大人になっても夏休み明けに鬱になる子どもの気持ちが痛いほど分かる

今日は828日。

夏休みも残り1週間を切った。

私は夏休みを満喫する年など15年近く前に卒業したが、この年になっても、今の時期は暗い気持ちになる。

・厳戒態勢の大人たち

今はどうか知らないが、私が子どもの時は、「子どもは夏休み明けに登校すると、同級生と久々の対面を果たし感動するものだ」という題材のメディアが溢れていた。

私はそんな大人たちに心底呆れていた。

こっちは、会いたい人よりも、会いたくない奴の方が多いんだよ!!

しかも、夏休みが終わったら、毎日学校へ通わなくてはいけないだけでなく、休み明けも続く水泳の授業から逃げ続けなくてはならないし、運動会へ向けて、暑い中、大嫌いな同級生と北朝鮮のマスゲームを連想させるような気持ち悪い踊りの練習をさせられるし…

もう考えるだけで、頭がクラクラして憂鬱になる。

91日なんて来るな!!!

本気でそう念じていた。

もっとも、中学3年の時は夏休み後半から、体育祭の練習に無理やり(彼らは死んでも「強制」という言葉を否定するだろうけど)参加させられ、91日以前から反吐が出る思いをしていたためか、夏休み明けは苦に思うことはなかったが…

全然喜べることじゃないけど…

その強制労働を「団結」とか言い換える大人たちにも嫌悪感が渦巻いていた。

「ああ~、大人は分かってくれない!!」

さて、夏休み明けの91日を迎えることが嫌でしょうがないのは、別に私に限ったことではないようである。

過去40年間で、18歳未満の青少年が最も多く自殺した日は91日だったらしく、厚生労働者は啓発活動を行い、教職員は子どもの些細なサインを見逃さないよう研修に力を入れている。

夏休み明けに向け子供・若者の自殺防止に向けた取組み強化、SNS相談も | リセマム (resemom.jp)

夏休み明けの子どもの自殺を防ぐ 県が教員の研修 前橋|NHK 群馬県のニュース

このニュースを見た時は少し感動した。

大人が夏休み明けの子どものことをこんなにも心配してくれているなんて、世の中、捨てたもんじゃないなあ…

というわけで、この記事を読んでいる未成年の方に、同じ気持ちの人がいたとしたら、決して「自分は一人で、この世には理解者がいない」などと思わないでほしい。

・忍び寄るXデーの恐怖

夏休みを楽しみ、夏休みが終わることに怯えていた頃の初々しさなど遥か昔に消え失せ、今月は22日も出勤しなければならない私が、今になってこの夏休み明けのネタを取り出したのは、決して他人ごとではない似通ったものを感じているからである。

それは、「長い非日常が終わって、絶望に満ちた日常が戻ってくる」という点で、夏休み明けの子どもが感じる恐怖と重なる。

私が恐れている「絶望に満ちた日常」とは、コロナ終焉後の社会である。

コロナの発生によって、多くの人は生活が一変したと思うが、下記の記事で書いた通り、私は圧倒的に得をしていた側の人間である。

密を避けるために自宅待機になったことで、働かなくても給料を貰えたり、電車の混雑が大幅に緩和されたという物質的な豊かさだけでなく、「会社へ行くこと」、「納期を厳守すること」、「面倒な書類を何枚も書くこと」というような、これまで社会では必須だと思われていたことが、コロナという緊急事態を通して、実は全然大したことではなかったことも浮き彫りになった。

そして、「今はそんなことを言っている場合じゃないよね」と容認されることも増えた。

コロナ発生前なんかよりも、今の社会の方が優しさに溢れていて、生きていて心地いい。

そんなこれまでの日常とは違う、平和な日々を失うことが怖い。

7月以降の感染者増加によって、再び出社(なんてバカなこと)を取りやめた会社も増えたおかげか、最近は多少マシになったものの、5,6月はコロナ前を思わせるような通勤地獄を経験し、背筋が凍り付くような恐怖を感じていた。

コロナが収束し、以前のような通勤地獄が再発すれば、毎朝のように混雑、遅延、社内トラブル(ケンカや、混雑による急病)に悩まされることになる。

前回の記事で触れた通り、今の仕事を探している。

ここ2年間のコロナ渦であれば、満員電車とは無縁だったため、勤務地にこだわりはあまりなかったが、コロナ前のような状況に戻れば、勤務地に制限を掛けざるを得なくなり、応募できる案件も限られてしまう。

また、テレワークが可能な求人も以前に比べて、大きく減少した気がする。

さらに、「密を避ける」という目的で自粛されていた、(無駄な話しかしないダラダラした)朝礼、ミーティングといった嫌がらせ同等の無駄な儀式も復活してしまうかもしれない。

私は経験がないが、飲み会に参加したくない人も似たようなことを感じているのではないだろうか?

とどめに、マスクの着用についても、私にとっては大きな恩恵だった。

息苦しくなったり、酸素不足で眠たくなったりするマイナス面もあったが、キモい宗教(というか「いじめ」だろあれは)のように「笑顔! 笑顔!」と言われることもなくなった。

マスクの着用義務化が撤廃されたら、また以前のように表情的売春を強要されてしまうのだろうか。

コロナが完全収束してしまうと、このような地獄の日々に舞い戻ってしまうのでは…

私にとってそのXデーは、夏休みが終わることを恐れている子どもにとっての91日と全く同じなのである。

・平和ボケからの目覚めと絶望に満ちた日常

感染者数が落ち着いてくると、自粛ムードが弱まり、「もう安心!」という思いとそれまでの反動から、外出する(させる)人が増え、再び感染者数が増加するパターンが繰り返し起こっている。

そんな時によく使われる言葉が「平和ボケ」である。

「少しくらい、感染者数が減ったからといって、平和ボケして遊びに出るな!!」

というように。

しかし、私にとっては、コロナ渦の生活の方が平和ボケしていた気がする。

たとえば、今の勤務地だって、コロナ前であれば、通勤ラッシュの混雑や遅延のリスクを考慮すると、絶対に選択しなかっただろうが、「コロナのおかげで混雑も緩和されたことだから、きっと大丈夫だろう!」と下調べもせずに安易に決めて、結果的に後悔することになった。

これは「今の生活がこれからも続くから、しばらくは安泰…」というコロナ渦の生活に慣れきった結果の平和ボケ以外の何物でもない。

以降は気を引き締めることになったが、同時に、いつかはやって来るであろうコロナの終息日を恐れるようになった。

私もコロナが収束すること自体は喜ぶべきだと思っているが、その先の暮らしが、まるでタイムマシーンに乗ってタイムスリップするかのように、コロナ以前と全く同じ生活を送ることは望まない。

在宅勤務が可能であるにもかかわらず強要される出社や、顔を合わせることが目的の無駄な会議、バカらしい書類文化、強制的な(そして、しつこい)行事への参加、水泳の授業などは、コロナを期に、せっかく「不要なものだった」と判明したことだから、これを機にそのまま消滅して頂きたい。

そんなものが蘇る社会など絶望感に溢れた地獄の日常以外の何物でもない。

だが、おおよその見通しを立ってしまう夏休み明けの学校生活と違い、コロナ渦の終結以降は、「以前と全く同じ生活に戻るわけではない」というわずかながらの希望もある。

今の私がやるべきことは、理解者がいることを信じ、希望を捨てずに、来る日に向けてしっかりと準備をすることである。

これが大人の夏休み明けへ向けた心構えなのだと思う。

この記事が20年前の自分と同じ気持ちの後輩たちにとって、少しでも励みになっていたらと幸いである。

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