先日、電車に乗った時のことだった。
私の向かいに大学生と思われる2人組の男女が座っていた。
彼らは「何月にインターンに行って、説明会に行って、一次面接を受けて~」というような就職活動のスケジュールを話していた。
すると、男性がため息をつきながらこんなことを言った。
「はぁ。何で正社員として就職することがこんなに大変なんだ」
「昔は男なら誰でも楽に正社員になれたのに!!」
そして、女性の方も同調しながら
「そうそう。それから、女は誰でも専業主婦になれたのにね」
「もし、私たちが昭和に生きていたら、〇〇(おそらく男の名前)が正社員、私が主婦になって平穏に人生を送ることができたのにね」
「男女平等とかマジ要らないwww 私は仕事するよりも主婦になる方が幸せだもんwww」
というような会話を実に楽しそうな顔でしていた。
そんな甘ったるい妄想を聞いてカチンと来たのは、30近い年齢にもかかわらず独身で恋人もいない男が、幸せそうにのろける男女に嫉妬したからだけではない。
・「もっと昔に生まれていたら、仕事で苦労することはなかった!!」と憤っている人たちに欠けている視点
・昔の日本は今よりも安定していた。
・誰でも正社員になれた。
・真面目に生きていれば普通に暮らせた。
・自分も昭和に生きることができれば・・・
このようなことを思っている人は先ほどの2人に限ったことではないのだが、それはあまりに都合よく考え過ぎではないか。
私が常々不思議に思っていることがあるのだが、
というフレーズの「正社員」という言葉は、なぜか無条件に「大企業の正社員」と結び付けていることが珍しくない。
昭和の時代は正社員の比率が今よりも高かったことは事実だろうが、(当たり前だが)その正社員の全員が大企業に勤めていたわけではない。
正社員といっても年功序列、終身雇用といった「安定」した身分を手に出来たのは全体の3割程度であり、大半は無縁の地方の中小企業の社員である。(数字の根拠についてはこちらの記事をご覧いただきたい)
そのような会社でいいのなら、今頃(2019年)は人手不足で苦しんでいるだろうから、就職することは難しくないのではないか?
そこに就職して本人が幸せになれるのかは別にして。
あ、でも、
と憤っている人は
「はあ?? 労働基準法?? コンプライアンス??」
「そんなの関係ねえ!!」
「ウチは絶対に会社第一で長時間労働ができる若い男しか正社員として取らねえ!!」
と宣言している中小企業(それも社長一族のワンマン経営の)とは、法律よりもエゴを優先する点に置いては同じ穴のムジナであるため、ウマが合うのかもしれない。
きっと、「正社員は休みなく何時間でも働かせる」という彼らの大好きな昭和的発想で可愛がってくれることでしょう。(そのために若い男しか取らないのだから)
というわけなので、男女平等憎しの昭和モデル信奉者は中小企業で働こう!!
その結果、本人が満足できるのかは保証できないが・・・
・正社員は絶対に保障されている!?
さて、昭和的な働き方の話をすると、
と言う人がいるが、その話は本当なのか疑問である。
たしかに、中小企業でも頑張って仕事を続ければ、将来は報われるという会社はあっただろうが、ここで日本型雇用とブラック企業の親和性の問題が生じる。
若い人をとことんまで酷使するのは日本型雇用もブラック企業も同じである。
問題は「頑張っても報われるかどうか」は仕事を始めて20年くらい経たないと分からないことである。
だから、若い時の20年だけコキ使って、恩恵を与えるべき年齢に達したら、ご褒美を与えずに切り捨てることも可能である。
このように、少なくない人は
と思い込まされていただけで、実際は日本型雇用の恩恵を受けることはできなかったのではないか?(結果として経営が失敗したのか、経営者の故意なのかは知らないが)
つまり、現代は中小企業が昔と比べて劣化したのではなく、単に「ボロが出た」だけではないのだろうか?
そして、そのような「頑張れば報われる!!」と明るい未来を信じていたけれども、裏切られた人たちが藤田孝典氏が問題提起した「下流老人」となってしまった人たちではないのかと思う。
少し話が脱線するが、昨今は正社員であることのメリットを「保障がある」という言葉で表すことがある。
非正規労働者は時給で働くことが多いため、ケガや病気で働けない期間は収入が途絶えてしまい、最悪の場合は「以前と同じ仕事ができないから」という理由で解雇されることもある。
それに対して、正社員は月給制が基本であり、ケガや病気の時もしっかりと治療に専念して、回復すればまた同じ職場で働くことができる。
という理屈なのだが、私の知る限りでは、この誘い文句は最近になって言われ始めた。
少し前までは正社員の魅力、目指すべき理由といえば、定期ボーナス、年功序列、退職金などのお金に関するものだった。
そんな言葉で学生やフリーターを正社員になるように誘導していたわけだが、注意しなければならないのは年功序列や退職金なんてものは、本当にそれを貰うことができるのかはすぐには分からないという点である。
このご時世ではさすがにそのような幻想で欺き通せないと思った人たちが、それでも正社員を馬車馬のように働かせるための新しい理屈として、「保障」という言葉を前面に押し出しているわけだが、ここでも「正社員でいさえすれば経済的に豊かな生活を送ることができる」というかつての考えは幻想だったことが分かる。
・なぜか「大企業勤務=ホワイトカラー」という発想
話を昭和の正社員へ戻す。
中小企業で正社員として働くことは楽なことではない一方で、大企業の正社員になれば、経済的には安定したサラリーマン人生を送ることはできたかもしれないが、それでも大半は「きつい・汚い・危険」と三拍子揃った現場の汚れ仕事である。
「昭和は誰でも正社員」信者が憧れている(のかどうかは知らないが)「大企業のホワイトカラー(総合職)」に就けたのは昔から一握りのエリートだけだった。
もちろん、そんなキツイ現場仕事でも恵まれた福利厚生はあったかもしれない。
しかし、その代わりに、今と違って週休1日だし、「うつ病」、「パワハラ」、「過労死」なんて言葉は存在しなかったし(決して、それ自体が存在しなかったわけではない)、長時間労働に耐えることができないのは「甘え」の一言で片づけられていた。
昭和のサラリーマンを羨んでいる人は、そんな過酷な生活に耐えることができるのだろうか?
やはり、どんな世界にも表と裏があり、生まれた時代が違うだけで、人生が大きく楽になるということは有り得ないのである。
・神様への背信
かつて「経営の神様」と称された松下幸之助という人物がいた。
彼はパナソニックの創業者であり、石油ショックの影響で雇用危機が訪れても、決して従業員の解雇も賃下げも行わないなどの男気溢れるエピソードがいくつもあり、今でも彼のことを理想の経営者と考えている人が多い。
今回取り上げている、「昭和の暮らし」に憧れている人はきっとこのように考えているに違いない。
だが、松下幸之助には自社の製品を定価で販売することにこだわり続けたという一面がある。
この考えは当時も無批判に受け入れられていたわけではない。
たとえば、ダイエーの創業者である中内功は、松下に限らず、生産者が価格決定権を持っている現状を打破しようと考えて、松下の製品を20%引きで販売した。
すると、松下は激怒して、ダイエーへの一切の出荷を停止して、両者は数十年に渡って争うこととなった。
松下の言い分としては、松下社の販売網は生産者・問屋・特約店(小売業者)の3社の信頼関係と適切な商品価格を維持することによって成り立つものであり、仕入れ量によって商品の価格に差をつけることを認めれば、山間部に住んでいる人は松下の製品を買うために高額の料金を払うことになってしまう。
それは日本全国に自社の製品を等しい価格で届けるという創業以来の理念に反することである。
それにダイエーがあれだけ物を安く売ることが可能なのは、生計を立てることができるだけの給料を必要としない主婦パートが従業員の大半を占めているからであり、「ダイエーができるから」という理由だけで、他の販売店にも値引き販売を要求すれば、三社のバランスが崩れ、それはやがて消費者も含む、社会全体の安定をも脅かすことにつながるだろう。
彼はそうして定価販売にこだわり続けた。
ここでは松下と中内のどちらが正しいのかを議論するつもりはない。
私が言いたいのは「『松下幸之助のような人の会社で働きたい』と考えている人は、彼が守ろうとしたメーカー・問屋・販売店の信頼関係や、ダイエーとの戦争で主張した定価販売を維持することに込められている信念をどれだけ本気で考えているのか?」ということである。
と考えているのであれば、それは結構である。
しかし、
「規制緩和によって日本の良さが損なわれ、弱肉強食の世界になってしまった!!」
「真面目に正社員として働き続ければ、絶対に解雇されず定年まで働けて、仕事を覚えながら給料が上がり続けて、結婚したら扶養家族に合わせた手当をもらえて、定年で退職したら年金だけで悠々自適に暮らすことが出来る日本企業の良さを取り戻せ!!」
と威勢のいいことを言って、「昭和!!」「日本の伝統!!」と叫んでいる人は、自分たちが消費者の立場になったら、ダイエーの中内が考えているような
「商品の値段は売り手と買い手によって決められるべきだ!!」
「『その商品を作るためにいくらかかるか?』などという生産者の事情など知らん!!」
というような意見には断固として反対して、適正価格で商品を購入すべきである。
もし、それができないと言うのであれば、それは自らが崇拝する神への背信であり、そのような傲慢な人間が欲しているものは「安定」などではなく「特権」と呼ぶべきである。
・今日の推薦本
長期雇用や製造業中心の経済成長は、社会が近代化する過程ではどの国の歴史でも見られるが、他国に見られない日本独特の歴史は、雇用者が増大することで淘汰されるはずの自営業者が安定した生活を手にできたことにあった。
雇用者と自営業者という「両翼の安定」と、シャッター商店街に代表される自営業者の凋落の歴史を解説してくれる本。