新入社員へ贈りたい3つの言葉2021年編③:「金を払う方が常に正しい」という考えは「拝金主義者」の精神である

前回前々回と新入社員へ贈りたい3つの言葉2021年編をお送りしてきた。

今年は例年に比べると、やけに真面目な気がするが…

最終回である本日のテーマはこちら。

:「金を払う方が常に正しい」という考えは拝金主義者の精神である

私はこれまでも「社会人」と自称している人間をコケにする主張を繰り返してきた。

そうはいっても、人間は社会と関わりを持って生きている以上、最低限守らなくてはならない共通のルール、まさに「社会人としてのルール」は必要だと私は思っている。

たとえば、

・労働基準法を守る

・つまらないこだわり(マイルール)を部下に押し付けない

・気分で職場を取り仕切らない

・新人がすぐに仕事を覚えなくても、イライラせずに何度も根気強く教える

・人前で怒鳴らない

・報告や相談を躊躇わないように、過度なプレッシャーを与えない

などである。

これらは私にとってあまりにも当たり前過ぎて、「信号が赤になったら止まる」並みの常識と言ってもいい。

だけど、いい年した大人でも、こんなことすら守れない人が多いんだよなあ。

だが、問題なのは彼ら自身ではなく、このような社会不適合者が「社会人失格」と糾弾されないことである。

その理由は「社会人としての規範」は文字通り、社会生活を営むためのルールではなく、弱者への要求としてのみ用いられるからである。

・「パワハラ」や「セクハラ」は「社会人失格」ではない?

「社会人であれば○○であるべき!!」

「〇〇は社会人として当然のことである!!」

このように「社会人」という言葉は常にお金をもらう側にしか向けられない。

たとえば、上司が職業的な立場を利用して、部下にいじめや嫌がらせを行うことは「パワハラ」や「セクハラ」という言葉で非難されることがあっても、それが「社会人失格」と言われることはない。

これは不思議なことではないだろうか?

パワハラもセクハラも違法行為であることは多くの人が同意するだろう。

にもかかわらず、「社会人としてのモラルに反すること」だとみなされないのは、「社会人」という言葉自体が立場の弱い相手にしか求められないからである。

そのため、強者の権力の濫用であるセクハラやパワハラは「社会人」としてのルールの適用範囲から除外されるのである。

彼らの主張する「社会」とは、開かれた世界で多くの人とかかわることのようなイメージとは随分対照的に、随分と偏りのある言葉である。

裏を返せば、お金を払う側にはそのようなモラルは基本的に不要だと思われていることになる。

なぜなら、彼らは「社会では金を払う側が無条件に正しい」と考えているからである。

パワハラやセクハラだって、法令順守の観点から嫌々問題化しているだけで、本音としては「社会ではそんな甘えは通用しない!!」と言いたいのかもしれない。

だが、「自身が弱者としている際の心構え」で済むのであればいいのだが、その倫理は自分の立ち位置が変わると凶器へと変化する。

「社会人たるものは~」という言葉で得意げな顔で説教している人間はそのことを考えているのだろうか?

・加害者を生み出す教育

これは私が高校生の時の話である。

私が通っていた高校は大学進学を念頭に置いた学校ではなく、卒業生の多くが就職を選択する職業高校だった。

「職業高校は偏差値が低い学生が通うガラの悪い学校である」

こんな偏見を持っている読者もいるかもしれないが、少なくとも私が通っていた学校では、それは偏見ではなく事実であった。(もちろん、真面目な学生も多く在籍していた)

当然、教員もそんな学生たちに対処するために、理不尽な校則を制定し、横暴とも言える振る舞いをすることが珍しくなかった。

こんな学生と教員が跋扈する学校であるため、日頃から「シャツをズボンの中に入れない」とか「派手なアクセサリーを身に着けていた」といった下らない理由で激突していた。

そんな時、教員サイドが指導の為に使う常套句がこれだった。

「そんな態度では社会じゃ通用しない!!」

この言葉は、学生が暴力のような本当の意味で、社会で禁じられている行為や、遅刻や無断欠席といった法律で禁止こそされていないものの、社会生活を送る上で重大なモラルの欠如に対して放たれる言葉ではない。

この言葉が使われる場面を一言で表すと「強者である教員の理不尽な振る舞いに屈しない時」である。

つまり、彼らの考える「社会」では、親分が「黒」と言えば、子分は「白いものでも黒と言え!!」的な極道(間違っても「体育会系」など呼んではいけない)の上下関係のようなもので、常に強者(金を払う側)が正しいのである。

だが、そのような履き違えた「社会」秩序の押し付けは、従順な生徒だけでなく、(後の)加害者を養成することにもつながる。

実際にこんな場面があった。

私のクラスメートで常に教員とぶつかっている男子生徒がいた。

教員連中はそんな彼を常にしごき、二言目には

「お前、そんな態度じゃ社会では通用しないぞ!!」

と言いながら徹底的に理不尽な服従を要求していた。

彼らは、この生徒が「就職先で苦労しないために」と考えているのだろうが、この指導は明らかに不適切である。

彼は就職を希望していたものの、実家が電機屋を営んでおり、家業を継ぐことも考えていた。

彼が家業を継いだ場合、お金をもらって人に仕える立場ではなく、お金を払って人を雇う立場となる。

そんな時に、高校生活の指導で学んだ「金を払う方が常に正しいのだから、何をやってもいい」とう誤った「社会のルール」に従って、従業員に接すれば、彼は加害者になる。

これは、公教育によって加害者が生み出されていることになる。

彼の例は極端であるが、たとえ勤め人であっても多くの人は後々、部下を持ったり、後輩を指導する立場となる。

そんな時、彼らを服従させるために使用された「金を払う立場が常に正しい」という「社会のルール」は彼らを凶暴なモンスターへと変容させる可能性がある。

・あえて言おう

このように、自称社会人が主張する「金を払う方が常に正しい」という考えは加害行為を助長するいかに危険なものであるかがお分かりいただけたと思う。

そのような一方的な要求は断じて「社会のルール」と呼ぶに値するものではない。

それでは何と呼ぶべきか?

あえて言おう、

カスであると!!

それは冗談であるとして、そのような「金を払っている方が偉い」という考えは「拝金主義者の思想」と呼ぶべきである。

資本の論理にひれ伏し、人間としての倫理を放棄した拝金主義者。

それこそが、「金を払う側は常に正しい」と考えている人間の正体である。

・まとめ

今年も例年通り、新入社員に覚えておいてほしい3つの言葉をお伝えしてきた。

最後に改めて振り返ってみよう。

:仕事ができる人間が昇進するとは限らない

:企業への忠誠心は身を亡ぼすこともある

:「金を払う方が常に正しい」という考えは拝金主義者の精神である

新入社員へ贈りたい3つの言葉シリーズは過去2年も同様に行ってきた。

このブログではその他にも「人間関係が原因で仕事を辞める時は理由を正直に話した方がいい」や「モーレツ社員は同僚だけでなく会社にとっても害を及ぼす」、「他人を説得する時は自分にとって心地いいロジックに溺れてはいけない」など働く上で覚えておいてほしい言葉を紹介してきた。

興味がある方や胸に響いた言葉を見つけた方は「仕事」というカテゴリーや「テーマ別おすすめ記事」も併せてご覧いただきたい。