養ったり、新築の一戸建てを購入する余裕はないものの、親族から引き継いだ家に住んで、一家総出で働いたり、親族の助けを借りながら一生懸命暮らすという社会は、「日本が最も輝いていた」と言われることが多い1960年代の姿である。
そんな時代に戻れるとは思わぬ副産物となった。
よかったね~😂
それによって多くの人が幸せになるかどうかは、まったく別の問題だが。
・高度人材限定論の正体

結局のところ、高度人材限定論とは何なのか。
それは以下のものに他ならない。
- 自分より立場や能力が下だと見下している外国人労働者への蔑視。
- 「自分は競争に勝てる側にいる」という根拠のない思い込み。
- 移民政策を正面から議論することを避けたい政治家の逃げ。
これらが複雑に絡み合って生まれた産物に過ぎない。
外国人労働者の問題は、「受け入れるか、拒否するか」という単純な話ではない。
それは、日本社会がどの仕事を必要とし、誰がその負担を引き受け、そのコストをどう分配するのか、という極めて現実的な問いである。
高度人材限定論を口にする前に、その言葉の裏側にある現実と、自分自身が支払うことになる代償について、一度は真剣に考える必要があるのではないだろう。








