コロナ渦で露呈した「家族はいつも一緒にいることが日本の文化」のウソ

先週、このようなニュースを見た。

西武メヒアが自由契約、自ら退団申し出「ご家族のことが1番の理由」GM – プロ野球 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

西武、メヒアのシーズン途中での退団を発表 「家族がいないことが本当に大変」 | Full-Count

野球に詳しくない人向けに要点をまとめる。

・埼玉西武ライオンズに所属するベネズエラ出身のエルネスト・メヒア選手が球団に退団を申し出て、了承される。

・退団理由はコロナの影響で家族が来日できず、これ以上単身赴任を続けることに耐えられないから。

・メヒア選手は2014年の途中からライオンズに入団し、およそ7年間プレーして、本塁打王を獲得した実績もある。

・近年は出場機会に恵まれず、2020年には年俸が5億円から1億円までダウンしたが、チームへの愛着を理由に残留していた。(年俸の金額は推定)

一言で言えば、外国人選手が「家族と共に過ごしたい」という理由で、仕事を辞めて帰国したのである。

・億越えの年俸よりも家族と共に過ごす時間

このような形で日本を去った野球選手はメヒア選手だけではない。

巨人スモーク電撃退団決定的 家族来日できず、球団慰留も本人の意思固く – プロ野球 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

ディクソンが退団へ 家族のビザ発給困難で―プロ野球・オリックス:時事ドットコム (jiji.com)

スモーク選手は来日一年目で、言葉が通じない外国で暮らすことに不安や孤独を感じてしまう気持ちは理解できなくもないが、2013年から8年間に渡り日本で活躍したディクソン選手も「昨年は単身赴任で生活していたものの、家族と離れて暮らすことにこれ以上耐えられない」という理由で退団している。

ちなみにこの2選手はアメリカ出身である。

先のメヒア選手も含め、彼らは1億円を超える高い年俸を得ていたが、それを捨ててでも家族と共に暮らす道を選んだ。

念のために言っておくが、私は本人の意志を尊重して、家族を理由に仕事を辞めることについて口出しするつもりはない。(余談だが、私は彼らが所属していたチームのファンではない)

ただ、その一方で、「大の大人が『家族がいなくて寂しいから』って仕事を辞めるか!?」と批判している人の気持ちも分からなくはない。

実を言うと、私も最初にこのニュースを聞いた時は少なからずカルチャーショックを受けた。

だが、「アメリカ人は家族と共に過ごすことを何よりも大切にする」という価値観自体は以前も聞いたことがあった。

随分と初期の頃の記事になるが、「日本人が持つ『海外の人は凄い!!』というイメージは本当なのか?」を当事者に聞いて判断する企画を行った。

その企画の最終話は「アメリカ人の女性は本当に仕事と家庭を両立しているのか?」だった。

彼らは当初、「アメリカでは仕事をしながら子育てをすることは当たり前」というスタンスを取っており、逆に「なぜ日本ではそうしようとしないのか?」を知りたがっていた。

そこで、私は「日本のフルタイムとは一日8時間働くことではなく、会社から命じられるままに勤務地も勤務時間も変更しなければならないから、そのような働き方では子どもを育てることが難しい」と答えた。

すると、彼らは「そんな働き方ではアメリカ人でも無理」と意見を撤回した。

その記事では紹介しなかったが、アメリカ人の男性は日本の社畜的な働き方について、こんなことを言っていた。

アメリカ人男性:「アメリカでは家族と離れて暮らすことなどあり得ない。たとえ仕事でも、それは業務命令の範疇を超えている」

これを聞いた私は半信半疑だったが、今回のように、高い年俸を受け取っているプロ野球選手でさえ、「家族との時間を優先するために仕事を辞める」という選択をした姿を見て、それは事実であることが判明した。(なお、メヒア選手はアメリカではなく、ベネズエラの出身であることを再度申し上げておく)

・「日本人は集団主義」のウソ

今回の外国人選手退団の件で私が個人的に感じたことが2つある。

ひとつは「日本人は集団主義だが、海外は個人主義」という理屈は正しくないということ。

(※:「個人主義」という言葉に対する私のスタンスはこの記事で述べた通りだが、ここでは「集団よりも個人の都合を優先する」というような意味で使っている)

よく耳にする俗流日本人論でこんなものがある。

アメリカは個人主義の文化だけど、日本は集団主義だ。

だから、家族はいつも一緒。

毎日、家族揃って、同じものを食べて、同じ場所で生活する。

この生活が日本人に合った生活なのだ!!

だが、家族と共に過ごすために帰国した彼らを見ていると、むしろ西洋人の方が、常に家族と一緒に行動することを好むのではないか?

あなたが大企業の東京本社で働いているという設定で考えてほしい。

家族と共に東京で生活する同僚が北海道や九州のような遠隔地への転勤を命じられたとする。

そこで、彼は「家族は『東京を離れたくない』と言っている。私も家族と離れて単身赴任をすることはできない。だから、会社を辞めます!!」と言って退職宣言をしたとしよう。

あなたはそれを聞いて、「家族の事情は各々だ。彼がそういう決断をしたのなら、尊重する」と言えるだろうか?

少なくない人が

「甘ったれるな!!」

「家族の生活を守る必要があるからこそ、単身赴任でも頑張れよ!!」

と言いたくなるのではないか?

「それが日本人の習慣だ」と言えばそこまでだが、だとしたら、「個人主義」というイメージが強い西洋人の方が「家族と一緒にいなければ生活できない」と考えていて、逆に日本人の方が「家族と離れても、一人で生きていくことができる個人主義的な考えが強い」のではないか?

ちなみに、先ほどの意見をくれたアメリカ人の男性とは現在も交流が続いており、後にこんなやり取りをしたことがある。

早川:「日本の家庭では、お箸やお皿のような食器は『これは誰の物』というように使用者が決まっていることが多いが、アメリカではそのような所有権はあり得ないと聞きました。それは本当ですか?」

アメリカ人男性:「人が使った食器を洗わずに使うことはありませんが、一緒に暮らす家族なのに食器の使用者を決めるということはナンセンスです。『日本人はアメリカ人よりも、個人の権利が確立していない』と聞いていましたが、全然そんなことはないのですね」

この話からも分かるように、「日本人=集団主義」という考えはそう簡単に結論付けることはできないことが分かる。

・人の振り見て我が振り直せ

もう一つは「家族の絆は人それぞれであり、自分が考える正しい家族を押し付けることはとても恥ずかしい」ということ。

前段の通り、「日本人は集団主義だ」という理屈は眉唾物であり、むしろ海外の人の方が、「家族は常に一緒にいるべきだ」と考えている傾向が強い気がする。

しかし、その事実だけで、「日本人よりも西洋人の方が家族の絆が強い!!」と断言することはできない。

絆のあり方は人(家庭)によって様々であるから。

「家族は一緒にいるべきで、そのためには仕事を辞めることも厭わない!!」と考えている外国人が、単身赴任で働く日本人を見て、

「日本人は家族の絆がないのか!?」

「日本人はなんて家族に冷たいんだ!!」

と自分たちの価値観だけで批判してきたら、

「家族の生活を支えるために単身赴任で一生懸命働くことも、家族の絆じゃないか!!」

と反発したくなるだろう。

もちろん、その言い分自体は正論だが、自分たちも同じようなことをやってはいないだろうか?

私はこれまでブログで「普通の結婚」というイメージはここ数十年の間に広がったものであり、「日本の伝統」でもなければ、「普遍的な人類の形」でもないことを指摘してきた。

しかも、今の社会状況では、そのような家庭を築くことが難しくなってきている。

だが、頑なにその事実を受け入れず、選択的夫婦別姓や未婚のパートナーシップのように、自分が崇拝する家族以外の絆を認めずに、醜態を晒す人間がいるのである。

たとえば、この(暴走老人)元政治家の暴言がその代表例である。

選択的夫婦別姓に亀井静香氏が暴言を連発「ワガママ」「妻に愛されていない」 – wezzy|ウェジー (wezz-y.com)

この発言の下劣さについて何も感じない人は先ほど私が考えた話を改めて思い出してほしい。

「仕事のために離れ離れで暮らすなんて家族じゃない!!」

そういって、単身赴任で働いている日本人の家族は愛情が希薄であることに憤激する西洋人がいたとする。

その傲慢な発言に対して、「あんたたちの価値観を押し付けるな!!」と反発するかもしれないが、自分たちも全く同じことをしているのである。

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