前回の記事で、私が高校時代の担任から受けた説教は、特定のライフコースのことしか頭に無く、いかに的外れだったかを紹介した。
その視野の狭さは恐ろしいほど他人の痛みに鈍感であり、危険である。
昨今、グローバル化や、LGBTへの配慮という観点から、教育現場に「多様性」を導入することが声高に叫ばれているが、そんなものが実現するのは、当分先のことになるだろう。
むしろ、多様性については、昔に比べて、より悪化している面もあるのではないかと思うこともある。
そう感じるのは、高校生のアルバイトを禁止している学校が増えているからである。
・実業校はやっぱりバカだと確信する
私が高校生だったのは、もう15年以上前になるが、当時は私も含めて、アルバイトをしている高校生は珍しくなかった。
アルバイトを禁止している学校といえば、私が通っていた中学校の同級生が1,2人しか進学しないような地元でも屈指の進学校と、一年先輩の代に複数校の合併により生まれた高校くらいで、工業や商業のような実業校に通う学生は、親が金持ちでなければ、定期であれ、一時的であれ、アルバイトをして小遣いを稼ぐことが当たり前だと思っていた。
むしろ、そうした勉強一辺倒ではなく、自由にバイトが出来ることが実業校のメリットだと感じていた。
私が高校を卒業から5年程経った時のことである。
その頃の私は地元にある小規模な工場で働いており、上司からこんな相談をされた。
それを聞いた私は、学生時代の情報をそのまま伝えようとしたが、一旦待ってもらって、念のため知人を頼って確認することにした。
すると、驚いたことに、一校を除き、すべての高校がアルバイト禁止になっていた。
進学校ではなく、実業高校であっても。
この5年の間に何があったのだろうか?
聞くところによると、どの学校も「学業に専念するため」ということらしい。
生徒の大多数が一流大学を狙うような学校がそれを言うのであれば、分からなくもないが…
あんたらの学校はそんな路線じゃないやろ?
そもそも学業に専念と言うけれど…
そんなに「勉強、勉強!!」と言うのであれば、部活動も廃止しなければ筋が通らない。
加えて、学生に「アルバイトを禁止されたら生活出来ないから、学校を辞めて働きます」と言われることを一切想定していない前向きさ(=都合が良いことしか予想しない能天気ぶり)には恐れ入る。
おそらく、彼らはサラリーマンで働くお父さんと専業主婦、もしくはパートで働くお母さんがいる家庭しか頭にないため、アルバイトが出来るおかげで辛うじて学生生活が成り立っている人のことを想像できないのだろう。
実業校の学生は進学校に比べて成績が悪く、「頭が悪い」というレッテルを貼られることもあるが、学生のアルバイト禁止に踏み切った学校関係者はそれ以上のポンコツであることは間違いない。
・「将来のために勉強を!!」と言いながら生徒の人生をメチャクチャにしている矛盾
高校生のアルバイト禁止に賛同する者は、「勉強に専念すれば、一流大学、その先は官庁か大企業に入って、その後は多額の収入を得られるのだから、貴重な学生時代をわざわざ低賃金のバイトに費やすなど愚の骨頂だ!!」とでも思っているのだろう。
すべての高校生が大学や一流企業に進むわけではないし、この社会には高校生の時にろくに勉強していなくても入学出来る大学や専門学校など、山のようにある。
Fランク大学のように、大学がそれでは問題だと思うが、専門学校に入るために、高校生活の大部分を勉強に費やす必要はない。
専門学校への進学するために、高い水準が要求されるのは、成績ではなく学費である。
高額の学費の支払いに備えて、高校生の時からアルバイトで資金を貯めることは、立派に将来を見据えた行動である。
にもかかわらず、なぜ、高校生のアルバイトが目先のことしか考えていないかのように断言しているのかは意味不明だ。
彼らは「高校生のバイトを禁止することが、子どもの将来のためだ!!」と信じて疑わないが、これは甚だ疑問である。
これは私が考えた架空の話だが、高校生が学校で禁止されているアルバイトをしていることが発覚して、職員室で取り調べを受けているという設定である。
教師:「なんでバイトなんてしたんだ!? 今は高校生だから、お小遣いよりも、将来のための勉強の方が大切だ!!」
学生:「将来って言われても、僕はそこまで勉強が得意じゃないから、大学ではなく専門学校に進学するつもりです。今の僕が将来のために必要なことは専門学校の学費を稼ぐことなんです!!」
教師:「ダメなものはダメだ!!」
学生:「それじゃあ、学費はどうすればいいんですか?」
教師:「そんな君におすすめなのが、奨学金を借りるという方法だ!!」
お前は悪魔か!?
本人が、「自分に必要なのは勉強よりも、進学後の学費」だと分かっていて、そのために努力しているのに、なぜわざわざそれを禁止して、利息付きの借金を勧めているのか?
「奨学金」という名称でありながら、その実態は多くの場合、学資ローンすなわち借金である。
当然、卒業後に給料の中から返済しないといけないし、技能系の仕事は就職後も年功序列式に給料が上がるとは限らないことが多く、返済が滞りがちになることも少なくない。
だったら、生活の大半を親に面倒見てもらえる高校生の時から、少しずつ学費を稼いで、将来に備える方が、よっぽど賢明である。
本人がそれを怠って、後々苦労するのであれば、自己責任と言えなくもないが、将来に責任を持つこともない学校にそれを禁止された結果、貧困に陥るのであれば堪ったものではない。
「子どもの将来のため!!」などとほざいている人間が、勝手な信念のために高校生のバイトを禁止した挙句、多額の借金を背負わせた上に、何の責任も取らないのは、冷静に考えて、メチャクチャであるし、質が悪いったらありゃしない。
・アルバイトは学生を非行から救う
バイト禁止に対するバカな勘違いはまだある。
たとえば、前段のような学費を貯めるためならまだしも、「高校生のアルバイトなんて、どうせ遊ぶ金欲しさのためにやっているんだろう?」という言いがかりである。
遊ぶ金を稼ぐためにアルバイトをすることの何が問題なのか?
アルバイトしてお金を稼ぐことが出来なかったら、どうやってお金を用意すればいいの?
親にねだるか、家庭の経済状況が苦しいようであれば…
恐喝でもすればいいのか?
私が高校生の時、地元のディスカウントストアを訪れたら、中学時代の同級生がアルバイトをしている姿を目撃して、大変驚いたことがある。
この驚きは、「買い物をしていたら、偶然知り合いに出くわした」ということだけではない。
中学時代の彼はヤンキー系で、冗談抜きに、「高校に入ったら、遊ぶ金欲しさにカツアゲしそう…」と思っていたから、「真面目に働いて偉い」と感心した。
もし、彼が通う高校がアルバイト禁止だったら、彼は私が心配していた道へ進んでいたかもしれない。
アルバイトは彼が非行の道へ進むことを食い止めたのである。
このことから言えるのは…
「高校生が遊ぶ金を稼ぐためにバイトなどけしからーん!!」という主張は、禁止された学生が遊ぶ金欲しさに恐喝や窃盗、万引きに流れることを覚悟する人間だけがやってください。
自分が子どもの頃もそうだと思うが、欲しい物ややりたいことがあっても、自由に使うお金がなければないほど、我慢するのではなく、「いかに資金を捻出するか?」ということばかり考えてしまう。
XがまだTwitterだった頃に面白い投稿を見かけた。
投稿主は高校生の子どもを持つ母親で、保護者会で担任教師から「お子さんに昼食代として現金を渡すことは止めてください」という注意喚起が出された。
てっきり「どうせまた、『手作りのお弁当を食べさせることが親の愛情云々』という説教か…」と思っていたが、話を聞くと、「昼食代として支給されたお金を趣味に使うために、昼食を取らない生徒が後を絶たない」という。
教師はさらにこんな言葉を続ける。
「この年頃の子どもの、趣味に対する貪欲さを甘く見てはいけません」
「私が去年受け持ったクラスにも、『嵐のCDを買うために、昼食を一週間ブラックサンダーだけで乗り切った!』と自慢する子がいました」
「手作りのお弁当が難しいなら、現物支給でお願いします」
これを見た時は大笑いしたが、「たしかにそうだな…」とも思った。
普通にアルバイトして稼げば、昼食を我慢せずにCDも買うことは出来ただろうに…
バイト禁止派は子どもを非行だけでなく、飢餓へも追い込みたいようである。
・「子どもにお金の心配をさせないことが親の愛情」という無責任な説教
ここまでは主に、特定の生き方しか考えること出来ないから、「高校生にアルバイトをさせてはいけない」という考えに至る人間について解説してきた。
彼らは、勉強して、いい大学へ進学して、卒業後は公務員か一流企業の総合職になって、結婚して、マイホームを買って、そのためにあらゆる犠牲を払うことだけが、人生における正しい努力だと思っている。
だから、その進路から少しでも外れる可能性があるものは徹底的に排除している。
単純に、「自分がそういう生き方をしているから、それ以外は知らない」と言われたら、そこまでだが、学生の進路に助言を行う教師がそれで大丈夫なのか?
こういう言い方は嫌いだが、それが教育業界のスタンダードだというのであれば、「教師は社会を知らない」と言われても、反論は出来ないだろう。
高校のアルバイトを認めない理由として、もう一つ考えられるのは、「子どもにお金の心配をさせないことが親の愛情」という価値観である。
以前、この記事で、我々が当たり前のように思っている「子ども」という存在は、近代になって作られた人工的な概念であり、大人が「子どもというのは、こういうもの」と思っていても、当の本人は全くそんなこと思っていないことがあると紹介した。
たとえば、「子どもは運動会や授業参観で、絶対に自分の親に来て欲しいと思っている」とか、「誕生日のお祝いはどうしても当日にしてもらいたい」とか。
そして、親がその希望を満たせないと「親失格!!」、「子どもが可哀そうだ!!」と罵倒される。
だが、私たちの子ども時代を思い返すと、全くそんなことはなく、少なくとも私は、「親には絶対に運動会や授業参観に来て欲しい」と思ったことはないし、「誕生日のお祝いが当日ではなかったから…」とやけを起こして大暴れしたこともない。
次元は違うが、同じような概念に「子どもはお金の心配をせずに、受けたい教育を受けることが幸せ」というものがあり、それに対となるのが、「子どもにお金の心配をさせずに教育を受けさせることが親の愛情」である。
この価値観に染まっている者にとっては、高校生の子どもがアルバイトをすることなど許容できることではないし、子どもにそんなことをさせている親は言語道断であろう。
彼らは教育費の捻出こそが親にとって最大の使命だと考え、そのためには、自己破産、持ち家の売却、一家離散になることもやむを得ないと思っている。
こうして文字にすると、とんどもなく恐ろしい。
しかし、世の中、そこまで捨てたものでもなく、この記事に登場した元同級生のように、自分の出来の悪さを悟っているからこそ、学びたいことがあるわけでもないのに、親に学費を払わせて大学へ進学することを躊躇う者や、母子家庭で育ててくれた母親にこれ以上経済的負担をかけさせないために、高校在学中はアルバイトで家計を支え、卒業後は進学せずに地方公務員として就職した元同僚の息子のような者もいる。
彼らは、家庭の経済状況を気にしない「子ども」らしくないかもしれないが、家族への思いやりが溢れて、現実から目を逸らさない心が強い好青年である。
それに引き換え、「子どもにお金の心配をさせないことが親の愛情」という説教の垂れ流している無責任な連中は…
私の周りにも、こんな過激思想に感化されたり、プレッシャーをかけられたことで、返せる当てもない借金をして、無謀な進学をさせたり、子どもを私立の高校へ通わせたりと、教育費の名目で、湯水のごとく大金を出費している者が少なくない。
その結果、待っているのが家計の破産だと薄々感づいていても…
「教育」というもの美化し、すべてのことを犠牲にしても優先すべきだと考えている人間は、教育という宗教に没頭するあまり、人として何か大切なものが欠けている気がしてならない。
次回の記事でも、今回の主役となった「学生にアルバイトを禁止する高校」に登場してもらう。