・「お前がそれを言うか!?」と思うこと
前回の記事で「フリーターという働き方は認めないが、安くておいしい牛丼を食べるためにフリーターが居てくれないと困る!!」という人たちを取り上げた。
これは「日本社会はこうあるべきだ」という理想の社会を語ることと、今現在、自分の置かれている状況で取っている行動があまりにも乖離していることで生じる現象である。
・フリーターは甘えた若者だから正社員として働くように根性を叩き直せ!!
(あ、だけど、うちの会社は正社員を雇う余裕がないから、体力があって、素直で、その上、最低賃金でも文句を言わずに働く若いアルバイト従業員しか雇えない。(しかもなぜか、そういう場面では「フリーター」という言葉は都合よく使われないものである。))
・移民を受け入れたら日本社会が崩れる!! 移民受け入れ絶対反対!!
(だけど、低賃金で文句を言わずに働く労働者は欲しい!!)
実に手前勝手な意見だが、本人はその自覚がない。
このように、威勢のいいことを言いながら、言葉の後には声に出せない括弧書きが本音として隠れていて、思わず「お前がそれを言えるのか!?」と言いたくなるようなことがある。
かつて、この記事で書いた「この仕事を覚えるには数年かかる」と言いながら、即戦力であることを求める人たちも同じようなものである。
「(本来は)企業は蓄積したノウハウを継承するために時間をかけて若手を育成するべきだが、ウチは経営が厳しいのでそんな悠長なことを言っている余裕はなく、即戦力しか受け付けない!!」
派遣社員ばかり使う人たちも似たようなものである。
「(本来は)企業は正社員を雇って時間をかけて彼らを育てるべきだが、ウチは正社員を雇用する余裕はないので、いつでも切り捨てることができる派遣社員を使おう!!」
悲しいかな・・・エラそうな顔で若手を説教している人間はこのような人ばかりである。
毎年、4月になると、新社会人に「失敗を恐れるな!!」と檄を飛ばす人たちが大勢いるが、一体その中の何人が本気でそんなことを思っているのだろうか・・・
今回はそのような、理想と現実が大きくかけ離れて「お前がそれを言えるのか!?」と突っ込みたくなるようなフレーズを紹介する。
・勉強ができないのなら大学へは行かずに、手に職をつけろ!!
「大学全入時代」という言葉を聞いたことはあるだろうか?
ご存知の通り、日本は少子化が進んで、大学を受験する人の数は減り続けている。
一方で、大学の数はかつてよりも増えている。
その結果、多くの大学で定員割れが起きている。
ということは、受験生は学校と学部を選ばずに、学費さえ払えば、誰もが大学に通うことができる。
大学受験と聞くと、かつては「受験戦争」だの「受験地獄」だの苦しいイメージがあったが、時代は大きく変わったものだ。
皆が大学に行って大卒の学歴を手にすれば、大企業に就職できて、高い給料を得ることができて、しっかりと納税して、結婚して家庭を作ることもできる。
実に良い時代になったものだ・・・
って、んなわけあるか!!!
当たり前だが、仮に現在の高校3年生が全員大学へ進学したとしても、彼らが大学を卒業する時には、全員が大企業の正社員や公務員の職に就けるわけではない。
どの社会にも学歴とは無縁の単純労働者は必要で、この社会はホワイトカラーの労働者だけで回っているわけではない。
そもそも仕事には向き不向きがある。
だから、大学全入を素晴らしいと言っている人は見たことがない。
さすがに、大多数の日本人はそこまでバカではない(と信じたい)。
その上、「受験勉強をしなくても、誰でも通うことができる」と言われているFランクと呼ばれている大学もひどい。
そんな大学に通う学生を肯定する人など、私は見たことはない。
「勉強ができない、その上、やる気もないのなら大学に通わないで、真面目に働け!!」
「世の中には学歴不問の仕事はたくさんある」
「Fランク大学に助成金として税金を費やすくらいなら、高校生の就職を世話したり、肉体労働者の待遇改善を図る方が遥かに世の中はマシだ!!」
「そんな大学に通うくらいなら、早いうちから働いてマイスターを身に着けた方が個人の側も社会の側も幸福になるのだから、親も教員も、子どもに親のすねをかじらせたり、返せるあてのない奨学金を借りさせたりして、無暗やたらに大学に行かせようとするな!!」
この考えには大いに賛成する。
問題は、このようなご立派なことを言っている人が、勉強のできない自分の息子・娘が高校卒業後の進路に直面した時に同じことが言えるかどうかだが・・・
というわけで、「勉強ができないのなら大学へは行かずに、手に職をつけろ!! 」という常套句には(だけど、自分の子どもはどうしても大学で勉強してほしい)という声に出ない括弧書きが隠れている。
もう一つの常套句がこちら
・大企業ばかり目指さずに中小企業へ就職しろ!!
今から5年くらい前に「下町ロケット」という番組が放送された。
番組の内容は「大企業に翻弄されつつも、ひたむきに夢を追い続ける中小企業の挑戦」を描いたもので、かつてNHKで放送されたプロジェクトXのように働くサラリーマンの共感を呼んだ。
これは私見だが、この頃から組織のしがらみにウンザリしている人が「中小企業=組織のしがらみがなく、ひたむきに働いている」とか「中小企業も大企業に負けない技術を持っている」というようなイメージを持つことが増えたと思う。
「若者には大企業の正社員や公務員を目指すような守りに入るのではなく、中小企業で技術を身につけながら逞しく働いて欲しい!!」
って、待たんかい!!
あんた中小企業の何を知っているんですか!?
私は今まで大企業とは呼べない会社を転々としてきたが、大半は年功序列も終身雇用もない会社だった。(それどころかボーナスや退職金がないという会社も珍しくなかった)
中小企業応援団ともいうべき人たちはこのことを知っているのだろうか?
そして、自分の子どもや教え子がそんな会社に就職することを勧めることはできるのだろうか?
さっきの「勉強ができないのなら大学へは行かずに、手に職をつけろ!! 」と同じ香りがしてきた。
そもそも、現実世界では
「年功序列や終身雇用は死んでも手放さない!!」
「そしてそのためなら、派遣だろが、下請けいじめだろうが、グループ会社・子会社への天下りだろうが使えるものは何でも使うぞ!!」
と言って既得権にしがみつくおっさんたちが、何で阿部寛の方へ感情移入して、「こういう現場にこそ、日本のモノづくりの神髄が~!!」とか言って興奮しているのかが不思議である。
「あんたら、どう見ても、現実では帝国重工サイドの人間だろ!!」
とツッコミを入れたくなる。
なるほど、自分や子どもは大企業で何不自由なく働いて、他所の家庭のガキにはリスクを背負って中小企業で挑戦してもらいたいわけですね。
というわけで、「日本の中小企業は素晴らしい技術を持っている会社が多いのだから、大企業ばかり目指さずに中小企業へ就職しろ!!」の後ろには
(だけど、うちの子は大企業で安定して働いて欲しい)
という本音が隠れていることになる。
こんな自分勝手な人間が「社会」を語ることには呆れてしまう。
もちろん、理想の社会を描いたとしても、現実はそうではないため、常に自分の信念だけに沿って行動することが正しいわけではない。
「学歴がすべてではない」
「大企業だけがちゃんとした会社ではない」
そう言ったところで、この社会はそうではないのだから、カッコ悪くても賢く生きることを勧めるのも一つの優しさである。
崇高な理想を描きつつも、卑屈にならざるを得ない現実とのギャップに悩み苦しんだ末にそのような結論を出すのなら、それは尊重されるべきだと思う。
しかし、私には彼らがそのように悩んだり、苦しんだ末に他人へアドバイスをしているとは思えない。
だったら、他所の家の子どもに対しても、堂々と
青年よ大志を抱いて既得権を目指せ!!
と言ってもらいたい。