在宅勤務が可能なのに頑なに出社を強制する会社は反社会組織である

ゴールデンウィークが終了して2週間が経過した。

連休の最終日の夜、私は妙な胸騒ぎがした。

特に根拠はなかったが、それはこの記事で取り上げた毎週日曜日の憂鬱である「サザエさん症候群」とは違い、次の日から何かとてつもない災難が訪れる嫌な予感がした。

不幸にも、その不安は現実のものとなった。

私には降りかかった災い。

それは・・・

通勤ラッシュ地獄の再来である。

連休前とは同じ路線、同じ時間帯の電車に乗っているはずなのに、連休後はなぜか電車が混雑している気がする。(しかも、行きも帰りも)

多くの会社がゴールデンウィーク明けを機に、テレワークを終了し、出社を再開したのだろうか?

たださえ、憂鬱になる大型連休明けに、在宅勤務を取り止めるなど、まるで、会社が従業員のメンタルを壊しにかかっているような話である。

今頃は多くの人が心を病み、鬱病にさえかかっているのではないだろうか…

私は在宅勤務とは無縁な生活を送っているが、そのような仕打ちを受けた人には、心からお悔やみ申し上げます。

・コロナ前であれば絶対に利用しなかった路線

人のことを心配している場合ではない。

ゴールデンウィークが終了して以降、私は通勤に大いに悩まされることになった。

誰が考えた言葉なのかは知らないが、まさに「痛勤」状態である。

厳密に言えば、連休前も決して楽な通勤ではなかった。

所要時間はおよそ1時間15分。

これは家から会社までの間にかかる時間であり、遅延リスクを考慮して早めに出ている時間は含んでいないため、実際はもっと多くの時間がかかる。

しかも、二度の乗り換えを行わなくてはならない上に、いずれの路線もコロナ前はかなりの過密状態だった。

コロナ前であれば、そのような電車で通わなければいけない場所で働くことは間違いなく拒否していただろう。

だが、コロナの影響で在宅勤務が増えたのか、そのような過密路線の混雑もかなり解消された。

実際に一部の路線は以前短期の仕事に就いていた際も使用したことがあり、その時は座って通勤するという、コロナ前では夢のような体験も出来ていた。

だからこそ、今回の仕事を選んだ時も、「問題なく通勤ができるだろう」と思っていた。

しかし、その期待は1ヶ月で裏切られることになった。

そんな日々を送っていると、日に日にこんな思いに駆られることが増えた。

「テレワークの職に就いていれば、こんなことにはならなかったのに…」

実際に、今の仕事を探していた時は、派遣会社から在宅勤務有りの仕事を紹介されることも多かった。

そんな中、なるべく早く職に就きたいと思い、今の仕事に就いた。

家から少し遠いことも承知していたが、この状況であれば通勤は可能と判断した。

それが1ヶ月でこの結果である。

私は焦って今の仕事に就いたことを後悔した。

・幸せの青い鳥

ここ2週間程、そのような心理状態に陥った私は「自分も在宅勤務だったら…」ということばかり、考えてしまうようになった。

最初はそのような考えが浮かび上がるのは、満員電車の混雑に苦しんでいる時だけだった。

だが、最近は仕事中のあらゆる時に、「もしも、リモートワークをしていたら、こんな苦労をせずに済んだのに…」という感情に襲われることになった。

たとえば、通勤にかかる時間である。

仕事のために、まだ眠気が残っている朝の6時過ぎに起床しなければならない時は、「在宅勤務だったら、まだ眠っていられたのに!!」と感じずにいられない。

在宅勤務であれば、通勤時間以外にも様々な時間が不要になる。

今の私であれば、往復の通勤時間2時間30分に加え、始業開始時や休憩上がりに前もって席に座るための時間が計30分、総計3時間を出勤なために無駄に費やしていることになる。

仮に私の時給が1500円だとすると、1日の収入は1500(時給)×8(労働時間)÷11(労働時間+通勤を含む出社のために必要な時間)となり、実質時給はなんと1090円まで下がる。

それなら在宅で時給1300円の仕事をする方が遥かに得ではないか?

つい職場で、そんな計算をしてしまう程、在宅勤務に焦がれてしまっている。

実際に経験したわけではないものの、在宅勤務によって手に入れることができそうなことは以前も取り上げたことがある。

それを改めて並べてみよう。

  • 嫌いな上司や同僚の顔を見ないで済む。

  • 出勤のために毎朝着替える必要がなくなる。

  • 仕事がない時は周りに気を使って仕事をしているフリをする必要がなくなる。

  • 満員電車に乗る必要がなくなる。

  • 通勤時間が不要になり、その分の自由時間が増える。

  • 毎朝、お弁当を作る必要がなくなる。

  • お腹が鳴る音を気にして、無理に朝食や間食を取る必要がなくなる。

最近はそれに加えて、こんなことも考えるようになった。

もしも、在宅勤務だったら…

  • 天気なんか心配する必要が一切なくなるのに!!(傘を持っていくかを判断するために天気予報を見る必要はないし、梅雨時の貴重な晴れ間があれば、短時間でも洗濯物を干すことができる)

  • 駅のホームに着いた瞬間、電車が発車して、悔しい思いをすることはなかったのに!!

  • 少しでも混雑が少ない車両に乗るために、駅の端まで歩く必要などなかったのに!!

  • 駅の中で、歩きスマホやエスカレーターを駆け上がるクズと接触してイライラすることもなかったのに!!

  • 「定時で退社して駅のホームに到着する時間帯だけは、なぜか電車の間隔が長くなる」という鉄道会社のダイヤに悩まされることはなかったのに!!

  • 同僚が隣にいないから、臭いを気にせずに体が痛い時は湿布を貼ることができるのに!!

  • 歯や鼻の穴に何かが詰まっても、気軽に取り出せたのに!!

  • 会社でトイレの順番待ちをする必要はなかったのに!!

  • 日曜日の夜のこんなに憂鬱を感じることはなかったのに!!

このような些細な不満がすべて「もしも、在宅勤務だったら…」ということに結びついてしまう。

こんなことで神経をすり減らしていてはキリがない。

というか、通勤地獄に限らず・・・

仕事の悩みの9割はテレワークの導入によって自動的に解決されるんじゃねえ?

社員が鬱病にかからないために「メンタルヘルスケア」に取り組む会社も少なくないが、在宅勤務を取り入れるだけで、休職者も離職者も一気に減りそうな気がする。

経験したことがない以上、テレワークがそんなに素晴らしい完全無欠な働き方なのかは定かではないが、私の中では完全に「幸せの青い鳥」と化してしまった。

・「ウィズコロナ」という悪夢

完全在宅になれば最高だが、そこまで行かなくても週1日だけ自宅勤務ができるのであれば大変有難い。

平日の週5日働く場合は、5連勤の間に1日でも出社しなくていい日があると、精神的に落ち着く。

だが、今後、リモートワークに就ける可能性が増えるとは思えない。

コロナの流行が始まった2年前は、政府が非常事態宣言を出した通り、「非常事態感」が大きかった。

それまで当たり前だと思っていたことが、突然当たり前ではなくなった。

そして、心なしか、人に優しい社会になってきている気がした。

・従業員の病欠に寛容になった。

・勤務時間に会社にいなくても、社会人としての資質に疑問を持たれなくなった。

・必要書類が必須ではなくなった。

・支払い、納品などの締め切りが緩くなった。

・全国の小中学校で水泳の授業が中止になった。

ほぼすべてのことは「コロナの影響だから」の一言で、それ以上追及されなくなった。

「人間は未知なものへの恐怖や災害による一体感が生まれると、こうもすぐ変われるのか?」と驚いた。

しかし、人間は環境に慣れてしまう。

「ウィズコロナ」という言葉が生まれた通り、私たちの日常にコロナが存在することが当たり前になった。

それが「在宅で仕事が出来る人は原則出社しないことが当たり前」といった方向であれば、とても歓迎すべきことだろう。

そして、今時不必要な出社を強要する会社や、わざわざ(請求書、見積書、納品書などの)紙ベースで支払処理を行っている会社に対して、「まだそんなことをしているの?」と怪奇の目を向け、世間から袋叩きになるとか。

だが、初期のコロナ渦を乗り越え、旧来のやり方に戻そうとしている会社が増えている中、今後、ペーパーレス化、在宅勤務の取り入れが拡大するとは思えない。

むしろ、「今の生活にはコロナがあるのが当たり前なのに、感染が怖いから在宅勤務したいなんて、甘ったれたことを言ってんじゃねえよ!」というような暴論さえ出てきそうである。

コロナの恐怖は存在するため、感染拡大防止の徹底を強要されるが、それに怯えることは許されない。

「ウィズコロナ」とは世の中をそのような最悪な方に向かわせる気がする。

それでは在宅勤務の仕事に就けるチャンスはいつなのか?

それは・・・

今でしょう!

冗談はさておき、このような状況では、個人的にも、「取り敢えず、今の仕事は1年ほど頑張って、次は在宅勤務を取り入れている仕事を探そう!」という前向きな動機が生まれない。

ちなみに、この記事を書いている時にこんなニュースを目撃した。

3年ぶり水泳授業再開へ GW後の感染状況に変化なし 北九州市教委 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

小中学校の水泳3年ぶり再開へ 歓声響く授業一変…人数絞り、一方通行の指導も 神戸や阪神、丹波|総合|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

ここ2年間はコロナのおかげで中止になっていた水泳の授業が、自治体によっては再開されるらしい。

感染症対策の徹底は行っているようだが、かつての私のような水泳嫌いの子どもにとっては、そんなことはどうでもよく、天国から地獄へ突き落されるような気分だろう。

在宅勤務に対して異常なまでの嫌悪感を持つ会社と同じく、水泳の授業も、コロナ渦で完全に息の根を止めきれなかったことで、ゾンビのように蘇ってしまったようである。

・在宅勤務の人は「羨ましい」けれど「ズルい」とは思わない

ここ2週間、在宅勤務への憧れと、世の中への憤りで胸が張り裂けそうだった。

しかし、不思議なことに、在宅勤務の人を「羨ましい」と思うことはあっても、「ずるい!」というような不公平感や嫉妬、さらに僻みや嫉みといった感情は一切湧いてこない。

なぜなら、彼らがテレワークをしているおかげで、私も恩恵を受けられるからである。

実際に、2年前から最近までは、電車での通勤がつらいと思ったことは一度もなかったし、コロナ発生前では「乗ろう」とは思わなかった路線で通勤していたこともあった。

しかも、座って。

今になって思えば、夢のような時間だった。

駅や車内の混雑だけでなく、人身事故で電車が止まったり、遅れたりするケースもかなり減っていた。

そのおかげで、遅延を考慮して、早めに出勤する必要もなかった。

それは紛れもなく、多くの人が出社せずに、在宅で働いてくれていた人たちのおかげである。

自分も在宅勤務ができるのであれば言うことなしだが、たとえ他人が取り入れるだけでも、私にとっては素晴らしい結果をもたらしてくれる。

逆に言えば、在宅で働けるのに出社を強要したら、電車が混雑して、どうしても通勤しなければならない人が迷惑するのである。

在宅勤務を頑なに認めない人間はそんな当たり前のことが分からんのかなあ…

というわけで、今の私が最も糾弾すべきなのは、出社の必要がないにもかかわらず、在宅勤務を認めなかったり、取り止めて、労働者の出社を強要している連中なのである。

このことについては、どうしても思い出すことがある。

昨年の12月頃、就職活動をしていた私は派遣会社から貿易事務の仕事を紹介された。

派遣会社の話では「その職場は在宅勤務を取り入れている」ということだったため、面接(厳密に言えば、派遣なので、面接ではなく「顔合わせ」)の場でそのことについて質問した。

すると、その部署の責任者と思われる年配の男性はこのように答えた。

「当社は在宅で勤務されている社員も多いですが、私の部署では原則出社になります」

「やろうと思えば、在宅でも可能ですが、私のこだわりで、どうしても、職場で仲間と顔を合わせて働きたいんですよ。テヘッ♡」

当時はまだテレワークで働いている人も多かったためか、通勤もそこまで苦痛ではなく、原則出社であると言われても「ふ~ん」と思うだけだったが、今になって思うと、ニヤニヤした顔で、そんな下劣なことを言っていたクソ爺には吐き気を催す程の嫌悪感が湧いてくる。

今からでも、奴のツラを引っ叩きに行きたい。

何が「私のこだわり」だ!?

あんたの勝手な趣味嗜好のせいで、部下だけでなく、社会に多大な迷惑をかけているという自覚がないのか!?

私が思うに、これは一人のボケ老人の戯言ではなく、世の中の大多数の管理職の本音なのではないだろうか?

特に悪質なのが、今回私がストレスを感じている原因になっている、これまで在宅ワークをしていたのに、あえて、出社に戻したゲス共である。

在宅勤務が可能であるにもかかわらず、わざわざ出社スタイルに戻すということは、きっと当人が、「家では仕事に集中できない!!」と泣き言をいうような意志が弱い人間か、家にいることで家族から疎まれているからなのだろう。

先日、このブログでも取り上げた吉野家の元常務は、このような人間こそ「家に居場所がない可哀そうな人たち」と哀れむべきだったのである。

「エッセンシャルワーカーよ、ありがとう!!」と医療や販売といった職に従事している人に対する感謝の言葉を口にしながら、その舌の根も乾かぬうちに、自分の快楽のために、部下に出社を強要し、電車を混雑させ、事故を引き起こし、社会に貢献している人たちにも多大な迷惑をかける。

彼らは「老害」、「昭和脳」というような甘っちょろい次元を超えた、人の痛みが分からないサイコパスであり、もしもそれが「会社の方針」という組織ぐるみの意見であれば、そのような会社は、反社会組織に指定すべきである。

さて、今の私は毎日通勤地獄を嫌というほど味わっているが、そんな中で、自身の気持ちを保つためにやっていることがある。

それは・・・

「かつての職場を思い出す」ことである。

以前働いていた職場は、自宅の最寄り駅から快速電車で3駅ほどの位置にあり、通勤場所としては申し分なかった。

だが、そこは毎日の朝礼で職員が「今月の努力目標の達成率は~」、「生産性の向上が~」というように偉そうな説教をしたり、情報データの漏洩を防ぐために、どんな些細なルールでも徹底的に強制する一方で、自分たちの都合から、私たちの勤務時間や担当業務を変更するような、人のことを信用していない&自己中心的なクソ会社だった。(その職場については過去にこの記事で取り上げたことがある)

私も当初は18時までの勤務だったが、後に30分後の時間に(無理やり)変えられた。

たとえ、通勤が楽でも、そんな会社で働くことは死んでも御免である。

今の職場も帰りの時間は決して早いとは言えないが、それでも、その職場で働いていた時よりも早く家に辿り着けていることを考えると、「あの時よりはマシ」と思えて、ホッとする。

もちろん、前職について思い出すことは悪いことばかりではない。

今年の3月まで働いていた職場は、今の職場から数駅程、自宅に近い場所にあり、毎日の通勤で通るだけでなく、帰路では、その時に利用していた時間帯の列車に乗り合わせることも多いため、自然とその職場のことも思い出す。

あの時は仕事で英語を使うことが多かったが、同じチームに英語ができる人がいなかったため、仲間だけでなく、他部署の人たちからも頼りにされていた。

まだ、辞めて数ヶ月しか経っていないのに、あの時のことがとても懐かしい。

今の職場は、同じ部署で働いている人の多くがベテランであるため、周りから頼られることはないが、それでも、いつかはあの時のような人から頼られる存在になりたい。

そんな前職の思い出を心の支えにして、この苦境を乗り越えようと思っている。

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