大企業でしか働きたくない若者や養われることが前提の結婚願望は個人のわがままではない

先日、韓国の友人からこんな話を聞いた。

「今の韓国は経済状況が悪く、大学を卒業してもまともに就職できない」

私は他国の若者と就職の話をすることが多く、学校を卒業しても仕事に就けないという人は珍しくない。

アメリカやヨーロッパでは採用にあたり経験が重視されるから、経験のない若者は不利な立場に置かれる。

そのため、本当に彼らは仕事がない。

・大企業でなければ普通の会社ではない?

しかし、韓国の雇われ方は日本に近いと思っていた私は彼の言葉を素直に受け入れる気になれなかった。

年功序列や終身雇用といった日本型雇用は「ろくに働きもしない中高年が勤続年数だけを評価されて仕事以上の給料をもらっている」と言われ、若者は彼ら中高年に搾取されているかのようなイメージで語られることが少なくない。

だが、この雇用形態で最も恩恵を受けているのは職務経歴が全くないにもかかわらず、潜在能力だけを期待されて採用される若者である。

つまり、日本型雇用は中高年ではなく、若者の味方なのである。

にもかかわらず、この国では「就職できない!!」と嘆いている若者がたくさんいる。

そんな彼らの中には「新卒カード」なるものを有効活用すべく就職浪人までする者もいるが、彼らは大企業以外の会社を就職先とみなしていないことが珍しくない。

当たり前の話だが、日本には大企業以外の会社はたくさんある。

しかし、彼らはこのような会社を「まともな会社」だと思っていない。

早い話が彼らは「大企業以外は就職したくない」と仕事の選り好みをしているのである。

これまで、派遣社員を除けば、常に中小企業で働いてきた私は彼らのそのような態度には関心しない。

だが、彼らが仕事を選り好みしていることは事実でも、それは本人だけが非難されるべき問題なのかについては考える余地がある。

なぜなら、「大企業以外の会社をまともな会社だとみなしていない」のは、彼ら就職活動者だけではないからである。

以前の記事でも書いたが、「正社員=年功序列・終身雇用に守られている人」というように、この社会の正社員は大企業のモデルしか存在しないと考えている人がいる。

正社員と言えどもそんな安定した福利厚生など存在しない会社はごまんとあるのだが、彼らはその存在を(意識的なのか無意識なのかは分からないが)頭の中から消している。

そのような会社が良いか悪いかが問題なのではなく、そもそも、存在しないものだと考えて、「日本」とか「社会」という概念を論じているのである。

彼らも就職活動者と同じで、大企業しかまともな会社だとみなしていないのである。

そして、大企業的な企業福祉に守られない者は自己責任だと切り捨てる。

自分たちはそのような立場(態度)なのに、なぜ就職活動者だけが非難されるのだろうか?

彼らが大企業以外をまともな就職先と考えないのは、周りの大人に影響されているからではないのだろうか?

彼ら求職者がわがままだと非難されるのであれば、特定の働き方しか「真っ当な社会人」と認めようとしない人々、つまり社会の側も同様に非難されるべきではないのか?

・「共働きすればいいじゃないか」という言葉の欺瞞

「大企業以外には就職したくない」というのは本人のわがままではなく、無意識のうちに周りの意見に影響された結果である可能性が高い。

それと同じような例がもう一つある。

「贅沢な暮らしをしたいわけではない。普通に、ホント普通に暮らしたいだけ。だから、年収600万以上の人と結婚したい!!」

と言っている人たちである。

「普通でいいから年収600万円」とは何とも世間知らずな考えである。

これも、「大企業以外就職したくない」発言と同じく、「金持ちとしか結婚したくない」と選り好みをしていることがよく分かる事例である。

そして、このような発言をすると高い確率でバッシングを受ける。

「自分はその年収に見合う価値はあるのか!?」

「寄生しないで、テメーも働け!!」

正直に告白するが私もかつては同じ意見だった。

しかし、以前の勤め先で上司の醜態を目撃したことにより、現在はこの考えを改めた。

彼は前日に婚活を特集するテレビ番組でも見たのか

「これからの時代は共働きが基本。昔(昭和)みたいな養われる前提は捨てて、女も働いて家庭を守れ!!」

と言って、婚活女性の専業主婦願望を批判していた。

それ自体は私も賛成である。

…のだが、彼は部下の男性正社員に対しては、相も変わらず、家族の誰か(ほとんどの場合、母親か配偶者だろうが)がすべてのケアワークを担ってくれることを前提に長時間労働を強いて、女性の正社員に対しては「家事や育児があり、(男性のように)24時間365日会社に拘束することができないから」という理由で主要な業務から外すなど、おおよそ共働き家庭を念頭に置いた働き方をさせていなかった。

そもそも、最初から「既婚女性は使えない」と判断して雇い入れなかった。

要するに、口では女性の経済的自立を求めつつ、自分たちは依然として(朽ち果てたはずの)男性稼ぎ手モデルを中心に職場を運営しているのである。

この体たらくにして、女性には経済的な自立を求めるとはお笑いである。

「年収600万(人によっては800万、1000万)以上の相手としか結婚できない!!」

たしかに、これは高望みなのかもしれない。

とはいっても、社会の側が正社員の共働きを前提としないのであれば、この望みを止める権利も、誹謗する権利もなく、「高望みせずに自分も働け!!」と非難することはあまりにも無責任である。

しかし、本人は自分の傲慢さと発言の矛盾に気付いていないことが多い。

そのため、無責任であることを指摘しても、どこかの元大臣のように

「なんで無責任だと言うんだよ?」

撤回しなさぁぁい!!

と大声で逆ギレされそうである。

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