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・日本型雇用に守られていない人が、なぜか「自分は守られている」と信じる不思議
日本型雇用は、欧米のような競争型と違って、仕事のできない社員でも絶対にクビにすることなく、しっかりと教育して、長年、会社のことを何でも聞いてくれた対価として、勤続年数に応じた昇給や手厚い福利厚生があるのだから、真面目に働くすべての人にやさしい。
そして、国の社会保障制度はこのような企業福祉を軸としているのだから、欧米と違って、弱者切り捨ても、モラルハザードも引き起こさず、高い課税も必要ない素晴らしいモデルだ。
こんなことを主張する人がいる。
しかし、これは裏を返すと、勤め先に手厚い福利厚生が存在しない場合は何も頼れるものがなく、かなり危険な状態に晒されることになる。
企業別の福祉に依存した社会保障制度は決して、人にやさしいものではなく「究極の民営化された社会保障」以外の何物でもないと思う。
だから、日本型雇用は「裕福な会社の労働者にはやさしいが、貧乏な会社だと労働者にとって全くやさしくない」ということになり、勤め先の懐具合によって、大きな格差が生まれることになる。
にもかかわらず、(ここ重要)日本型雇用に守られていない人たちが、なぜか自分たちは日本型雇用によって守られていると思っている。
当時発足したばかりの安倍政権が、雇用改革の目玉として正社員の金銭解雇ルールを導入しようとする話が報道された。
当時の私は地元の工場で働いており、職場の休憩所のラジオでこのニュースが流れていた。すると入社したばかりの50代の男性社員がこのニュースを聞いて、
と怯えていた。
私はそれを聞いて不思議に思った。
これが導入されて困るのは、大企業に勤めていて1000万円近い年収を貰っている人たちなのであって、
あんた、そもそも守られてないし。
本当にあんたが解雇規制や終身雇用に守られているのなら、こんな手取り十数万の会社に中途で入社するようなことにならんのだが・・・
なぜ彼らは「会社が絶対に自分のことを裏切るはずがない!!」と信じて疑わないのだろか?
「自分のことを守ってくれるはず」と勝手な期待をするだけなら、大した害を及ぼすことはないのかもしれないが、日本型雇用慣行の恩恵を受けていない人間が、自分たちを守ってくれていると勝手に思い込んでいる日本型雇用の論理を振りかざして、
「若い時に苦労しないと、年を取った時にどこからも雇ってもらえなくなるぞ!! 」
「女と年寄りは雇ってやってるだけありがたいと思え!!」
と言いながら、浅ましい弱い者いじめに走ったりする。
その結果、自分のことを守ってくれるはずもない日本型雇用の秩序がより強化されて、将来的には自分たちが不利益を被るという何とも皮肉なことが起こる。
こうして見ると、あまりにも一方的で見当違いな片思いであり、若い頃の私は、このような人を見て心の底から愚かだと思った。
しかし、最近になって考えが変わった。
彼らは自分たちが会社に守られていないことを薄々感づいている。
でも、その現実を直視すると強烈な不安に襲われる。
だから、自分を守ってくれる精神的な安定が欲しいのではないか?
その精神的安定こそが、かつて日本中に存在していた(のかどうかは実際のところ分からないが)いつでも従業員を守ってくれる、お父さんのような頼もしい企業であり、ここから宗教としての日本型雇用が生まれ、神の祝福(この場合は年功序列や終身雇用などの高福祉)を受けることができる「(幻の)正社員」という姿をイメージするのだろう。
そのことで、虐げられていると同時にそれにすがろうとする、一見奇妙な現象が起こる。
彼らも辛いのだろう。
たとえ非論理的であっても宗教を信じることでつらい日常生きていくことできるのなら、それでも構わないと思う。
だからと言って、私は、自分の弱さに負けて、弱い者いじめに走るような人間に一切同情などしないが。
・人にやさしい(はずの)日本型雇用信者の不思議な自己責任論
「正社員=無条件に安定」が宗教であることが分かるもう一つの例がある。
それが過度の「自己責任論」である。
正社員A:「正社員は安定しているとか、ボーナスが出るとかいう人がいるけど、私が勤めている会社は正社員でもボーナスなんか出ないし、年取って、若い時みたいに働けなくなった社員がフツーに解雇されているんだけど。正社員=安定とか嘘つかないでよ。」
日本型雇用信者:「それはそんな会社にしか就職できない奴が悪い!! ちゃんとした会社で正社員になれば、必ずボーナスは貰えるし、クビになることもないよ!! 」
あれれ・・・不思議ですねぇ。
「会社は絶対に正社員を裏切らない!! それが欧米の会社とは違う素晴らしい所だ!!」と言いながら、実際に裏切られた正社員を自己責任で切り捨てようとするなんて。
そもそも、人にやさしい(はずの)日本型雇用が大好きな人が「自己責任」なんて言葉を使って恥ずかしくないのか?
あんた実は筋金入りの新自由主義者だろ!?
と私はかつて思っていたが、最近はこれについても考えが変わってきた。
彼らがこうも声高に自己責任論を展開するのは、決して、彼らが弱肉強食の世界を好む新自由主義者だからではなく、「正社員=安定、企業が正社員を裏切るわけがない」という精神的安定を保つためではないかと思う。
だから、「本人が悪い(はず)!!」という自己責任論を振りかざして、「正社員でも安定していない」という現実を、自分の信じる「正社員」のイメージから必死に隔離しているのかもしれない。
まあ、問題なのは必死に精神的安定を求めても、そこに経済的安定が存在するとは限らないことであるが。
・宗教は人を守ることができるが人を傷つけることもできる
現実の社会があまりにも厳しくて、生きることがつらいと感じる人が「宗教」に救われて生きていくことができるというのであれば、私はそれで構わないと思う。
ただし、宗教は時に暴走する。
宗教対立による虐殺は極端な例だとしても、良かれと思って自分の信仰する宗教を他人に押し付けた結果、悲惨なことが起こることは珍しくない。
もちろん、正社員教の信者も例外ではない。
・風邪なんかでは会社を休まない
・台風でも出社する
・将来の出世のために、今の残業代は請求しない
・上司の酒の誘いは絶対に断らない
・結婚してマイホームを買ってこそ一人前
このように「社会人の常識」という名の規律を持つことで自分の身を厳しく律することは大変結構だが、それを他人にも押し付けて、人を無自覚に傷つけることが珍しくない。
また
「一度入社したら絶対に三年は続けなくてはいけない!!」
「結婚したら家族を守るために、絶対に仕事を辞めてはいけない!!」
と言って、助けが必要な人に自分の宗教観を押し付けて、自殺以外の逃げ道を奪う人は殺人者と何も変わらない。
他人の宗教の自由を認めない人間には神を信仰する権利も宗教に救われる権利もない。
ということをよく覚えておいてもらいたいものである。
地元で正社員になる道を捨てて、東京でフリーターになることを選んだ理由
地元へ戻って就職、結婚することをしつこく勧めるオヤジとの決着をつけに行く①