ゴールデンウィーク待っただ中の昨日、天気も良かったので、昼間に地元の駅前商店街まで買い物に出かけた。
この辺りは自宅から見ると駅の裏側になるため、普段はあまり足を運ばない。
しかし、活気ある通りには家族連れや買い物袋を抱えた人たちが行き交い、週末らしい穏やかな雰囲気に包まれていた。
そんな中、平和な時間はある出来事により、一瞬にして過ぎ去った。
・二人の愚者が出会ったら…
商店街の道幅はそれほど広くなく、歩行者天国ではないため、車がゆっくりと通り抜けることもある。
その日も、向かい側から一台の車が徐行しながら進んできた。
周囲の人たちはそれに気づき、自然と道の端に寄って車を通そうとしていた。
ところが、ただ一人だけ、まるで異世界にでもいるかのように、全く周囲に注意を払っていない人物がいた。
そのバカはスマートフォンの画面に夢中で、顔を上げることもなく道路の真ん中を歩いていた。
明らかに車の存在に気づいていない。
運転手が慎重に車を進めながら、イライラした様子で何度かブレーキを踏んでいたが、ついに業を煮やしたのか、クラクションを短く鳴らした。
すると、それまでスマホに夢中だったバカが突然顔を上げ、まるで理不尽な被害を受けたかのように激怒しながら、「歩行者優先だろうが!!」と叫んだのである。
周囲の人々も驚いて、そちら側を振り向いた。
自分の不注意には一切触れず、いきなり運転手に向かって怒鳴る姿に、車の運転手も冷静さを失い、怒鳴り返し、二人の間で激しい口論が始まった。
信号が赤だったため車は停車しており、その間、両者は一歩も譲らず言い合いを続けていた。
周囲の空気は一気に緊張し、人々も事の成り行きを見守っていた。
やがて信号が青に変わり、運転手が車を発進させたことで喧嘩は終息した。
・血で血を洗う争い
道路交通法では「歩行者優先」が原則とされている。
そして、必要のない場面でクラクションを鳴らすことは「警音器使用制限違反」にあたるため、法律的には運転手に非があるのは間違いないだろう。
「どけ!! どけ!!」と言わんばかりにクラクションを鳴らして、歩行者を押し退ける姿は、もはや「煽り運転」とも言える。
しかし、スマートフォンに夢中で周囲を一切確認せず、挙句の果てに注意されて逆ギレする歩行者にも、問題がないとは到底言えない。
交通ルールが歩行者を保護するのは、その前提として「最低限の注意義務を果たしている」ことがあるからだ。
歩きスマホは、もはや現代社会の「新たな迷惑行為」の代表格と言ってもいい。
「歩行者保護」を大義名分に、こんな不届き者まで優先していたら、社会秩序は間違いなく崩壊するだろう。
周囲に気づかずぶつかる、駅のホームで危険な位置まで歩く、自転車に乗りながらスマホを操作する。
どれも一歩間違えれば重大な事故につながる行為だ。
それでも本人には危機感が乏しく、むしろ注意された側が逆に怒るという歪んだ構図が日常的に見られるようになっている。
自動車免許を取得する際に、教習所の授業で「二人の愚者が出会ったら…」というタイトルの講義を受けた。
今回の一件は、まさにその状況だった。
法律の正当性云々以前に、お互いが感情をぶつけ合い、自分の非を認めず、周囲に不快感をまき散らす姿は見苦しいものだった。
そして、こうした場面を目にするたびに、「本当にこのような人まで保護されるべき歩行者として扱うべきなのだろうか」と疑問に思わずにはいられない。
そもそも、周囲の迷惑を一切考えず、歩きながらも「スマホを触りたい」という欲望をお触ることができないバカは「人間」とさえ呼べず、「歩行者」として保護の対象となるのかさえ疑問である。
奴らがのうのうと生きていられるのは、「歩きスマホをしても平気」なのではなく、「あくまでも周囲が配慮してくれているから」に過ぎない。
今回のように、煽り運転をするような人間と遭遇したら、間違いなくヤクザの抗争並みの血で血を洗う醜くて恐ろしい争いになることは必然である。
交通法規の見直しや運用の改善も必要かもしれないが、同時に「歩行者としてのマナー」や「自分の安全を守る責任」についても、大いに考えないといけない。
この記事にも書いたことだが、歩きスマホに関しても、注意喚起だけでなく、徹底した取り締まりと再教育が必要だと感じる。