神成さんに憧れている人の99%はそんな資格などない

先週から2021年度が始まった。

自分の職場にも新入社員が入ってきたが、どうも甘さを感じてしまう人もいるかもしれない。

ここらで一発ガツンと「社会の厳しさ」を叩き込んでやりたいところだが、近頃は褒めて育てることばかり要求して、厳しく叱るとすぐに「パワハラだ!」と騒がれる。

全く生きづらい世の中になったもんだ。

それは新入社員に限らず、子どもだって同じである。

他人の子どもでも悪事を働けば厳しく叱るべきだが、そんなことをすると親が飛んできてイチャモンをつける。

その結果、子どもになめられて、言うことを全く聞かない。

たとえ、「時代遅れだ!」「老害だ!」と嫌われても、いや、むしろこんな時代だからこそ、昔のような威厳のある雷オヤジが必要だ!!

入り方が少々強引だったが、今日の記事はそんなことを考えている人にぜひとも読んでもらいたい。

本日のテーマはドラえもんに登場する神成さんのような他所の家の子どもでも叱りつける大人に憧れている人たちである。

昭和の頑固おやじと言えば

「バッカモーン!!」

でおなじみの「サザエさん」に登場する磯野波平の方がメジャーなのかもしれないが、私はサザエさんには興味がないため、彼のことはほとんど知らない。

というわけで、本日は神成さんを基にして、昭和の頑固おやじとその姿に憧れる人たちの99%はそんな資格がないと思う理由について取り上げたい。

・神成さんはただの怒りオヤジではない

先ず言いたいのは、神成氏は子どもたちを理不尽に怒鳴っているわけではなく、本当に子どものことを思っている人であるということ。

これは決して綺麗言や思い出補正ではなく、根拠があって言っている。

たしか2001年に放送された「天使のラッパ」という話だったと思うのだが、例によって盆栽を壊された神成氏がスネ夫(実際に壊したのはのび太だが、道具の力によって、彼が謝りに行くことになった)に雷を落として、こんなことを言った。

「何度言ったら分かるんだ!!」

「いつも言っているだろう!!」

「周りに注意して遊べと!!」

そうである。

この話に限らず、彼は自宅のガラスや盆栽を壊されたり、謝らずに逃げることに対して怒っているのであって、子どもたちが自宅の隣にある空き地で遊ぶこと自体は容認しているのである。

たとえ、過去に何度も被害にあった相手であっても。

そう考えると、彼は単なる怒りオヤジではなく、とんでもない聖人ではないだろうか?

神成氏のように自分の言うことを聞かない他人の子どもを厳しく叱りつけたいと考えている人たちにぜひとも聞いてみたい。

あんたは同じことができるのか?

考えてみてほしい。

自分のエゴだけで行動するのなら、空き地の管理人にクレームを入れて、空地への立ち入りを禁止させるか、私有地への不法侵入として警察に連絡して保護者に注意するよう要請すればいいだけである。

だが、彼はそんなことは一切しない。

つまり、彼は自宅の隣という影響をもろに受ける場所であっても、子どもたちが元気に外で遊ぶことは「大いに結構」という寛容さと懐の深さを持っているのである。

・エゴを道徳で覆い隠すモンスター

このような、他所の子であっても、子どもの健全育成を第一に考えていることこそが神成氏の真の姿であり、悪さをした子どもを大声で叱りつけるというのは一面でしかない。

それは偉そうに「躾」や「礼儀」を語りながら

「自分の快適な暮らしの邪魔をする子どもを力ずくで従わせよう」

「ガキ共の事情など俺には関係ない!!」

という利己的な考えから、子どもを叱りたいと考えている大人とは全く違う。

神成氏に憧れている人にもう一度聞いてみたい。

あんたに同じことができるのか?

以前の記事で書いたが、二言目には外国の称賛や日本の批判をしている人が、実際に外国で暮らしてみて、理想と現実のギャップに気付いて考えを改める可能性はある。

だが、その対象が過去の場合はタイムマシンが発明されない限り、実際の生活を味わうことがないため、決してこのような挫折を経験せず、都合のいい面だけしか目に入らない。

今回の話もそれと同じである。

神成氏のような自宅の隣で他所の家の子どもが遊ぶことを認める寛容さを持たず、ただ自身の快適さのみを追求している自己中心的な人間が「躾」などという言葉を口にするとはお笑いである。

その浅ましい姿は彼らが批判しているつもりでいる「義務を果たさずに権利だけを主張するわがままで、自分勝手で、堕落しきった現代人」と一体何が違うというのだろうか?

そんな傲慢で、他人を屈服させることしか考えていない人間が

「最近の親は自分で子どもを育てることができない!!」

「近頃の子どもは大人の言うことを聞かないから、体罰で教えるしかない!!」

というような勘違いをし、思想も節操も持たず、暴力や恫喝を賛美している姿は危険なモンスター以外の何ものでもない。

そんな人間が子どもにそっぽを向かれることは当たり前である。

保育所や公園のような公的な施設にさえ、「子どもの声がうるさい!!」とヒステリックに大騒ぎしている人間を突き動かすものは「クソガキ憎し」の精神だけであり、そんな人間には他人の子どもを叱る資格などない。

そんな品性下劣人間が自身を神成氏と同一視する姿には私は吐き気が出るほどの嫌悪感を持つのである。

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