「もはやアルバイトは簡単な仕事ではない」と実感した年③

前回までのあらすじ

10年前の2014年、実家を出た私はアルバイトを始めようとしたものの、応募先は変な会社ばかりで苦戦しながら、何とか短期の派遣の仕事に就くことが出来た。

ところが、担当業務は就労開始2週間で消滅し、当初は3ヶ月と言われていた契約も、社会保険の関係で1ヶ月更新となっていたタイミングで終了となった。

それでも、派遣という働き方の快適さを知った私は、次も同じような派遣、できれば事務職で働きたいと思っていた。

しかし、その希望は叶わないまま時間だけが過ぎ、「このままではいけない」と思い直して応募先を広げたが、派遣で働く前と同じく非常識な会社にばかり遭遇することになった。

彼らの汚さを一言で表現すると「アルバイトに求めすぎ」ということである。

給料は最低賃金に毛の生えた程度しか支払わないクセに、書類選考を行ったり、私用での定時退社や休暇を取ることを認めなかったりと一丁前に正社員のように拘束しようとしてくる。

おまけに、求人内容の詐欺や、選考結果を連絡しないなど非常識な対応も目立つ。

そんな彼らに振り回されながら、失業期間も3ヶ月目を迎えようとしていた。

ちなみに、今回のシリーズはあくまでも、アルバイトや派遣のような非正規の仕事とは思えない扱いの案件や、対応が非常識な応募先に絞って話をしている。

当然、最初に面接を受けた食品工場のように、労働条件や採用の過程は特に問題なかったものの、普通に不採用だった応募先も多数ある。

・求めているのは正社員ではなく奴隷

これまでの仕事はネットや求人誌からの応募がほとんどだった。

ハローワークで求人を見たことはあるが、地元で仕事を探していた時ほど、魅力的な仕事が見つからなかった。

しかし、ここまで失業期間が長引いた現状ではそうも言っておられず、ハローワークの求人にも応募することにした。

私が応募したのはスーパーの総菜部門である。

これまでに聞いたことがない名前の会社で、アルバイトということもあり、時給は最低賃金に+5円という低いものだった。

勤務時間は8:0013:0012:0017:008:0017:00の中からの選択制で、私は面接の場で、フルタイムで働きたいと伝えた。

すると、彼は「フルタイムになったら、社会保険に加入することになるから、社員の扱いになる」と言った。

「正社員になれる」と聞くと無条件に喜ぶ人(=バカ)もいるかもしれないが、これは罠である。

念のために確認したが、正社員として雇われても、給料は全く変わらない。

それどころか、毎日残業することになると言う。

おそらく、社会保険に加入させるために、その費用を少しでも回収しようという意図があり、きちんと残業代を支払うかも怪しい。

はっきり言って、最低賃金に毛の生えた程度の時給で、正社員並みの拘束を強いられるという奴隷のような扱いである。

「正社員」という肩書に目が眩んで、こんな仕事に手を出してしまう人もいると思うと、何とも嘆かわしい気持ちになる。

「正社員=安定、ボーナスが出る、福利厚生が恵まれている」というデマを垂れ流す正社員信仰者の罪は重いと改めて認識する。

なお、面接後にこの会社から連絡が入ることはなかった。

この非常識な行動から、私の予想通り、ヤバい会社であったことは間違いない。

段々と変な会社に出会うことに慣れてしまっているような気もするが、この出来事が後にある騒動を生むこととなった。

・思いもよらぬ場所で怒りが爆発

梅雨時に仕事を失い、天気が悪い日に外出せずに済むことに有難さすら感じていたが、あっという間に時は流れ、梅雨どころか、夏すら過ぎ去って9月に突入してしまった。

私にとって、この時期は特別な思い入れがあった。

というのも、9月の某日に家族とプロ野球の試合の観戦を行うことになった。

きっかけは母親が職場でチケットを2枚貰い、妹と二人で行くことになったため、私と弟もそれぞれ購入して4人で観戦することになった。

チケットを購入したのは、まだ私が派遣の仕事をしていた5月の終盤だった。

契約終了後に仕事を探していた時も、「9月に野球観戦をする頃には仕事をしているだろう」と思っていた。

観戦予定日は日曜日だったため、「日曜には絶対に休めない!!」という会社を避けていたのも、このことが理由だった。

ところが、無職期間はズルズルと延び、あっという間に「仕事をしているはずだった」野球観戦をする日を迎えてしまった。

そんな複雑な状況だったため、心から楽しむという気分ではなかったが、試合は応援していたチームが勝ったから満足できた。

試合後は家族で食事に行くことにした。

この楽しいはずの場所が一転して、思わぬ騒動が起きてしまった。

きっかけは、母親から職探しの状況について聞かれたことである。

それも、「アルバイトもまだやっていないの?」というような口調で。

そこで、冒頭で触れた通り、アルバイトの募集なのに有り得ない程ハードルが高く、この日のようにたまの日曜日に休みたいことや、中国語の教室に通うために、毎週月曜日は定時で退社したいことを告げた瞬間、不採用を言い渡されることを吐露した。

だが、

「アルバイト=正社員の補助をするだけの簡単な仕事で、応募すれば誰でも採用される」

「企業がアルバイトにそんなことを要求するはずがない」

と思っている母には、私の訴えは理解できないようだった。

その時は前段の総菜作りの仕事の面接を受けた直後だったため、その会社の話もしたのだが、「正社員になれるから良いじゃない」と能天気なことを言われる始末である。

最低賃金レベルの給料で働かされる一方で、定時退社や休みの融通が利くわけでもないそんな奴隷のような働き方のどこが良いと言うのか?

私がそう反論すると呆れ顔でこんなことを言われた。

「そんなことを言っていたら、どこも雇ってくれないでしょう?

その一言で私は完全に怒りが爆発した。

  • 正社員でもないのに、定時退社はダメ

  • たまに日曜に休むのもダメ

  • 求人票に記載の勤務先はウソばっかり

  • 「思ったより応募者が増えたから」と連絡もなく内定取り消し

こんな理不尽な目に遭っているのに、腐れ企業は一切非難せずに「どうせ、アルバイトなんて面接を受ければ、誰でも受かる」、「仕事を選り好みしている」と言われたら、「お前が悪い!」と責められているようであり、さすがにその傲慢な言い方には我慢出来なかった。

飲食店で他の客もいたため、派手に物を壊すことはなかったが、それまでの鬱憤をすべて母にぶつけるように散々罵倒して店を出た。(何を言ったかはここでは公開できない)

楽しみにしていた野球観戦の日が、単に無職というだけでなく、今までの苦悩が爆発するという最悪な形で迎えることになった。

・初めて現れた味方

翌月曜日、前日は散々な目に遭ったが、いつまでのそのことを引きずるわけにもいかず、すぐにハローワークで次の応募先を見つけることした。

この日、応募したのは金券ショップの販売のアルバイトである。

ハローワークの窓口で応募した後は、職員が応募先に電話で応募の旨を伝えるのだが、この日は先方の担当者が不在で、折り返しを待つことになった。

ハローワークで行う手続きはこれで終了となるが、帰る前に窓口の職員が「最後にご質問はありますか?」と聞いたので、3ヶ月間仕事を探しているが、アルバイトにさえ、なかなか採用されないことを打ち明けた。

そこで、彼女から、

「最近はアルバイトでも、経験や勤続年数を求める会社が多いので、少なくとも自分からは『いつまで続けるつもり』とは言ってはいけない」

「昔よりも採用基準が上がっているので、『アルバイトだから簡単に採用される』という思い込みは捨てて、粘り強く仕事探しを続けた方がいい」

と告げられた。

そのことはすでに知っているため、役に立つ助言とは言えなかったものの、初めて私の言い分を聞いてくれて、苦しみを理解してもらえただけでも嬉しかった。

仕事探しが上手く行かない中で初めて現れた味方のような気がした。

一方で、応募先については…

なかなか連絡がなく、私から何度か問い合わせても、「担当者から折り返します」と告げられるだけで、返事が来ることはなかった。

やっぱり、応募先企業はカスである。

それでも、前日に母から「企業がそんな悪いことをするはずがない」と言われたことに対して、「自分に非があるのではなく、応募先の企業が腐り切っている」という私の主張の方が正しいと証明されたのだから、不思議と安堵した。

ちょうどその頃、心強い出来事がもう一つあった。

きっかけはテレビを観ていた時のことである。

NHKの放送ハートネットTV20代の自殺を特集した放送3本組まれ、第2回のテーマが「追い打ちをかける“社会の壁” 」だった。

そこで、アルバイトの面接に落とされ続けて、一向に職に就けない若い女性が紹介されていた。

このような職に就けない人を取り上げる報道自体は珍しくなかったのだが、ほとんどは「正社員として」就職出来ず、不本意ながらアルバイトとして働いている人だった。

そのため、「正社員にはなれなくても、アルバイトの仕事くらいは誰でも就ける」と言われているようであり、バイトに落ち続けていた当時の私はそれを見聞きする度に苦しい思いをしていた。

だが、同番組が取り上げていたのは、「アルバイトにも就けない人」である。

その姿を観ると、「自分と同じ境遇の人がいる」というだけでなく、「自分の苦しみを分かってくれている人もいる」と思えて、嬉しかった。

この2つの出来事は、絶望の底に居た私を大いに勇気づけた。

この社会には、まだ自分の理解者が居ることに励まされながら、仕事探しを続けていると、失業前に働いていた派遣会社が、同じ工場で、同じ仕事を募集している求人を見かけた。(しかも、今度は長期だった)

その仕事だったら、どんな仕事なのか分かるし、就業先も私のことを知っているだろうから、採用されやすいだろう。

私は失業前と同じ求人に希望を託すことにした。

次回へ続く

スポンサーリンク