前回から毎年恒例の新入社員へ贈りたい3つの言葉2021年編をお送りしている。
今日のテーマはこちら
ほとんどの会社では入社と同時に「組織への忠誠心を持つことの大切さ」をしつこく聞かせられることだろう。
いや、そのような教えは学生時代から刷り込まれているのかもしれない。
「個人は組織に貢献することで初めて価値がある」
「組織と個人が対立したら、常に組織を優先しなければならない」
「国家とは個人の総意ではない。国家を離れていかなる個人もない」
すいません。
最後は別の人でした。
冗談はさておき、本日私が言いたいことは、企業への忠誠心の欠如は社会生活を営む上で致命的な欠点であるかのように言われているが、それは全く逆で、勤め先に度が過ぎた忠誠心を持つことによって、この社会では生き残れなくなる可能性もあるということ。
これを聞いて
と思った読者の方もいたかもしれない。
たしかに、そういう人も含まれているのだが、今回私が重点的に取り上げたいことはそれではない。
ほとんどの人は働かなくてはならないわけだが、大事なのは「生きるためにお金を稼ぐこと」であって企業と運命を共にすることではない。
会社を信じて、「とにかく会社に尽くせば、将来の身分は保証される」というのは一部の特権階級層だけであって、多くの会社には当てはまらない。
中小企業は年功賃金も終身雇用も存在しないため、当然、勤め先が経営不振に陥った場合は「それが一時的なものなのか」、それとも「回復の見込みがないものなのか」を自分の目で判断し、後者であれば、その会社を見限って、別の働き口を見つけなければならない。
そんな時に
「自分は会社を信じる!!」
「絶対に会社を見捨てない!!」
などと忠誠心が邪魔をすることで正常な判断ができなくなる可能性がある。
給料未払いになったり、倒産した後で「こんなはずじゃなかった!!」と後悔しても遅い。
また、「自分はここでお世話になると決めたのだから!!」と言って会社と心中を覚悟することは自由だが、間違っても「他の従業員も同じ気持ちだろう」などという甘い幻想を持ってはいけない。
彼らも生活がかかっているため、計算高く行動する。
かくいう私も務めていた会社が倒産したことがあるが、自身がそのタイミングに巻き込まれることはなかった。
だが、元同僚たちの身の振り方があまりにも衝撃的だったため、当時のことは今でもはっきりと覚えている。
・そんな転職ありなん?
この話は以前の記事にも登場した(実質)初めてハローワークで探した会社(仮名:A社)で働いていた時のできごとである。
就業開始時こそ、店長のシミズ(仮名)や、パートの女性たち、社長の親族も含め、アットホームな雰囲気の会社(ブラック企業の誘い文句ではなく本気でそう思っていた)だったが、店内に同業他社が入ったことで売り上げが激減し、シミズも徐々に不機嫌な態度を見せ、職場はギスギスした雰囲気が蔓延し出した。
そして、人件費削減のため、これ以上フルタイムでは働けないことを通告された私は退職することになった。
そのことは該当記事でも述べた通りである。
1年後、店の近くに用があった私は、ふと職場のことが気になり立ち寄ることにした。
すると当時の同僚だったパート女性が作業場に招き入れてくれて、後日談を聞かせてくれた。
当時の店長だったシミズは「この店舗だけでなく会社そのものも危険だ」と判断して私が辞めた半年後に退職していた。
しかし、驚いたのはその転職先である。
なんと、彼は同じ店舗内に出店して、私たちの勤め先をボロボロに追い込んだ同業他社であるB社(仮名)に転職していた。
どうやら、たばこ休憩中にB社の店長と親しくなり、自身と会社の状況を説明すると、彼から転職を勧められたため、そちらでお世話になることを決めたそうである。
今では「中小企業勤めはこんなもの」と冷静に受け止めることができるが、20代前半で「正社員は一度入社を決めた以上、簡単に転職など…」と思い込んでいた私は彼の行動に衝撃を受けた。
さらにその1年後、私が勤めていたA社はテナントから撤退することになり、その数年後には会社自体が廃業することになった。
シミズの見限り行動は見事に成功したと言える。
なお、この会社にまつわる後日談はまだ続きがある。
数年後に知ったことだが、A社が撤退することになったのは、競争の結果ではなく、テナントの貸し手であるスーパーの画策だった。
彼らはA社の社長が、スーパーが企画する特売セールやイベントに非協力的だったり、お局のパート(私が働いていた時はすでに退職していた)が非常連客に傲慢な態度で接客していることに業を煮やして、格安路線で営業を行うB社を参入させ、A社の売り上げを奪って撤退に追い込む算段だったのである。
そして、計画通りA社を追い出した後には、B社に作業場を譲り受けることを約束していたが、それは口約束だけの真っ赤な嘘であり、そこには自分たちの直営部門を入れることになった。
これにはB社の社長が激怒し、B社もこのスーパーから撤退した。(私が真相を知った理由はこちらの記事に書いている)
どす黒い謀略戦の結果、スーパーの一人勝ちとなったが、私はまたも衝撃を受けるような光景を目撃することになる。
B社が撤退した後に買い物客として訪れると、スーパーが直営部門を展開しているかつての作業場でA社の元同僚が働いていた。
彼女自身は同じ場所で、同じ仕事ができるのだから、給料の支払い者が変わろうが大した問題ではないのだろうが、私は「よくも自分の勤め先をあそこまで愚弄した会社で働く気になれたもんだ…」と複雑な気持ちになった。
だが、同時に「たくましい」とも感じた。
このように、ビジネスの場では(立場の弱い会社に勤めているほど)常に生き残り競争に晒されるため、企業への忠誠心などという甘いものに縋っていては、とてもではないが生きていくことができないのである。
自分の身を守ることができるのは自分だけ。
これが本当の意味で「社会の厳しさ」なのである。
・大企業=日本社会ではない
今回私が最も言いたかったことは「大企業=日本社会」ではないということである。
「正社員であれば、会社が身分を保障してくれる!!」
「だから、組織に忠実であれば自分の身は一生安泰(に違いない)!!」
というのは一部の会社に限定された話で、すべての会社で通用するわけではない。
にもかかわらず、自分が大企業に勤め、恵まれている環境を当然のように思い、他所も自分たちと同じだと思い込んで、偉そうな顔で「社会」を語る人間の多いこと多いこと。
この違いを念頭に置いておかないと的外れなアドバイスを展開し他人に迷惑をかけることがある。
日系企業に勤めている人が、外資系に勤めている人から、自分たちの勤め先がいかに効率的に仕事をして、典型的な日本企業のイメージである長時間のダラダラ会議や仕事後の飲み会が一切なくドライで快適な職場であるかを自慢されたら、自分たちとは全く違う世界の話でありウンザリするだろう。
(ちなみに、私も外資系の企業に勤めていたことがあるが、日本企業以上に「日本的」なことも多く、このたとえ話で出した「外資系」のイメージが本当であるとは思わないでもらいたい)
だが、それは大企業に勤めている人が、中小企業に勤めている知人に対して、無意識に行っていることも同じである。
ただ、誤解がないように言っておくと、私は別に「年功序列も終身雇用もない会社はブラック企業だ」とは思っていない。
今回紹介したA社の社長もそうだが、上京直前に働いていた中小企業の社長も、最初から「ウチはこの給料しか出せない」と認めた上で、それが不満なら別の会社を探すように促していた。
これは彼らなりの誠実さだと思う。
本当に「ブラック」と呼ぶに値するド汚い会社は、今の滅私奉公が将来報われるかのような幻想を垂れ流して、若い時にコキ使ったツケを払う時になると、理由をつけて反故にする「年功序列やり逃げ論」が常套手段なのである。
つまり、今現在、「うちの会社は終身雇用と年功序列は絶対に守る!!」と威勢のいいことを宣言している会社が、絶対にその口約束を履行してくれる優良企業である保証は全くない。
むしろ、「(景気に関係なく)維持は困難である」と認めている会社の方が正直なのかもしれない。
なお、今回は便宜的に「大企業」「中小企業」という言葉を使用したが、これはあくまでも話の見通しを立てやすくするための補助線に過ぎない。
実際は、このような数多の企業を無理やりひとつに括ることはできないことはこの記事に書いた通りである。