会社から生活を保障されていない従業員は「正社員」と呼ぶべきではない

前回の記事では同一労働同一賃金の話をした。

今日もその話をしたいのだが、ひとつだけ断っておきたいことがある。

今回の記事では、すごく単純化した言い方で申し訳ないが、

・大企業の正社員=年功序列・終身雇用が保障された会社で働く社員

・中小企業の正社員= 年功序列・終身雇用がない会社で働く社員

ということにさせてもらう。

大企業務めでも「ウチはそんなに恵まれていない!!」という人もいれば、中小企業務めの人でも「ウチはそんなにひどい会社じゃない!!」と憤る人もいるかもしれないが、企業規模によって賃金格差が大きいことは事実なので、ここではそのようなものだとご理解いただききたい。

出典:03sHakusyo_part1_chap3_web.pdf (meti.go.jp) 86

・日本型雇用でも同一労働同一賃金を適用可能

同一労働同一賃金の原則を徹底すれば、同じ仕事をしている限り、大企業勤務だろうが、中小勤務だろうが同じ賃金が支払われなくてはならない。

先ほどのグラフのような企業規模による極端な賃金格差は是正されるべきだが、多くの中小企業には大企業の正社員と同じ賃金を支払う余裕などないため、現実には不可能だと思う。

しかし、中小企業の正社員の待遇を少しでも改善する方法はある。

繰り返すが、同一労働同一賃金では、同じ仕事をしている限り、大企業勤務だろうが、中小勤務だろうが同じ賃金が支払われなくてはならない。

ということで、この原理を逆手に取って、同じ給料を払えないのなら、同じような労働条件を認めなければいいのである。

たとえば、年功賃金では、若い時は給料以上の働き方をし、その見返りとして、中年期から成果以上の賃金を得ることになる。

中小企業といえども、「あんたもう要らないから明日から来なくていいよ」というような気まぐれで解雇されることはそう多くないにせよ、大企業の下請けで成り立っている会社は景気の動向に大きく影響されるため、全社員を定年まで雇い続けると保証することは困難である。

また、「正社員」という言葉でイメージされる会社に無限定に拘束される働き方は、家庭にいる配偶者(ほとんどの場合は妻だが)が、すべてのケア労働を担ってくれるという前提があって初めて成立する。

だとしたら、定年までの雇用保障も、妻子を養うに十分な給料の支払いもできない会社は、「正社員」的な際限のない要求をする権利など認められるべきではない。

というわけで、大企業型の賃金形態や福利厚生を提供できない会社は、会社都合による職種、勤務地、勤務時間の一切の変更を禁止しよう。

担っていた仕事が消滅した場合にのみ解雇を認めるが、それだけでは解雇のやりたい放題がまかり通ってしまうため、整理解雇は認めても、仕事がある限りは雇用が保障される職務保有権の確保が条件となる。

当然、「そろそろ若い子を入れたい」という理由での解雇はダメ。

そして、大企業型の正社員が年功賃金や様々な手当てを得ることでまかなうことができた生活費は社会保障で公的に賄うことにする。

この考えは私のオリジナルではなく、ブラック企業関連の様々な本を出版している今野晴貴氏や、濱口桂一朗氏が提案しているジョブ型正社員と考えと同じである。

私の案はもっと過激で、そのような(家族も含めた)生涯の生活を保障されていない社員を「正社員」と呼ぶ行為を「正社員詐欺」と名付け、法律で禁止するものである。

もっとも、「正社員」という呼び名は最初から法律用語に存在しないのだが…(ちなみに法律では「社員」という言葉自体が労働者ではなく出資者の意味である)

考えてみてほしい。

改めて先ほどのグラフを見なくても、中小企業では大企業のような年功賃金も手厚い福利厚生もないことは皆薄々感づいてる。

にもかかわらず、なぜ最初からありもしない「将来の見返り」のために無限定の命令に服さなければならないのだろうか?

彼らが無限定に働かなくてはならないのは、給料が固定の月給という経済的な理由だけでなく、「正社員だから会社に言われたことは何でもしなければならない」という慣例や習慣によるものが大きい。

実際に正社員は毎日のように「サービス残業」と誤称されている不払い労働が横行している「ブラック企業」と呼ばれている会社でも、非正規労働者は勤務時間も、職種も、就業場所も制限されていることが珍しくない。

また、この記事で取り上げた通り、契約社員を低待遇で「義務だけ正社員」として利用していた会社は、必ず彼らのことを「社員」と呼んでいた。

だとしたら、いくら働き方(働かせ方)を規制しても、「正社員」という名称を存続させる限り、見返りなき滅私奉公のような働き方を規制することはできないのではないだろうか。

そのため、荒療治だが「正社員」という呼び方そのものを規制しなくては効果がないと思う。

これでは、完全に「大企業の正社員」とは全く別の働き方のようになってしまうが、それは仕方がないことである。

というよりも、労働環境が大企業の正社員とは完全に別ものであるにもかかわらず、義務だけは同じである方がバカバカしく不公正なことではないのか?

・ないものは壊せない

私の「中小企業正社員禁止案」に対しては2つの立場から反論が出てくるだろう。

一つ目は

「日本型雇用の長所を捨てる気か!?」

「弱肉強食の新自由主義路線だ!!」

「正社員の中に身分差別が生まれる!!」

「正社員の非正規化につながる!!」

という「みんなを安定した正社員にしろ」的な正社員信仰による批判。

私が「大企業はもっと総合職の正社員(濱口氏の言葉を借りれば「メンバーシップ型雇用))を減らして、業務限定型の社員を増やすべきだ!!」と言っているのならば、その批判は妥当である。

しかし、今回、私が対象にしているのは、最初から雇用の安定も恵まれた福利厚生もない会社の正社員である。

そのため、いくら、「伝統」的価値観や、新自由主義憎しの精神で、正社員の解雇自由化や、派遣労働の量的拡大を阻止したところで、元々守られていないのだから何の関係もない。

存在しないものは壊すことも守ることもできないのである。

だから、その批判をされても、

「あなたは一体どこの世界のお話をしているのですか?」

という一言で議論は終了する。

そもそも、そのような批判自体が中小企業の正社員と大企業の安定した正社員を同一視することから生まれるものであり、「正社員」という言葉の問題を浮き彫りにしている。

また、「正社員を非正規化するつもりか!?」という批判については、正社員であっても、給料を時給に換算すると最低賃金を下回っていたり、月給制であるにもかかわらず、(祝日が多く)勤務日数が規定に達していない月はその分の賃金が控除される会社など普通に存在している。

このような人たちは「正社員」と呼ばれていても、「すでに非正規労働者と何が違うの?」と聞きたくなる。

・看板という最後のプライドだけは捨てたくない

もうひとつは、当事者(特に扶養家族がいる男性)が「『正社員』という肩書を失いたくない!!」という動機から生まれる批判。

年功に応じた高い給料も、定期ボーナスも、勤め先が有名企業だというステータスも一切無いと分かっている。

だけど(というよりも「だからこそ」)、最後のプライドとして「正社員」という看板だけは守りたい。

要するに、正社員という肩書だけを根拠に、大企業の正社員と同一視して、「自分は一人の稼ぎで妻子を養っている」と思いたいマッチョな考えの人たち。

もしくは、これまで散々「従順な若い奴しか必要ないから、中高年なんて土下座されても雇わない!!」という年齢差別を行ってきた加害者としての自覚があるため、年老いた今では自分がその原理によって報復されることを恐れ、どうしても今の会社にしがみつくしかない人たち。

このような人たちは業務命令の制限や公的な社会保障の充実というお上からの施しによって守られることよりも、正社員として働き続けることができる解雇規制を好むのかもしれない。

とはいっても、それに固執したところで何が生まれるというのだろうか?

自分一人は気持ち良くなったとしても、実際に大企業の正社員とは大きな格差があり、そのことによって迷惑を被るのは少ない稼ぎで家計をやりくりしなければならない家族である。

「自分は家族を守る立派な社会人でありたい!!」と思うことが、家族を苦しめるのであれば、それはなんと皮肉なことであろうか。

そもそも正社員の解雇規制だって法律による保護なのに、なぜその規制に対しては「自分は誰かから守られている」という自覚がないのだろうか?

「自分たちは二等社員」だと差別されることを恐れているかもしれないが、事実として、大企業の正社員とは違うのである。

そんな状況でも、本心から「家族を守りたい!!」と思うのであれば、いい加減、何があっても解雇されない身分保障も、一人の稼ぎで家族を養えるだけの給料もないという事実も認めましょう。

「これから先はどうすべきか?」という議論の答えは様々であり、別に私と違う意見であっても全然構わないが、先ずは「自分たちは大企業の『正社員』とは違う」という事実を受け入れないと何も前へ進めることはできない。

ひとつの会社で定年まで勤めあげる終身雇用も、男一人の稼ぎで世帯全員を養う「男性稼ぎ手モデル」も、昔から多数派ではないことはこの記事で書いた通りである。

私の元同僚のように、それを認めず、「正社員とした身分で、妻子を養う男性」という幻想に固執して、家族に金銭的な苦労をかけている事実を受け入れない方がよっぽど情けない男ではないのか?

まあ、本人はそのことを屁とも思わず、「自分が家族を養ってきた」みたいな顔をしてますけど。

そんな人間になりたくないのなら、自分にはできないことを受け入れて、お金はないけど、家族や地域の仲間と共に生きる時間を増やして、大学の学費のような個人ではどうしようもない大金は社会保障で解決する道を歩みましょう。

・修正案

年功序列も終身雇用もなく、従業員の生活を一生保証できない会社は「正社員」を雇う資格がない。

これが私の考えであるが、やはり「正社員」という名を奪われることに抵抗があるため、反発が予想される

というわけで、修正案として、中小企業の正社員から「正社員」という名を剥奪するのではなく、大企業の正社員の方を「無限定社員」または「無制限社員」と改名し、従業員が業務命令は無制限に引き受ける義務を負う代わりに、会社が倒産しない限り、企業は家族を含めた終身の生活を保障することを法律で義務付けるようにしよう。

そうすることで、「正社員=終身雇用」ではなくなり、もし、将来の見返りがない中小企業の正社員が契約外の業務命令を出された場合でも

「私は正社員だけど、無限定社員ではありませんので悪しからず」

と断ることができる。

「従来の正社員」の人たちの方が少数派になるわけだから、差別されようがなく、終身雇用も年功序列もないことが、入居やローンの審査で「あなたは無限定社員じゃないから貸しません!!」と不利になることはない。

そうなった場合でも、無限定社員の方が有利であることは間違いないが、それは今の公務員も同じである。

たとえ、公務員(の収入)が顧客として安定しているからと言って、「ウチは絶対に公務員様としか取引しません!!」という姿勢で営業していれば、対象が少なすぎて事業として成立しないため、彼らはリスクを背負ってでも、民間企業勤務者に貸さざるを得ない。

「これまでのような正社員でなくてもいい」という主張は「無責任」だと批判されることが多いが、反対に「正社員なら何でもいい」という理屈も同様に無責任であると私は考えている。

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