今の時代の子どもだって十分たくましい

先月書いた記事で、今時の若者がいかに甘ったれているのかを嘆く韓国人の話を紹介した。

言わずもがな、若者バッシングは我が国においても存在する。

「今の子どもは甘やかされて育った」

「スマホばかり使っているから人とのコミュニケーションが取れない」

「それに引き替え、自分が若い時は…」

だが、そのような話は本当なのか?

現代の子どもは本当に根性がないのか?

私はそうは思わない。

最近、そのことを実感した。

今日はその時の話をさせてもらいたい。

(※:お食事中の方はご注意願います)

・出発前の不安

その日、私は北関東の駅から電車に乗ることになった。

始発駅から乗車したため満員状態ではなかったが、多くの席は埋まっていた。

車内を見渡すと、角の方に空いてある座席を見つけた。

しかも、2人掛けの座席が両方空いている。

「ようし、ここに座るぞ!!」

そう思った私はその座席を目掛け一直線に進んだ。

だが、無事に座席を確保して一安心した後、あることに気付いた。

そこはトイレの向かい側の座席だったのである。

自分が使うことを考えると便利な位置にあるが、他人が使うことを考えると臭いが気になる。

乗車時点でトイレから臭いが漂うことはなかったが、今回の旅は乗車時間が1時間半に及ぶやや長めの行程である。

その間に誰も使わないとは考え難い。

私は実際に立ち入らなかったが、その車両は古く(後で調べてみると、製造から30年以上が経過していたことが判明した)、車椅子で入れるスペースもないことから、トイレもあまり綺麗な作りではないし、新型電車のような消臭設備も不十分だろう。

しかし、裏を返せば、他の乗客もそのようなトイレを使うことを敬遠するかもしれない。

そう考えた私は席を変えずに座り続けることにした。

・利用者は全員未成年者

始発駅を出た時点では、全員が座わることができたが、2駅目から体操着姿の高校生が多くの乗客が乗り込んできた。

おそらく部活動の帰りなのだろう。

彼らの多くは仲間で一ヶ所に固まっている。

私の近くにも男子3人のグループができていた。

彼らは特に会話をすることなくスマホを眺めていた。

すると、その内の一人が仲間に声をかける。

高校生:「俺、ちょっとウ〇コしてくるわ」

げ、げ、げ、げ。

早くも怖れていたことが。

しかも、大であることを宣言している。

それを聞いたら、トイレの中で行われていることを意識しないはずがない。

電車の端は車輪や、連結器が軋む音が大きいため、排泄音が聞こえることはないが、次第にウン〇と思われる臭いが立ち込めてきた。

運よく、私が座っている席に面している窓は開閉式だったため、私は窓を半分ほど開けた。

換気が必要なご時世であるためか、他の乗客から迷惑がられることもなかった。

乗車数分で私の予想は早くも外れた。

ちなみに、その高校生は3つほど進んだ駅で仲間と共に下車した。

わざわざ電車のトイレで〇ンコをしなくても、駅に着いてからで十分だったのでは?

そう思ったが、彼は駅に着いてから用を足すのでは時間がもったいないため、あえて電車内のトイレを使ったのかもしれない。

綺麗とは言えない上、揺れも激しい電車のトイレでウン〇をすることを厭わない根性は見上げたものである。

男子高校生がウ〇コを終えて数十分が経過し、換気も十分済んだと判断した私は窓を閉めようとした。

しかし、今度は女子高生がトイレに入った。

うぅ、またかよ。。。

今回の子は使用前に大小どちらかを宣言することはなかったが、使用時間を考えると、今度も大だったのかもしれない。

私は再び、窓を開けることにした。

トイレを気にしながらの旅も半分が経過した頃、電車は比較的大きな都市の駅に着いた。

この駅では家族連れが多く乗り込んできた。

私の目の前の座席には母親と幼稚園児くらいの年齢の親子が座り、母親が子どもに声をかけた。

母親:「○○ちゃん。トイレ行かなくても大丈夫?」

子ども:「う~ん。行ってくる!!」

え!!

その年で、綺麗とは言えず、揺れも激しい電車のトイレで用を足すことができるの!?

というよりも、母親もよく行かせようと思ったなあ…

なんて肝の据わった親子なんだ…

終点までおよそ10分となった駅で、再び多くの高校生が乗り込んできた。

すると例によって、彼らの一人がトイレに入る。

滞在時間を考えると、おそらく〇ンコである。

結局、私は終着駅まで窓を閉めることはなかった。

・あなたは汚いトイレで…

私が1時間半の間、トイレの向かい側の座席で観察して分かったことは、電車のトイレで用を足すことができたのは全員未成年者で、おそらくその全員はウン〇をしていたということ。

しかも、私と同じく長時間の乗車というわけではなく、全員が短距離の乗車だった。

にもかかわらず、彼らは電車のトイレを使用することに何の抵抗もなかったのである。

改めて考えると、それは見上げた根性ではないか?

私自身、電車でトイレを使用することはほとんどない。

狭くて揺れる電車内だけでなく、掃除が行き届いている大規模な駅や大型のショッピングセンターを除いて、公衆をトイレは使用しない。

だって、臭いや汚れに耐えられそうにないもん。

最後にそのような臭いも汚れも充満するトイレで用を足したのはいつだったかな…

そう思うくらい、清潔なトイレでなければ用を足せない人間になっているのである。

だが、子どもの頃はそんなことはなかった。

小学3年生の時まで、家のトイレは汲み取り式だったし、学校のトイレは水洗式だったものの、綺麗とは言えない和式トイレだった。

それでも、普通に用を足すことはできた。

トイレが臭くて汚いのは当然だと思っていたから。

しかし、快適なトイレに慣れると、そんなトイレを使うことを敬遠した。

私の母の実家は人里離れた山奥で農業を営んでおり、今でもトイレは汲み取り式である。

私は中学生の時から、そこで用を足せなくなった。

祖父母の家へ遊びに行った時に尿意を催したものの、家のトイレを使うことに躊躇して、帰り道に立ち寄る田舎ではおなじみの大型スーパーまで我慢したこともある。

そのようなことがいつの間にか当たり前になった。

それに比べたら、電車のトイレでウン〇をすることができる子どもはなんと度胸があるのだろうか。

少なくとも、私が乗り合わせた電車の中では、同様のことができた大人は一人もいなかった。

「最近の子どもは甘ったれている!!」

「根性がない!!」

と言いたい人はよくよく考えてもらいたい。

あなたは汚いトイレでウンコをすることができるのか?

それができないと言うのであれば、あなたもれっきとした「甘ちゃん」の一人であることを肝に銘じていただきたい。

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