流行語大賞「ふてほど」、個人的には意外と悪くない

毎年12月になると、一年で最も流行した言葉を表彰する「ユーキャン新語・流行語大賞」が発表される。

今年の年間大賞に選ばれたのは「ふてほど」だった。

これは13月に放送された連続ドラマ「不適切にもほどがある!」の略語だそう。

なのだが…

私はこの言葉を口にしたことはもちろん、聞いたこともない。

そもそも、そんなドラマが放送されていたことすら知らない。

私は普段からテレビを観ない人間なのだが、この言葉が大賞に選ばれたことに納得していないのは、決して少なくないようである。

「ふてほど」、9割が「あまり流行っていない」 Z世代の流行語は? | 毎日新聞

だが、そんな世論の冷たい声がある一方で、こうも思った。

もし、「ふてほど」という言葉を知っていたら、使う機会は多かったかもしれない。

・こっちの「ふてほど」の方が馴染み深い

冒頭の通り、「ふてほど」とは「不適切にもほどがある」の略なのだが、私は別の言葉の意味の方がしっくり来ると思う。

それは「太々(ふてぶて)しいにもほどがある」である。

最近、そんな人間が多過ぎないか?

  • あれだけ歩行を止めるよう呼び掛けているにもかかわらず、相変わらず無視して、エスカレーターを駆け下り駆け上がりして、目の前に立っている人を「邪魔だ!!」と言って突き飛ばすクズ。

  • 男を釣る餌として利用するために、そんなアバズレを全面擁護するマチアプの運営。

こういう奴らは加害者でありながら、揃いも揃って「自分が被害者だ!!」と思っている。

まさに「太々しいにもほどがある」ではないか?

また、昨今ではそのような不届き者を注意する勇気ある行動に対して

「勝手な正義の押し付けだ!!」

「わー、正義マンだ!!」

と嘲笑する輩がいるが…

バカかこいつらは?

なんで悪いことをする奴の権利をこうも全力で擁護しているのか理解に苦しむ。

きっと、彼らはいじめを止めようとする聖人に対しても、同じことを言うんでしょうね。

私は「いじめの傍観者=加害者」とは思わないが、もはやこいつらは加害者と呼ぶに値する。

今年、ある元プロ野球選手がコカイン所持により逮捕された。

逮捕後、彼は優勝チームにドラフト1位で氏名される程の才能溢れる選手だったが、現役時代から素行に問題があったとの情報が流れた。

そのエピソードのひとつが紹介され、彼は同期の下位指名で入団した同じポジションの選手が、毎日泥まみれになって練習したり、休日返上で一生懸命練習する姿を見て、アピールに必死な人、略して「アピラー」とバカにしていたという。

コカイン所持の「元ドラ1」山下斐紹、過去に「ピッチャーにゴロで返球」「甲斐はアピラー」の問題言動 (週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

そんな選手だから、引退後に逮捕されても「あ、やっぱりそうか」と思われたのかもしれないが、ルールを守らない不届き者を注意する姿を見て、「正義マンだ、うぜー!」と言っているバカは、モラルという点において、同レベルという外ない。

・コンビニに上げ底弁当と同じ

このように今年は「太々しいにもほどがある」という言葉を痛感する1年だった。

冒頭でも述べた通り、私は流行語大賞の結果を見るまで、「ふてほど」という言葉を知らなかった。

だが、ネットを徘徊している時に、それと同等の言葉を知って、今年の新発見ワードとして、年末に取り上げる予定だった。

その言葉とは「クズの被害者ムーブ」である。

きっかけは某コンビニ弁当が「上げ底によるボリューム詐欺だ!!」と批判されていることに対して、社長が直々に

「(本当に上げ底なのか)事実をもって投稿してほしい」

「他所のコンビニだって同じことをやっている」

などと他社にまで被害を及ぼす逆ギレとも受け取られかねない声明を発表した。

セブン「上げ底疑惑」で社長発言がマズすぎた理由 言い方や、他企業との比較も悪手でしかなかった | インターネット | 東洋経済オンライン

案の定、ネットでは袋叩きに遭い、YouTubeでは、他のコンビニやスーパーの弁当と比較する動画が何点もアップロードされ、限りなく黒であることが証明された。

にもかかわらず、あのように強気で開き直る態度に批判のコメントが殺到していたのだが、その中に先の言葉が含まれていたのだ。

これは決して、某コンビニの弁当に限った話ではない。

前段で述べたように、自分はヌケヌケとアコギなことをやっておきながら、そのことを指摘されたら、

「自分は急いでいるんだ!!」

「自分は誹謗中傷された被害者だ!!」

逆ギレで被害者ヅラをする浅ましい姿はまさに「クズの被害者ムーブ」という言葉に相応しい。

少なくとも、そんな人間には先のコンビニの上げ底弁当を批判する資格はないだろう。

・微力でも更生のきっかけになれば…

個人的に「コロナ渦の生活が終息に向かいつつある」と感じたのが、2022年だった。

この記事はまさにそんな時代の移り変わりを感じた時に書いた。

しかし、気付いたら、その時からすでに3年が経過しようとしている。

つらいコロナの自粛生活が終わりに向かうことを、とてつもなく素晴らしいことであるかのように語る能天気なバカもいるが、コロナ渦ではあんなに人に優しく穏やかだった社会は確実に悪い方へ向かっている。

地方は観光客の回復など良い面もなくはないのかもしれないが、東京は確実にコロナ渦よりも生きづらくなっている。

その原因の紛れもないひとつが、ルールを守らないどころか、「自分は被害者」とさえ思っている薄汚い罪人が、幅を利かせるようになったことである。

2024年の流行語大賞「ふてほど」は、そんな彼らを目覚めさせるきっかけに少しでも貢献してくれることを祈っている。

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