前回の記事でも冒頭に取り上げたが、今週(人によっては「来週」と言うのかもしれない)の日曜日は参議院選挙の投票日である。
その選挙戦において、多くの政党が「減税」や「社会保険料の引き下げ」を主要な公約として掲げている。
立憲民主党は食料品の消費税を時限的にゼロにすると訴え、日本維新の会は現役世代の社会保険料を年間6万円軽減することを目標に掲げている。
国民民主党も消費税の恒久的な5%引き下げを主張し、公明党は物価高対策として生活必需品やガソリンへの減税と現金給付を打ち出している。
共産党やれいわ新選組は、より急進的に消費税の廃止や大幅な福祉拡充を求めている。
持続可能な社会保障制度のために財源どうする?減税して本当に大丈夫?【参院選2025ネット党首討論会要約テキスト化】 | 日本最大の選挙・政治情報サイトの選挙ドットコム
【2025参院選】注目の争点と各党の政策を徹底比較 消費税・減税・インボイス制度 | MONEYIZM
与党はあまり乗り気ではないようだが、多くの野党がこうも口を揃えて言い出すと、まるで割引合戦のチキンゲームのように「あっちの店がそこまで下げるのなら、ウチはここまで値下げするぞ!!」と言っているように見える(笑)
・日本は一体いつから…
これらの政党は共通して「国民の手取りを増やす」ことを前面に押し出し、減税や社会保険料の軽減を手段として提示している。
賃金が上がらない中で物価だけが上がる現在の状況において、「手取りが増える」という言葉は非常に魅力的に響く。
しかし、この「減税・保険料軽減=手取り増=生活の質の向上」という理屈は、あまりに短絡的ではないだろうか?
維新の会や国民民主党は支出を削減することで財源を確保する方針を打ち出しているものの、特に社会保険料の引き下げが何に影響を及ぼすのかについて、具体的な制度名や数字を示して語られる政党も少なくない。
参院選の注目点⑤【社会保障制度改革】:社会保険料の引き下げは妥当か | 木内登英のGlobal Economy & Policy Insight | 野村総合研究所(NRI)
財源論については、かれこれ20年ほど選挙の度に「ポピュリズムによるバラ撒きだ!!」と批判されており、今さら感もあるため、わざわざここで取り上げるつもりはない。
私が各政党が揃って、税負担や月々の保険料の減額を打ち出したり、それによって「手取りが増え、生活が良くなる」と考える有権者に違和感を覚えるのはこんな理由からである。
日本って、いつから公共サービスによる安定した暮らしより、目先の小銭や自助努力を好む社会になったの?
もちろん、この社会にはいろんな考えの人がおり、「日本人だからこうだ!!」というステレオタイプの発言は適切じゃないことは重々承知しているが、私はこれまでの経験上、この国は目先の利益や自己防衛よりも、組織的な安定を望む人が多いように感じた。
たとえば、随分前の話になるが、この記事で取り上げたように、派遣社員として高給を得ていた元エンジニアが結婚を機に「家族のためにも安定した仕事に就きたい」と考え、給料が半分以下に落ちても正社員へ転職したことを絶賛していた人たちとか。
このエピソードはリーマンショックが発生した2008年頃のものだが、ちょうどその頃から、「小泉・竹中路線が格差社会を招き、日本を壊した」という批判が出始めた。
「日本にはアメリカのような弱肉強食の競争社会は合わないよ」
「やっぱり、年功序列や終身雇用で、皆が安定して暮らせる社会の方が良かった」
そんな規制緩和反対論者は自助努力社会を意味する減税や社会保険料の引き下げを受け入れる覚悟なんてあるのか?
自己責任を基軸とする新自由主義的な路線を拒否するのであれば、むしろ「手取り減や税・保険料の増加を受け入れてでも福祉を守るべき」と訴えるべきではないのか?
また、昨年から続く、米の値上がりについても、政府による備蓄米放出により若干の落ち着きを見せつつあるが、減税に賛成する人はこのような公費を用いた市場介入には大反対するのが筋であり、間違っても、備蓄米を求めて開店前のスーパーに並んだりしていなかったことでしょうねえ~(関連記事)
今回の選挙で減税や保険料負担の軽減を訴えている候補者、並びにそれを絶賛する有権者は、そうした面には一切目を向けず、矛盾を放置したまま「おいしいとこ取り」をしようとしているように見える。
・現役世代救済論というまやかし
この手の議論でよく聞かれるのが「税や保険料の引き下げは、手取りを増やすことになり、特に現役世代はその恩恵を受け入れられるのだ!!」という現役世代支援論である。
「高齢化社会によって、老人に費やされる医療費が増えることで、現役世代は彼らを生きながらえさせるための負担に追われている」
「ただでさえ年金などでも優遇されているジジババなんて切り捨てて、生産性が高い現役世代を支援しよう」
こんなことを考えているのかもしれないが、勘違いも甚だしい。
なぜなら、現役世代だって、医療費以外にも社会保険制度の恩恵を受けているからである。
選挙では、毎回のように各候補者が少子化対策として、「安心して子どもを育てられるよう、出産や子育てに対して、こんなにお金を出します」と訴えることがお約束である。
そうした子育て支援策である出産育児一時金、育児・介護休業給付金の出所は、健康保険や雇用保険のように我々が毎月の給料から天引きされている社会保険料ではないのか?
「ただでさえ、子育てにお金がかかっているのに、毎月高額の保険料が天引きされて、それが年寄りの医療費に使われるのは納得できない!!」と憤慨している人は、子育て関連の給付金や子どもの医療費が、私のように子育てとは無縁の人間から徴収した保険料から支払われていることをどう思っているんだろうか?
会社勤めをしている人が、仕事以外のことが原因による怪我や病気で長期間働けない場合に給付される傷病手当金も、財源は社会保険料である。
傷病手当にせよ、出産・育児休業関係の給付金にせよ、無教養で恥知らずなデマゴーグがしばし「正社員だから、休んでいる時も収入が保証されている」という嘘を垂れ流している。
だが、それらは会社が日々理不尽な命令を与えている正社員に対価として支払っているのではなく、公的な保険、すなわち全国の皆さんの毎月の給料から天引きされている、または納付書を使って振り込んでいるお金から支払われているのである。
「正社員だから安心して生活できる」と言われているものの大半は、正しくは「公的な社会保険制度があるから安心して生活できる」と言わなければならない。
もちろん、こうした給付金は、社会保険に加入していれば、雇用形態に関係なく、非正規労働者であっても、受給資格が与えられるのは言うまでもない。
「毎月の社会保険料の天引きから解放されたい!!」と願うのであれば、こうした福祉の切り捨ても受け入れるのが筋だろう。
実際にそうすることで、得をする人が出るのも事実である。
それが本当に生きやすい社会になるのかは疑わしいが…
それとも、「高齢者向けの社会保険は切り捨てるけど、自分がこれまで受けてきた給付制度は断固として死守すべき!!」とでも開き直るつもりだろうか?
・ゴールは社会保障の民営化
ここで、社会保険料の引き下げにより、手取り増と特定の人たちだけが甘い汁を吸う不公平な状況が是正された社会を分かりやすくするための、たとえ話をしてみよう。
パート従業員や契約社員のような非正規労働者も一定の条件を満たせば社会保険への加入させることが義務付けられていますが、傷病手当や育休給付金は実質「正社員の特権」として扱われており、非正規労働者はなかなか使える環境にありません。(もちろん、そうじゃない会社もあることは承知しているが、この場ではご容赦願いたい)
これでは非正規労働者は払い損の状態であり、逆に正社員は彼らから巻き上げた保険料をつまみ食い、もっと過激な言い方では「搾取している」と言えます。
これは明らかに不公正です。
この状態を是正して、なおかつ毎月の手取りを増やすために、「社会保険料を月10,000円引き下げる代わりに、傷病手当や育休給付金を全廃する」という改革がなされました。
これにより、労働者は手取りが増えました。
福祉による給付制度は廃止されたものの、非正規労働者は元々その恩恵を受けられなかったため、無敵な人状態で、「そんなの関係ねえ」と他人事のように余裕を持っています。
一方で、制度をフル活用していた正社員は、月の手取りこそ若干増えたものの、これまで「もしもの時は自分を守ってくれる」と信じていた後ろ盾を失い、浮いた月1万を元手に少しでも代わりとなる民間の保険を頼らざるを得ない状況になりました。
彼らはここに来てようやく、自分たちがいかに恵まれた立場にあり、搾取されている側などではなく、搾取している側だと気付きました。
これこそが、社会保険料引き下げによる手取り増と、不公正な福祉の是正を実現できた紛れもない姿である。
言い換えれば、社会保障民営化社会である。
減税や保険料値下げと聞いて、狂喜乱舞している方にとっては、こんな社会が理想なんでしょうね。
郵政民営化よりも、よっぽど末恐ろしい気がするが…
・誠実な人たちと一筋の希望
以上のように見ていくと、減税や社会保険料の引き下げが「万人にとって善」であるかのような語られ方には、大きな問題であることが分かる。
選挙に勝つために、当選後のことなど一切考えず無責任な公約を掲げる候補者や、「自分が払っている税金や保険料は、仕事をしない政治家や、霞が関の役人、医師会、製薬業界といった既得権益者の私腹に費やされているから、それを取り戻すんだ!」という陰謀論者は端から相手にする必要はない。
私が恐れているのは、社会保険制度の縮小によって、国民の生活が向上すると本気で考えている人たちである。
もちろん、「日本も徹底した規制緩和、減税、福祉の切り捨てによりアメリカ型の新自由主義社会を目指すべきだ!!」と言いたいのであれば、(賛否は別にして)それはそれで構わないし、その政治的な主張は認める。
しかし、そうした覚悟も、理念も、一貫性もなく、無邪気に「手取り増加によって、生活の質が向上」と信じて、減税路線へと舵を取れば、この国の行き着く先は、小泉・竹中改革や郵政民営化など比ではない社会保障が民営化された社会となるだろう。
先程のたとえ話に出てきた非正規労働者のように、そうした社会の方が得となる人はいる。
だが、それは「現役世代優遇」などではなく、これまで当たり前だと思っていた安定を根本的に否定することで得られるものであることを自覚するべきである。
くだんの米騒動の件でもそうだが、自分がいかに社会から守られているかに無自覚で、口先だけの小さな政府・規制不要論者には大いに呆れる。
各政党が値下げ合戦を展開する中、それに組することなく現行制度の維持を掲げているのは、与党である自民党である。
一見すると、国民に冷たいようだが、ここまでの話を踏まえると、彼らはとてつもなく誠実な人たちのように見える。(投票するとは言っていない)
彼らには「現状維持」、「闇雲な減税、社会保険料の引き下げに反対」といった消極的な発言ではなく、声を大にして
「野党が目指す社会保障民営化に断固反対!!」
「国民全員が安心して生活できる社会保障制度を維持!!」
くらいのキャンペーンを展開しても良いのではないかと思える。
さて、多くの政党が「手取りを増やすための減税と社会保険料の値下げ」という公約を掲げ、それが自分にバラ色の未来をもたらすと信じて疑わない有権者には背筋が凍るような恐ろしさを感じるが、間違ってそんな候補者が当選したとしても、必ずしも絶望する必要はなく、一筋の希望はある。
なぜなら、政治家が当選後に公約を反故にすることなど日常茶飯事だから。
普段は政治家のマニフェスト違反と聞くと、「責任を取って辞職しろ!!」と言いたくなるが、今回ほどそれを期待する選挙もそう多くはないだろう。