日本人女性と結婚したい白人至上主義者というパラドクス

先日、Twitter上でのこんなやり取りを目撃した。


このやり取りを見た私は思わず膝を叩いた。

今までそのような視点で考えたことはなかったが、私もこの意見には賛成である。

2023/12/11:追記)

オリジナルの投稿はすでに削除されているが以下の内容だった。

白人差別主義者がアジア人と結婚するなんてあるのか?ってツイ見てえええええめっちゃあるよ!?となった。日本人女性とか特に「身の程を知ってて」大人気だよ!?白人女性と違って主人である男性に楯突かず従順に主人に尽くすからね!?

・実際は人種にこだわりがないレイシスト

他の人種は自分たち(=白人)よりも劣っていると考えている白人至上主義者が非白人であるアジア人と結婚するという事態は一見矛盾した考えに思える。

しかし、白人至上主義者とは必ずしも、「白人以外の人種はこの世から駆逐すべきだ!!」という人種に基づいた差別思想を持っているとは限らない。

彼らは、満足した仕事に就けず、恋人もいないことから、普段の生活で劣等感に満ちて、自分たちが「社会からないがしろにされている」という感覚を抱くことで、白人男性(多くの場合は「自分たち」の意味と同義だが)が社会的に優遇されていたであろう時代への回帰を求めていることが珍しくない。

最近はこのような思想を「オルタナ右翼」とも呼ぶ。

この記事でも書いたが、男が外で働いて、女は家事をやるという性別に基づいた結婚は別に日本の伝統などではなく、社会が近代化される過程ではどの国でも見られる生活形式である。

というよりも、日本や韓国といった近代化に後発である国は、そのような結婚が普及して数十年しか経っていないが、欧米では200年近く前から、そのような暮らしを営んでいた歴史があるのだから、彼らの方が「女は家で男を支えるべきだ!!」という考えを「伝統的」と呼ぶにふさわしいのかもしれない。

というわけで、(一部の頭が悪い)日本人が「女は仕事をせずに家庭に入ることが日本の伝統だ!!」と言って、女性の自立に反対することと同じような発想が西洋にもあるのだろう。

白人至上主義者:「本来自分たちはこんな立場に甘んじる人間ではない!! 男女平等や人種差別の撤廃や個人の自由の尊重などがそもそもの間違いであり、みんながひとつの家族だった伝統的な古き良き○○(←自分の国名が入る)に立ち返るべきだ!!」

このような過激思想の持主にとって、実は「白人」「黒人」といった人種の違いは大して重要ではない。

大事なのは自分がいかに周囲から認められるかという下らない自尊心だけである。

そんな自国の女性に相手にされないほどみじめな生活を送っている差別主義者にとっては、男性に楯突かず、従順に主人に尽くして、身の回りの世話をすべて引き受けて思う存分甘やかしてくれる(というイメージがある)日本人女性は、自分の自尊心を満たしてくれる絶好の存在である。

私はこれまで白人至上主義という観点に着目したことはなかったが、「どうしても日本人女性と結婚したい!!」と願う人間は何度も目にしてきた。

日本人女性がなぜそこまで彼らに人気なのかが気になった私は、彼らに「自国の女性と日本人女性の何が違うのか?」と質問していた。

だが、彼らの大半は自国の女性と付き合った経験がなく、自分たちを相手にしない自国の女性たちに対して侮蔑の言葉を吐くことが多い。

そして、日本人女性のことを「優しい」という言葉で表すことが多い。

要するに、自国で女性から相手にされないコンプレックスの塊のようなクズ男が、「日本人女性なら絶対に自分の存在を脅かさず、無条件に自分の存在を受け入れてくれるに違いない!!」という浅はかな動機で「日本人と結婚したい!!」と考えているのだろう。

彼らがいかに幼く甘ったれた精神であるかについてはこの記事にも書いている。

・我が道を行く男たち

さて、ここからは外国にある恋愛を放棄した人の思想を紹介させてもらいたい。

日本語に「草食系」や「絶食系」と呼ばれる恋愛に関心がない男性を表す言葉があるように、英語にも「MGTOW」という言葉がある。

MGTOW(ミグタウ)とはMen Going Their Own Wayの略である。

直訳すると「我が道を進む男」となり、何だかとてもカッコいい響きがあるが、この言葉の意味するものは若干異なる。

アメリカは自由の国と言われるが、「パートナーがいないような男は一人前ではない」というマッチョな男性観の社会的抑圧が強い国である。

女性同伴が求められる高校卒業時のプロム・パーティや、大学におけるフラタニティ(学生親睦団体)、あるいは映画やドラマのようなエンターテインメントを通して、恋愛至上主義的な価値観がことある毎に植え付けられる。

「我が道を行く」という意味は、このような「女性と付き合えない男は一人前ではない」という社会的圧力に抵抗し、女性との接触を極力避ける男たちという意味である。

この概念は2000年代初めに生まれ、検索回数は2010年前後から急増しており、近年注目が高まっている。

彼らは、女性は男性を食い物にする捕食者であり、男性の自己所有権を侵害する存在と考え、付き合うのはコスト的にもリスク的にも割が合わないと思っている。

そのため、女性を避けることで、男性は自分の人生を追求することが可能になるという考えに行き着いている。

彼らがそのように考える理由の一つが「絶望」である。

彼らにとっての社会の序列は、権力や経済力のある女性(例えば大統領選挙でトランプに負ける前のヒラリー・クリントン)がトップで、次にフェミニズムに守られた女性全般、そして動物愛護運動に守られた動物が続き、自分たちはその下というものだ。

誰も守ってくれず、女性にモテなければ馬鹿にされ、離婚すれば慰謝料や親権争いで常に負け、セックスすれば後日レイプ扱いされるという、被害者意識に満ちた世界観がそこにある。

ところで、MGTOWにはこじらせ具合に応じてレベル0からレベル4まであるという。

・レベル0 この世は女性に支配されている、という認識をとりあえず得たという段階。

・レベル1 このような女性との長期に渡る関係が棄却される。

・レベル2 女性との短期間の関係も排除される。

・レベル3 生活に必要な最低限の収入を得るための仕事を除き、社会と経済的な関係を絶つ。

・レベル4 そもそも社会との関係を絶つ。自殺も選択肢に含まれる。

レベル3で唐突にお金の話が出てくるのは、「女性や女性を有り難がるリベラルに支配された政府に税金を払いたくない」ということらしい。

さらに、MGTOWは女性が支配する社会への男性のストライキであるという見方がある。

2013年には心理学者のヘレン・スミスが「Men On Strike: Why Men Are Boycotting Marriage, Fatherhood, and the American Dream – and Why It Matters」という本を出しているが、副題の「なぜ男たちは結婚、父権、アメリカン・ドリームをボイコットし、なぜそれは問題なのか」という問題意識は、日本で10年ほど前に盛んに語られた、若者世代の少子化や消費の低迷は、自己責任を押しつけ自分たちを見捨てた社会への復讐として機能しているという「サイレントテロ」に近いものがある。

・「処罰」と「革命」

MGTOWはサインレントテロのように生きるために女性との関係を絶つ人々のことであり、彼らの思想の根幹にあるのは絶望や諦観である。

まあ、別にこのような「俺はそんなくだらないゲームには参加しないぞ!!」という考えを持つことは個人の自由である。

しかし、非モテをさらにこじらせた女性嫌悪に「インセル」と呼ばれる思想がある。

インセル(incelの語源は「involuntary celibate(不本意の禁欲主義者、非自発的独身者)の2語を組合せであり、望んでいるにも拘わらず、恋愛やセックスのパートナーを持つことができず、自身に性的な経験がない原因は対象である女性の側にあると考えている。

元々はインターネット上で、反フェミニスト、女性差別、人種差別、同性愛差別などの投稿を行い、過激派はパートナーがいる女性を暴力や強姦で「罰する」ことなども奨励していた。

その思想は、女性に拒絶されて「不本意な禁欲」を強いられていると考える多くの男性を引きつけてきた。

それに感化された人々は、自分たちよりも異性とうまく付き合っている人々を憎悪する考え方を支持するようになり、次第に行動がエスカレートして、オフラインの世界で犯罪やテロ活動を起こすようになった。

彼らはこの行動を「革命」と称している。

インセルの多くは異性愛者であり、彼らの思想のベースとなっているのは「女性が自分と性交したがらないために『不本意な禁欲』を強いられている」という怨念で、「自分が不幸なのは、女にモテる男や、モテる男になびく女のせいだ」という考えである。

彼らは性的魅力がある男性たちのことをチャド(chad)、チャドばかりを選ぶ女性をステイシー(stacy)と呼び、彼らはただ外見が良いというだけではなくて、学歴や経済力、社会的地位の高さも加味された人たちだとされる。

インセルは「女性たちは彼らよりも自分たちに魅力を感じるべきだ」と主張している。

なお、チャドやステイシーほど性的に放縦ではないが、ちゃんとパートナーがいる「普通の人々」のことノーマルならぬ「ノーミー」と呼び、こちらも敵視している。

女性を意味するインセル用語には「フィーモイド」もある。

女性はセックスと権力への欲だけに駆られる、人間以下の生き物だという意味を込めた言葉である

インセルチャドやステイシー、ノーミーを敵視する理由だが、特定の相手に、実際にこっぴどく振られたり、相手にされなかったりして敵意を持つわけではなく、多くの場合、自分と必ずしも関係の無い女性全般、あるいは社会全般に向けられている。

八田真行氏の考えとしてはこんなことが書かれている。

世の中の女性は軽薄で愚かなので、金や権力のあるイケメンに惹かれるばかりで、自分のような風采の上がらない、社会的地位もない男は相手にされない(に違いない)。自分に魅力がないのは遺伝子の問題で、自分に責任はない。

そしてセックスは基本的人権であって、それを阻む女性や、女性の権利を声高に主張するフェミニズムの横行はインセルにとって深刻な人権侵害だ。そもそもこの社会は、チャドやステイシーに有利なようにルールがねじ曲げられていて、インセルに勝ち目はない。インセルを抑圧する社会を打破するために、インセル革命が必要なのだ、と……。

(引用:凶悪犯罪続発!アメリカを蝕む「非モテの過激化」という大問題

テキサス州公安局報告によれば、インセルの男たちや、その哲学に感化された者による暴力事件は、増加傾向にあるらしい

「女性に拒絶された怒りがエスカレートしてインセルに忠誠を誓うようになったり、さらに一歩踏み込もうとしたりする行動に変わる可能性がある」と報告書は指摘した。

2014年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校の近くで6殺害され14怪我を負わせれ、容疑者が自殺する事件が起きた

容疑者は声明文を残しており、他人に対する暴力的な衝動について説明していた。

は声明文に、「女たちが俺に性的魅力を感じさえすれば幸せな人生になっていたのにと考えると、身体中が憎しみに燃え上がる」と書いていた。

・白人至上主義とインセル

モテない怨念と社会への憎しみもここまで来ると随分と恐ろしいものである。

彼らのように自分に自信がなく、変わるつもりもなく、社会への恨みに満ちている人々にとっては、男女平等によって活躍する機会を得て、自分に見向きもしない自国の自立した女性たちは殲滅対象なのだろう。

そんな彼らにとって、自分の存在を脅かすことなく、無条件に尊敬してくれて、常に後ろから支えてくれる日本人女性は、対等な立場で接して来る自立した自国の女性にない魅力的な存在である。

そして、インセルの女性や現代社会への嫌悪感が、白人至上主義者が唱える「人種差別が横行し、女性は社会進出などせずに家庭を守り、多様性など認めずにみんなで聖書を読んでいた古き良きアメリカへの回帰」という思想は恐ろしい程重なって見える。

白人至上主義から、(本来そうであったはずの)人種へのこだわりと聖書への信仰心を引いて、自立した女性への嫌悪のみが純化された思想がインセルなのである。

つまり、人種にこだわらない白人至上主義者(何だか変な言葉使いになっているぞ)がインセルなのだと私は思う。

「インセルは主に、若年層の白人で、低所得者で異性愛者である」と書いている記事もある。

もちろん、「白人男性だから」「低所得者だから」「異性愛者だから」という理由だけで、彼らが「インセル」や「白人至上主義者」であると差別することは間違いである。

そのすべてに当てはまっても素晴らしい人はたくさんいる。

それでも「優しい日本人と結婚したい」という男(白人であるかにかかわらず)には

「自分は何も悪くないから絶対に変わらない」

「悪いのは社会にゲタを履かせてもらっているのに自立したつもりでいる女たちだ!!」

「そんな奴らと違って、家父長制を受け入れて、主人である男に楯突かず従順に尽くす女性が欲しい!!」

というの本音があるのではないかと警戒してしまう。

もっとも、

「白人の子どもを産みたい!!」

「ハーフの子どもが欲しい!!」

などとほざいているアバズレ尻軽女共にはお似合いであるが。

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