「風邪は気合いで治せ!」は一理あるが、お勧めしない

前回まで3度に渡ってお送りした通り、風邪と思われる今回の体調不良は、かなり長く続いていて、体もいたる所で悲鳴を上げている。

それでも仕事は休んでいない。

だが、それは決して

「きついな…きついな…」

「こんなに頑張っているんだから、もっと褒めてよ!!」

というように、同情を集めたいわけでも、奴隷の鎖自慢をしているわけでもなく、自分の意志で「まだ大丈夫」という気力が湧いているからである。

その理由とは…

私生活でとても良い事があり、その嬉しさが体調不良を上回ったためである。

・精神論は悪なのか?

私のプライベートで起きた良かったことについては、ここでは詳しく公開できないが、そのおかげで私は「休んでいる場合じゃない!!」という気持ちになり、体調不良を押して出社することが出来た。

たとえば、咳をすると胸が痛くなることがあったのだが、そういう時は「体勢を工夫して胸に響かないように咳をしよう」と考えるようになり、「出来る/出来ない」ではなく、「どうやれば出来るか?」という発想に至ったのだ。

「風邪は気合いで治せ!!」

という言葉がある。

治るかどうかはともかく、気合いで乗り切っている内に症状が沈静化することだってある。

「病を気から」という言葉はあながち間違いだとは思わない。

「病は気から」は本当だった?――ストレスと免疫|朝礼deポン!ためになる話題|NECネクサソリューションズ (nec-nexs.com)

現代において、職場でこんなことを言ったら、「パワハラ」や「ブラック企業(部活)」とセットで語られることが多い「精神論だ!!」と袋叩きに遭うだろうが、そもそも精神論とは本当に悪なのか?

今から20年程前、あるプロ野球チームの外国人監督がこんなことを言った。

最近の日本社会は、気合いや根性といった精神面を軽視しているように見える

「かつて、精神論によって無謀な量の練習をさせられたことの反省があるのだろう」

「だが、私は勝利に一番必要なものはガッツだと思っている」

「我々がチャンピオンになれたのも、最終的には私たちのチームのガッツが相手チームを上回ったからだろう」

これを聞いた時は意外だった。

その監督はアメリカ流の合理的な練習やチーム管理を用いて、長年低迷したチームを優勝に導いた人物だったからである。

しかも、彼は主力選手にも積極的に休養を与えていたから。

「そんな人でも、根性論を笑い飛ばすのではなく、最終的に必要なのは気持ちの大切さだと考えているんだ」と少し驚いたことは今でも憶えている。

これは20年くらい前の話だが、現代はその時よりも精神論の軽視が進んでいるように感じる。

・なんで「頑張ってくれる」と思っているの?

精神面に重きを置く考えは、決して完全否定されるべきことではない。

それでは、「風邪は気持ちで乗り切れるから、『風邪で休みたい…』と訴える部下には、明日から『すぐに休まずに、気持ちで乗り切れ!!』と叱咤激励することが正解なのか?」と聞かれたら、それも難しい所である。

その理由は、「無理することで軽微な風邪も長引いてしまう」とか「感染を拡大してしまう」ということもあるのだが、私は少し違う面に着眼してみたい。

それは、「気持ちを強調することは、完全に気持ちを切らしてしまうリスクが潜んでいる」からである。

具体的な話をすると、私が小学生の時に、風邪による欠席の叱責も含めて、事あるごとに「気持ちが入っていない!!」と説教する教師がいた。

それだけでは、単に口煩いセンコーくらいのものなのだが、その人物はかつての記事で登場した「バカ殿」と呼ばれる暴君で、他の教員が気にしないような些細な事もグチグチと口出しをして、他人を執拗にコントロールする男だった。

そいつは、「一人は皆のために!!」、「クラス一丸!!」と聞こえの良いスローガンを掲げる筋金入りの全体主義者なのだが、要は自分を中心としたシナリオに我々児童を共演者として強制的に動員することしか考えていなかった。

というわけで、本来は自由参加であるはずのボランティアや行事にクラス全員の参加を強制することになったのだが、その際も思い通りに動かない私たちに対して、

「気持ちがこもっていない!!」

「気持ちが入っていればそれくらい乗り切れる!!」

と罵倒するのが口癖だった。

だが、私はある時こんなことを思った。

「気持ち!! 気持ち!!」っていうけどさ…

そもそも…

「なんで、お前のために頑張らにゃいかんの!?」

こう感じていたのは、おそらく私だけではないだろう。

私たちが自発的に「やりたい!!」と思っているのであれば、気持ちを込めて本気で取り組むのかもしれないが、参加を無理強いしておきながら、なぜ私たちが一生懸命頑張ると思っているのだろうか?

あんな自己中心的で傲慢な人物がやることには、私たちが気持ちを込めて一生懸命頑張る価値などない。

清々しい程の思い上がりである。

・自分の気持ちと向き合った結果…

このケースを仕事に置き換えてみよう。

ある会社で上司が部下に

「やる気が足りない!!」

「もっと、真剣に気持ちを込めろ!!」

「苦しくても気持ちで乗り切れ!!」

と檄を飛ばしている。

彼はそうすることで、甘ったれた若者である部下のやる気を引き出せると信じて疑わない。

しかし、それを聞いた部下がこんなことを言う可能性だってあるのだ。

部下:「あなたに言われた通り、ここ数日は自分の気持ちと真剣に向き合いました。その結果…この仕事は一生懸命頑張るに値しないことに気付いたので退職しま~す

このように、気持ちを全面に押し出して、乗り切るように仕向けるのは危険な一面もあるのである。

「仕事だから!!」、「命令だから!!」といった説教の方がまだマシな可能性もある。

そもそも、気持ちとはあくまで自発的に生まれるものであって、他人に強制されて、良い気持ちになる人などいないし、やる気も出るはずがない。

今回の私の場合も、仕事とは全く関係なく、たまたまプライベートでそうなっただけである。

「どうしても、このプロジェクトを成功させて、上司の高評価を得たいから、風邪なんかで休んでいる場合じゃない!!」

なんて思ったわけではない。

そして、上司から「早川君、今は繁忙期だから体調不良でも休まず頑張って!!」と言われたら、「ハァ!? ふざけんなこの野郎!?」と激怒して退職を決意しただろう。

このように風邪は気合いで治すことは一理あるが、それが有効なのはあくまでも自発的な動機から生まれる場合のみで、他人の気持ちを土足で踏み荒らして、頑張ることを強制してもろくなことにはならない。

普段はしっかりと休養して、ケアを怠らず、他にどうしようも勝負所だけで、火事場の馬鹿力を発揮することが最も効果的と言えるだろう。

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