「そんな仕事ないから!」と一喝すべきなのは闇バイトに手を出す若者だけではない

最近電車の中でこんなフレーズのCMが流れていた。

そんなバイト、ないから!

CMの内容は下記のサイトでも視聴できる。

そんなバイトないから!それ「バイト」ではなく犯罪です。(政府インターネットテレビ)

内容をざっくりまとめると、スマホでバイトを探している頭が悪そうな若者たちが

「日給50,000円!? しかも、即日即金!」

「ただ運ぶだけなんて楽勝じゃん!」

「免許証を持った自撮りを送るだけ?」

と甘い言葉に乗せられるそうになるのだが、その度に

「そんなバイト、ないから!!」

と大きな声でツッコミ入る。

そして、恐怖で震え上がる若者に対して、こう畳みかける。

「バイトではなく犯罪です

あなたが捕まり人生が台無しに!

少しでも不安に感じたら#9110に電話を!

おそらく、収監されているフィリピンの刑務所から指示を出していた通称「ルフィ事件」をはじめとして、広域強盗事件で逮捕された実行役の人物が、プロの犯罪者ではなく、ネットを通して応募しただけのアルバイトだったという、闇バイト問題が数多く報道されたことで、政府も注意を呼び掛けているのだろう。

・楽して今の生活から抜け出したいという浅はかな発想

さて、CMの主張は妥当であり、内容は特におかしいと感じる点はない。

「そんなバイト、ないから!!」というフレーズもなかなか強烈で頭に入りやすく、よく考えたものだなと思う。

仕事の内容はもちろんのこと、楽して高収入という甘い考えを一喝する様子は見ごたえがあり、犯罪に足を踏み入れる者に対してだけでなくとも、声を大にして言いたいことである。

ただ、CMを見ていると、コツコツと努力するのではなく、一発逆転の方法に縋って「人生を変えよう」という浅はかな発想を持っているのは、決して闇バイトに手を出す若者だけではないということも思い出し、彼らにも「そんな仕事ないから!」と一喝して欲しい気分になった。

その人物とは、不本意に非正規労働者として働き、正社員になることで人生を一発逆転を試みようとしている人たちである。

彼らの発想は

「自分がこんな惨めな生活を送っているのは、非正規として働いているせいだ!!」

「正社員にさえなれば、高収入と安定した社会的地位を手に入れ、結婚して、家を買うことも出来る!!」

といった(単純な)ものである。

彼らは貧困と屈辱に満ちた生活から抜け出すことを望み、そのための手っ取り早い手段として「正社員」という身分を手に入れたいと考えている。

そこには、「どんな会社で、どんな仕事をするか?」といった具体的な目標は一切なく、「正社員の職を得るためにどのような努力をすればいいのか?」さえ考えてもいないだろう。

つまり、「正社員になりたい!!」と言っても、「将来のことを真剣に考えて、いい加減なフリーター生活から足を洗い、正社員として真面目にコツコツ働く」というものとはまるで違い、「楽して今の自分を変えたい」という程度の発想でしかない。

それは「楽に大金を稼ぎたい」という安易な気持ちで闇バイトに手を出す若者と一体何が違うというのだろうか?

そして、劣悪な労働環境の職場であっても、そのような人物を「正社員になれるチャンス」という甘い言葉で誘う広告は至る所で目にする。

これも闇バイトの募集と何が違うというのだろうか?

しかも、それをやっているのは「金儲けのことしか考えていない転職会社、派遣会社」だけではなく、過去の記事で触れた通り、公的機関も同じことをやっている。

怖いですね~😱

10年前の辻元清美に追いつけない

非正規労働者(しかも、なぜか派遣社員に対してだけは「撲滅」と言わんばかりなまでの異常な敵意を向けて)を何でもかんでも正社員にすることで、貧困も少子化も治安の悪化も解決できると信じている「正社員教」についてはこのブログでも度々取り上げている。(詳しくは関連記事を参照)

だが、非正規労働者の苦しい生活は、本当に正社員になることですべて解決するのか?

たしかに、産休や育休に加えて、幼い子どもや介護が必要な家族がいる従業員は時短勤務や残業免除などが認められ、昔に比べると家事か仕事かを迫られる場面は減少した。

しかし、裏を返せば、介護や子育てという免罪符がなければ、会社に指示された通りの働き方を受け入れなければならない。

「安定」という言葉には、背中合わせでそのような強い拘束が存在しており、ブラック企業を生む温床となっている。

また、正規雇用は「この地域で、この仕事をしたら、給料は大体これくらい」というように相場が決まっている非正規とは比べ物にならない程、企業間による給与や福利厚生の格差が激しい。

つまり、正社員として就職する場合こそ、「どこでもいいから取り敢えず就職」という発想は危険で、より慎重に就業先を見定めなくてはならない。

それを理解した上で、「何が何でも正社員になることが、生活苦からの脱却への道!!」と言っているのだろうか?

今からちょうど10年前の20139月。

朝まで生テレビ」という番組でブラック企業をテーマにした議論が行われた。

その番組で(当時)衆議院議員の辻元清美氏がこんな発言をした。

「自戒を込めて言わと、リーマンショック後の派遣切りの時に、『若者を救うために、何が何でも正社員にせんとアカン!!』とばかり言って、正社員で働いている人にも、苦しい人がいることを一切考えていなかった」

彼女が反省しているという派遣切りの頃は、私もはっきりと憶えており、当時の心境をブログに書いたこともある。

たしかに、彼女の発言通り、派遣切りにあった人に対する同情の声は、ほとんどが「皆を正社員にしろ!!」というものであり、私は違和感を持っていた。

それから5年の歳月が流れ、彼女は過去の自身の発言を反省することになった。

過去は変えられないが、過ちを受け止めて、前に進む彼女の姿勢は大変立派であり、それこそ政治家にとって大切なことだと思う。

だからこそ、彼女は一度落選しても、再び国政に復帰できたのだろう。

それに引き換え、10年前の彼女の発言を未だに理解できない正社員教には呆れるばかりである。

彼女の論理は至ってシンプルだが、そんなことも理解できないのは余程頭が悪いか、宗教的な理由で見てはいけないかのどちらだろう。

本人で地獄へ向かって一直線に突っ走るのであれば、自己責任で完結するが、宗教的な動機から、他人に間違った入れ知恵をするのは大変迷惑であり、場合によっては人殺しに匹敵する愚行である。

彼らは10年前の辻元清美氏にも追い付けていない。

・「時代が悪い!!」というまやかし

私が「何でもいいから、とにかく正社員になりたい!!」と切に願う者を心の底から愚かだと思うのは、彼らが「正社員」という言葉を無意識に「大企業の正社員」と限定し、何の根拠もなく、自分もその中に入ることが出来ると思っているからである。

そして、「一昔前に生まれていたら、何の苦労もなく、その地位を手に入れられた」と勝手に思い込んでいる。

「正社員」と言えども、昔から企業間の格差は大きかったし、大企業の正社員になれるのは相応の努力をした一部の人だけだった。

この記事に詳しく書いた通り、大企業の正社員(とその妻)になれたのは、昭和時代と言えど、人口のおよそ3割程度である。

それ以外の多数の人は、結婚や就職出来たとしても、進学や就職で地元を離れることなく、「新築のマイホームで、家庭のことは専業主婦の妻が担う」という生活とは程遠く、実家で両親と共に暮らし、互いの親族の支えも借りながら、慎ましく生活していたに過ぎない。

むしろ、時代の変化により、安定した生き方が出来なくなったのはそういった人たちの方である。

たしかに、90年代から00年代前半に学校卒業し働くことになった「就職氷河期」と呼ばれる世代は、学卒時の新卒求人が激減したため、就職に苦労した。

この説は半分本当だが、半分はイメージと違う。

90年代に新卒求人数が激減したのは高卒者であり、大卒者は00年代前半のわずかな時期を除くと、減ってはいない。

そして、80年代は数多く存在し、90年代に消滅した高卒者の新卒求人は、たとえ正社員であったとしても、大企業のような一生安泰でも、勤続年数に比例して給料が右肩上がりとなるわけでもなく、一人の稼ぎで家族を養える高給も得ることも出来ないものが大多数だったことだろう。

にもかかわらず、時代を憎み、「生まれる時代され違えば、大企業の正社員として、自信に満ちて、風を切るような生き方を出来たのに!!」と憤慨し、見当違いの怒りをぶつける様子はあまりに滑稽と言える。

たとえば、こちらの記事。

手取り18万円〈給料日まで10日で残金200円〉47歳・非正規男性の悲痛「ただ、時代が憎い」|資産形成ゴールドオンライン (gentosha-go.com)

記事によると、47歳の非正規労働者である男性は、学卒後、職をいくつか転々とし、現在は東京の工場で組立工として勤務しているという。

手取りは月18万円程度、給料日前は食事を控えることもある程、生活は苦しくなり、取材した日も、10日後の給料日まで残金は200円。

そんな彼を心配して、実家の両親はかれこれ25年の間、定期的にカップラーメンやレトルト食品、乾物類等の食品を援助している。

すでに両親は80歳近くになり、以前は実家に戻ることも考えていたが、40代・未婚での田舎暮らしは何かと面倒であり、一生戻らない決意をしている。

彼は氷河期世代で、学卒時は正社員になれず、不本意ながら非正規社員を続けている人も多くいる。

経済的な理由から結婚や出産を諦めた人も多い。

今頃になって、正社員化への支援もあるが、この歳になると、給料はさほど変わらず、老後の年金も期待できない。

こうなったのは、ただただ時代を呪うしかない。

このような内容の記事である。

この男性、恐らく就職氷河期前に就職するような年代に生まれたとしても、東京に本社を置く大企業などではなく、地元で就職していた人だろう。

そして、結婚するにしても、相手はお見合いや会社の人から紹介された同郷の女性。

もちろん、給料は現職と同じく手取り20万程度で、妻を専業主婦にする余裕もなく、共働きとなり、食事の面においても両親の世話になりながら。

このような生き方が、昔であれば誰でも簡単に手に入れることが出来た生き方なのである。

つまり、時代を憎むにしても、

「年功序列も終身雇用も定期ボーナスもないけど、地元で正社員として働いて、家族と平穏に暮らしたい」

「だけど、そういった仕事がなくなったから、(嫌々ながら)東京で非正規の仕事で食いつないでいる」

というのであれば、まだ筋は通る。

しかし、「時代さえ違えば、何の苦労もせずに、大企業の正社員になれた」などというのは明らかな間違いである。

そんな甘ったれた人は、生まれてくる時代が違っても、一人の稼ぎで家族全員を養う世帯主(一家の大黒柱)にも、専業主婦にもなれません!!

むしろ、どんな自信があって、「時代が違えば自分も…」と言えるのかを知りたい。

人間は弱い生き物である。

不満や不安に満ちた時に人々が縋るのは宗教だ。

正社員になれば…

「自分だって、結婚できて、マイホームを持てて、子どもがやりたい習い事をすべてやらせて、大学に入れることが出来たのに!!」

そんな甘い幻想に取りつかれている人に、改めてこの言葉を贈ろう。

「そんな仕事ないから!!」

今の生活を変えたいのなら、それ相応の努力をするか、身の丈に合った生活に改めるのどちらかしかないことは明白である。

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