数日前のことだが、職場で書類をコピーしていると、誰かが取り忘れたのだろうか、取り出し口にこんな用紙が置かれていた。
(大阪ハローワークのホームページより引用)
その紙とはハローワークの求人票である。
私が働いている職場は大企業の総務部なので、各支社がハローワークに求人を出した時のコピーを保管しているのである。
私はすぐにその紙を人事担当者に渡したが、思わず懐かしい気持ちになった。
私も昔はよくハローワークへ通っていたから。
・初めてハローワークへ行った日と最初の仕事
私がハローワークを最初に利用したのは21歳の時である。(時系列的にはこの記事の後)
車の免許を取得した私は、自分で車を運転してハローワークへ行った。
最初は利用者登録をして求職者カードを発行してもらう。
そして、職員から求人表の検索をするパソコンの使い方、一回の使用時間、応募件数などのルールを教わった。
説明が一通り終わった後、パソコンを起動して求人の検索を始める。
今でも覚えているのは、最初に年齢を入力しなければならなかったこと。
当時21歳だった私は、当たり前だが「21」と入力する。
おそらく、ここで年齢制限が引っかかる案件ははじかれるのだろう。
…って、採用の際に年齢を問うことは違法ではないのか?
それをハローワークのような公的機関が堂々と行っていいものだろうか?
それよりも、もし自分が年老いてもここに来ることになったら、その時は私が就ける仕事など存在するのだろうか?
そんな不安に駆られた。
その次は勤務エリアと職種を選択する。
とはいっても、ここで条件を絞りすぎると私の住んでいた町では仕事が10件を下回ってしまう。
せっかく車の運転ができるようになったのだから、少し範囲を広げてみよう。
職種に関しては、若くて怖いもの知らずだったこともあり、未経験で応募できる仕事なら何でもやろうと思った。
そうして割のよさそうな求人票(先ほど写真で紹介したもの)を印刷する。
その求人票を持って職員の人に渡すと、ハローワークの方から応募先企業に電話をかけて、そこで電話がつながれば、面接の日時まで指定してくれる。
ちなみに、相手が電話に出なければ、後から自分で電話をかけなければならない。
私が応募した仕事で最初に面接へ行けたものはホテルの清掃だった。
この仕事の時給は760円だった。
その日に早くも、ホテルの支配人と面接を行い、「最初は研修という形で働いてもらうから翌々日から来なよ」と言われた。
(意外にもあっさりと採用されるものだな…)
そう思った私は面接のアポを取っていた他の職場へ断りの連絡を入れた。
勤務開始日、私は支配人に挨拶をした後、彼の右腕と思われる男性について、部屋の掃除やリネン類の交換を行った。
仕事をするのは2ヶ月ぶりで、初めての職種ということもあって、当日は少々疲れた。
仕事を終えた後、次の出勤日はいつなのかを尋ねるために支配人の部屋を訪れた。
すると、私に仕事を教えていた男性と何やら話をしていた彼は私にこんなことを言った。
支配人:「あのさぁ、君って、この仕事に合わないんじゃないの?」
早川:「え!?」
支配人:「彼から、今日君と一緒に仕事をして感じたことは聞いたんだけど、君は明らかにこの仕事よりも別の仕事の方が向いていると思うよ」
早川:「あのー、それはつまり、『採用しない』ということなのでしょうか?」
支配人:「いや、職安(ハローワーク)には『採用する』という返事を送ったから、今から『採用しない』とは言えないんだけど……、君の方から辞めてくれない?」
いや、ちょっとぉぉ!!
ここで働くつもりで、すでに他社には応募辞退の連絡を入れたんだけどぉぉぉ!!
その後も少しは粘ったが、結局彼の意向が変わることもなく、私は初めてハローワークで手にした仕事を1日で解雇されることなった。
今になって思うと不当解雇甚だしいが、不当解雇を訴えてでも続けたい仕事でもなく、職場の雰囲気も悪かったし、クビなって幸いだったと考えている。
・アットホームな職場と思っていたが…
さて、1日で解雇となった私は再びハローワークへ通うこととなった。
一度は採用となり、他社へ断りを入れた私は一体どの面下げて紹介をお願いすればいいのだろうか…
「ハローワークに行きたくねぇぇぇ!!」
そんな筋金入りのニートのようなことを思ったが、切り替えて次の仕事を探さねば。
次に見つけた仕事は、隣町にあるスーパーに出店している個人経営の八百屋の仕事だった。
八百屋の勤務経験はなかったが、スーパーでバイトをしていたこともあり、何となく職場のイメージはついた。
今度もその日の夕方に職場で面接となり、帰宅後急いで履歴書を書いて面接場所へ向かった。
テナントの店長と面接を行い即採用が決まり、翌日の午後から勤務開始となった。
なお、こちらの時給は700円である。
以前バイトをしていたスーパーは大規模の経営を行う会社で、先ず、上から運営方針や作業ルールが出され、正社員として働く現場主任がそれに従い、現場を管理して、実質は主婦パートが業務の大半を行う典型的な会社組織のイメージだった。
それに対して、今回の職場は社長やその親族が直々に顔を出して、差し入れをくれることが珍しくなく、仕事のやり方もある程度は自分で考えて好きに行うことができる、いかにも零細企業という感じの職場だった。
求人票にそのような表記があったわけではないが、文字通り「アットホームな職場」だった。(まあ、正社員の店長は「給料が安い」とか「週1日しか休めない」と待遇面を愚痴っていたが…)
だが、私が働き始めて数ヶ月後に、事態は急変した。
スーパー内に別の八百屋が出店したことで、売り上げが激減し、社長は店長に圧力をかけ、それを受けた店長が職場で露骨に不機嫌になり、職場はギスギスした雰囲気が蔓延するようになった。
ある時、店長が他の人が休憩に入ってベテランのパート女性が一人で仕事をしている時間帯だけ、店内の品揃えが悪いことを本人に伝えた結果、彼女と大ゲンカになった。
その時は、その場にいた社長の息子が、それは彼女が常連客一人ひとりと丁寧に接しているため仕方がないことではないかとフォローを入れて和解が成立し事態は収集したが、それ以降も店長は何かにつけて従業員に因縁をつけることが増えた。
それに加えて、金銭的な余裕のなさも露呈するようになった。
この会社は食品を扱うのだが、包丁やまな板といった商売道具が交換しなければならない程傷んでいても、買い替える余裕がないということで継続して使われることになった。
また、人件費が払えないという理由でそれまで、1日8時間働いていた従業員も勤務時間を一方的に1日5時間に短縮された。
これが「中小企業というものなのか」と身を持って経験することになった。
結局、その職場も半年持たずに辞めることにした。
なお、この職場の凋落についてはこちらの記事にも詳しく書いている。
・3度目の職探しは苦戦する
そんなわけで、私は三度ハローワークへ通うこととなった。
次の仕事は中々見つからなかった。
前の仕事を辞める1ヶ月前から仕事探しは行っており、2社ほど面接まで行けたが、いずれも不採用で、結局退職までに仕事を見つけることはできなかった。
その後も、いくつかの仕事を手あたり次第に応募してみた。
配送補助、工場の製造現場、青果物の収穫、etc…
だが、すでに採用を終えた会社、女性希望で断られた会社、面接で不採用になった会社ばかりだった。
計2ヶ月の間に10社近くの仕事に応募したが、全く採用されなかった。
アルバイト(パート)の仕事に就くのはこんなに大変なのか。
私が住んでいた地域は毎日のように求人が入って来る場所ではない。
職探しの範囲をすべての方向の隣町に広げても、せいぜい、それぞれの町が1日に1件入って来るか程度だった。
というわけで、ハローワークに通うのは平日の週2日だったのだが、無職の期間はずるずると延びて1ヶ月に達した。
今考えると、その程度の失業期間など屁のようなもののだが、若かった私は仕事をしていないことがとてつもない罪であるかのように感じてしまい、苦しい思いでいっぱいだった。
ある日、いつものようにハローワークへ通ったものの、新しい案件が一つも入っていなかった。
パソコンの使用時間は残り25分はある。
それなのに、席を立ってしまうと、ハローワークの職員から「この人、仕事探す気あるの?」と思われるかもしれない。
そんなことを考えた私は時間つぶしのために、自分が住んでいる県の県庁所在地のある地域を選択してみた。
すると私が住んでいた場所とは比べ物にならない程たくさんの仕事があるではないか。
幸いその町には親戚が住んでいたこともあり、「3ヶ月だけなら…」という条件で、彼の家に居候させてもらい、そこで短期の仕事に就くことにした。
その仕事を繋ぎにして、時が経てば求人状況も変わるかもしれない。
そんな考えで、実家を離れて親戚の家に住み、短期の仕事に就くことになった。(職種は前回と同じく野菜の販売である)
その職場は(没落する前の)前の職場と同じく、アットホームな雰囲気で、田舎から出てきた21歳の青年である私のことを可愛がってくれた。
ちなみにこちらの仕事も時給は700円だった。
私もこの職場で以前よりも成長できたことを実感できた。
その仕事を終える1週間前が私の誕生日で、私は22歳になった。
ハローワークで仕事を探す時は、もうパソコンに「21歳」と入力することはない。
とても長く感じた21歳はこうして終えた。
・私にとってハローワークとは
なんだか青春の1ページの回顧のようになったが、「たまたま職場のコピー機に残されていた1枚の紙からよくここまで話が広がったものだな」と我ながら不思議な気持ちである。
私がハローワークに何度もお世話になった21歳の時は本当にいろいろなことがあったものだと改めて思う。
友人と1年以上疎遠になって孤独を感じていた時に仕事をクビになった。
今でこそ、「仕事をクビになることなんて大した問題ではない」と堂々と言えるが、当時は目の前が真っ暗になった。
その後、車の免許を取り、これからのことに不安を抱えながら、ハローワークへ通ったわけだが、そこで私は自分の世界を広げることができた。
私が最後にハローワークへ行って仕事を探したのは5年ほど前になる。
それ以降は派遣会社の紹介、ネットの求人や求人情報誌、店舗の張り紙をきっかけに仕事に就いたため、ハローワークとは疎遠になった。
私が実際に利用して感じたことは、田舎で仕事を探す時はハローワークの方がいい仕事を見つけやすいということである。
どういうわけだか、ハローワークで都会の求人を見て、魅力を感じることはほとんどない。
そのため、現在東京23区に在住している私がハローワークで仕事を探すことは当面の間はなさそうである。
しかし、私にとってハローワークは自分の人生を振り返る上で欠かせない存在だったことは間違いない。
…とはいっても、今にして思えば、時代が違い、他の世界を知らなかったにせよ、「よくもあの時給で働けたもんだ」と思うのであった。