最近、街中や電車の中で、周囲に攻撃的な行動を取る人を何度か目撃した。
テレビで報道されるような大事件ではないが、あり触れた日常の中で突然起こるからこそ怖さがある。
今日はそんな頭がおかしい人物数名と、その様子を見た私が感じたことについて話をしたい。
・私が遭遇したモンスターたち
①:電車の中の暴力女
まず最初は、帰宅時に電車に乗る時の出来事である。
私はほとんど残業をしないため、毎日同じ時間帯の電車に乗っているが、電車の遅れにより、いつもより一本前の電車に乗ることがある。
その時は毎回要注意人物をマークしないといけない。
その人物は年配の女で、私が目撃する限り、毎回同じ(ダイヤを走る)電車、同じ号車、同じ扉から乗車している。
それだと単に「いつも人」くらいなのだが、この女、なかなかにヤバい人物なのである。
まず、乗車位置に列が出来ているにもかかわらず、平気で列の先頭に割り込む。
乗車位置ではない所で待っていて、ドアが開くと、「いかにも並んでいました」みたいな顔で割り込むのだ。
しかも、その手段は「割り込む」という生易しいものではない。
ドアの前に並んでいる人はもちろん、降りる人をも突き飛ばして、強引に乗車するのだ。
乗車後もわざと人に当たるようにリュックを振り回しながら網棚に置くことが日常茶飯事。
もはや、当てつけでやっているとしか思えない。
当然、ぶつけられた人は「何だあいつは!?」と言いたげなムッとした顔をしている。
だが、そんなものどこ吹く風で完全無視しながら、ボソボソと独り言を呟いたり、扇子を扇いでいる。
先日はそれだけに留まらず、座席の前に立って、座っていた若い女性の足を踏む、リュックを膝にぶつけるなど、意図的な暴行を加えていた。
ただし、被害女性はやられるがままというわけではなく、
「なんでリュックを膝にぶつけるんですか?」
「さっきからわざと足を踏んでいますよね?」
「スマホで撮影して、警察に通報しますよ」
と毅然とした態度で抗議した。
すると、女は急に態度を軟化させて、「すいません。疲れて眩暈がしただけです」と言い訳して、「それじゃあ、この席に座ってください」と席を譲られると素直に腰を下ろした。
相手が強気に出ると、卑屈になって言い訳する様子を見ると、何らかの知的や精神的な障害によって、衝動を抑制できないというわけではなさそう。
それでも隣に寄りかかるなど、やはり人への迷惑をやめようとはしない。
その場限りの反省で、根本的に行動を改める意志は感じられなかった。
私は今回の被害女性のように毅然と抗議することは出来そうにないので、最初から近寄らないことにしている。
この女は毎回同じ場所に出没するので、危険地帯は事前に判断できることはせめてもの救いだ。
②:突然キレる歯抜け男
次に化け物と遭遇した場所は、職場の最寄駅前のベンチである。
電車を降りて職場へ向かうには、20分ほど早い時間だったため、しばらくはベンチに座って時間を潰すことにした。
すると、隣のベンチに寝そべっていた中年男が突然立ち上がり、座っていたベンチを蹴飛ばした。
そして、私の方へ近づいて来て、こう叫んだのである。
「お前なんかに排除される覚えはねえ!!」
何なんだこの男!?
私が啞然としていると、奴はそのまま荷物をまとめて立ち去っていった。
歯が抜けていて、顔には煤がついていたように薄汚かった。
この辺りを寝床にしたり、徘徊しているホームレスなのだろうか?
だが、ホームレスにしては荷物が少なすぎるように思えた。
そして、旅行者や会社員にしては身なりが不衛生。
これまでもベンチで寝そべっている所を警察官や役所の人に注意されて、隣のベンチに座った私をそのような人たちと勘違いしたのだろうか…?
一体何なのか分からない不思議な存在で、ただ不気味さだけが残った。
③:交差点で通行人に嫌がらせするババア
最後は地元に出現したモンスターである。
帰宅中に最寄り駅から自宅へ向かっていると、交差点で奇妙な行動を取るババアに遭遇。
何が奇妙なのかというと、交差点の向かい側から、信号待ちをしている私たちにスマホのライトを向けているのである。
最初は「道路を行き交う車でも撮影しているのか」と思っていたが、信号が変わり私たちが横断すると、その動きに合わせて、スマホを動かす。
明らかに私たちが眩しいと感じるように悪意を持って照らしているように思える。
そして、こんな金切声を挙げた。
「どいつもこいつも人のことを撮りやがって!!」
歩きスマホをしている人を見て、「自分が撮影(監視)されている」とでも思い込んで報復しているつもりなのか?
この時は単に「頭がおかしいボケ老人に出くわした」くらいにしか思っていなかったが、数日後、またもこのババアと遭遇した。
しかも、前回とは状況が明らかに違う。
まず、ババアが活動していたのは夜ではなく朝である。
今度は「鳩にエサを与えないでください」と書かれた看板の前で、何やらブツブツと言いながら、鳩に向けてエサをばら撒いていたのだ。
これは「自分がやりたいことがルールに反している」というのではなく、校則を破ってイキがるヤンキー生徒のように「ルールを破ることが目的だから、あえてルールを破っている」ように見える。
あの歳になってそんなことをするなんて、やっぱり頭がおかしいと言える。
・元々おかしい人なのか、加齢によっておかしくなったのか?
これが直近の1ヶ月で私が遭遇したモンスターたちである。
共通しているのは、全員年配者だったということ。
これは偶然なのだろうか?
そして、こんな疑問が浮かんだ
「彼らは若い時から頭がおかしいと思われる行動を取っていて、それを矯正できないまま歳だけ取ったのか?」
「それとも、若い時はまともだったけど、歳を取ってから頭がおかしくなったのだろうか?」
前者なら「このバカは筋金入りだから放っておくしかない」となるのだが、後者だった場合は少し考えることがある。
人は歳を重ねると、脳の前頭葉の働きが衰え、感情や衝動を抑える力が弱まると言われている。
若い頃なら理性で踏みとどまれたことが、年齢とともに抑えられなくなる。
また、最近は昔に比べれば多少マシになっているとはいえ、この社会は「○○歳だったら、こんな立場にあるべき」という圧力がまだまだ強い。
「普通はその歳なら、すでに管理職になって部下を指導する立場になっているものだ」
「その年齢なのに、出産も子育てもやっていないの?」
というように。
若い時ならある程度の逸脱も許容されるが、ある程度の年齢に差し掛かるとロールモデルがより単線化して、求められるレベルも上がる。
だからこそ、そうしたレールに乗り切れなかった人が
「自分は社会から排除されている」
「自分は誰からも必要とされない」
と思い込み、被害者意識を増大させ、社会への恨みを晴らしたいと思っているのかもしれない。
社会的な孤立感も無関係とは思えない。
どんなに鬱屈した気持ちを抱えていても、家族や友人がいれば、一線を超えそうになったら注意してくれたり、大切な人のことを想って踏みとどまることができるかもしれない。
だが、加齢によりそうした「自分を律してくれる存在」がいなくなって、内面にあった攻撃性が歯止めなく表に出やすくなっている可能性もある。
今回遭遇した三人には、単なる高齢者ではなく、そうした共通の背景を抱えているのかもしれない。
・将来の自分を重ねてしまう不安
彼らは迷惑この上ないのだが、同時にこんなことも思った。
「果たして、私は無関係と言えるんだろうか…」
私は現在30代である。
独身で非正規雇用、親しい友人もほとんどいない。
仕事と家の往復だけの毎日で、社会との接点は限られている。
もし今後も今の生活が続くと、交友関係も広がらないことは確実である。
そんな中で歳を取っていったらどうなるだろう…
孤独や疎外感が積み重なり、ある日突然、電車や街角で他人に意味不明な怒りをぶつけてしまう自分が現れるのではないか。
まさしく、彼らのように。
そんな不安が頭をよぎる。
もちろん、今の私はあのような他人への迷惑行為などしていないつもりだ。
だが、加齢と共に自制心が弱まり、孤立感が強まったときに、今の自分を支えている理性がどこまで機能するかについては自信がない。
今回遭遇したモンスターは、ある意味で「未来の可能性」を映し出している鏡のようにも感じられるのだ。
街中で奇妙な行動を取る年配の人々に遭遇するたび、私は「どこかへ消えろ!!」という憤りと同時に、決して他人事とは思えない恐怖も感じている。
彼らの姿は、恐ろしい警告であると同時に、「今をどう生きるか」を考えるきっかけにもなっているとも言える。
あのような醜態を晒す人間にならぬよう、私は今日もまた、自分なりのつながりと心の支えを模索しながら暮らしていきたい。