ネットやゲームの使用時間を制限するのならテレビの視聴時間も制限すべきではないのか?

1ヶ月以上前から話題になっているが、香川県議会が「子どもをゲーム(ネット)依存から守る」という大義名分の元、未成年者のゲームやネットの利用時間を平日60分、休日90分までに制限する条例案を示した。

香川県議会が「ゲームは1日60分」の条例素案 全国初(朝日新聞デジタル)

これを知った私は「条例に断固反対!!」とか「ゲームをやったことのない老害の妄想だ!!」という以前に、率直に「バカだな」と思った。

この条例を考えた人は、ゲームやネットの使用時間を制限すれば、子どもたちは空いた時間に勉強したり、元気に外で遊んだりするとでも思っているのか?

その幼稚な発想には呆れた。

考えてみてほしい。

たとえば、「中高年者をテレビ依存から守るため」と称して、テレビの視聴時間を平日60分まで、休日90分までと制限されたら、毎日テレビばかり見ている中高年は空いた時間に勉強したり、家事をやったりするのだろうか?

「ふざけるな!!」

「休みで家にいる時くらい、大好きなテレビを見せろ!!」

「テレビ!! テレビ!!」

と、まるでおもちゃを取り上げられた子どものように怒り心頭だろう。

しかし、子どもたちのゲーム依存を問題視するのなら、中高年のテレビ依存対策のためには同様の対応を取らなくてもいいのか?

ゲーム規制条例は子どもがゲームやネットを長時間使用することが学校の成績に影響を及ぼすことを根拠に考案されたものであるが、テレビを長時間視聴することが高齢者の心身を蝕む危険性もある。

テレビ見過ぎの年配者、記憶力低下 刺激がストレスに?(朝日新聞デジタル)

・自覚なきテレビ依存者

私の知り合いに、家にいる時は常にテレビをつけていて、寝る時も子守歌のようにテレビの音がなければ眠れない人がいる。

もしも彼が「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれて

「趣味はテレビを見ることです!!」

「休日はテレビを見る以外のことは考えられません!!」

と即答できる人なら、私は彼のことを「テレビ依存者」などと呼ぶつもりはない。

「テレビを見るためなら死をも辞さず!!」という気高き精神を持って生きるのはあくまでも本人の自由である。(家族にとっては迷惑な話だけど)

しかし、彼はリアルタイムで見ることができなければ録画してでも見たいと思うほどの大好きな番組を見ているわけではない。

それどころか、

「最近のテレビはつまらない!!」

と劣化した(と感じている)近年のテレビ番組に対してかなりご立腹である。

「そんなにつまらないなら見なければいいのに」と思うのだが、彼にはそのつまらないテレビの電源を消すという考えはない。

彼は「テレビが好きでたまらない」のではなく、「テレビの音がないと落ち着かない」筋金入りのテレビ依存者なのである。

恐らく満足に睡眠も取れていないため、近いうちに過労死するのではないかと私は大いに心配している。

見ている人ではなくテレビの方をね。

以前、大物有名人が、自身が覚醒剤を使用して逮捕された時の話をしていた。

逮捕前の彼は嫌なことがあった時やイライラした時の息抜きとして覚醒剤を使用しているつもりだったため、「自分の意志で覚醒剤の使用をコントロールしている」と思っていた。

しかし、逮捕後、医者に「あなたは覚醒剤依存症です」と言われて、初めて自分が覚醒剤の使用をコントロールしているのではなく、それがなければ生きていけない依存症に陥っていることを自覚したらしい。

テレビ依存症者も同様に、自分の楽しみのためにテレビを見ているのではなく、テレビの音なしでは生きていけない状態に陥っていることに気付いていないものだと思われる。

怖いですねえ。

とはいっても、実は私もかつて、このような「テレビの音が無ければ落ち着かずにイライラした」経験はある。

というわけで、今日はかつて休みの日はゲームばかりやっていた経験と、テレビがなければ落ち着いて夜も眠れなかった経験を持つ私がそれぞれの状況に陥った時の話をしようと思う。

・ゲーム依存の定義

本題に入る前に「ゲーム依存」という言葉の使い方についてはっきりさせておきたい。

WHOによると

(1)ゲームをする時間や頻度を自ら制御できない

(2)ゲームを最優先する

(3)問題が起きているのに続ける

などといった状態が12ヶ月以上続き、社会生活に重大な支障が出ている場合にゲーム障害と診断される可能性がある。

ゲーム依存は病気 WHO、国際疾病の新基準(日本経済新聞)

とあるのだが、ゲームに対して最も多くの時間を費やしていた時でも、さすがに私はそこまで深刻ではなかったため、この定義を用いるのなら「自分はかつてゲーム依存症だった」とは言えない。

私がゲーム三昧の日々を送っていたのは中学生の時だったが、その時は、3年間無遅刻無欠席だった

しかし、使用時間は今回の条例で規定されている制限時間の平日60分、休日90分は遥かに超えていた。

多分、その倍くらいの時間は使っていたと思う。

そのため、WHOによる「ゲーム依存(障害)」の定義から外れても、自分が「ゲーム依存」と呼ばれることに抵抗はない。

中学生の時(特に半ば)は、平日の帰宅後と休日はゲームをした記憶しかない。

そうなった経緯について説明しよう。

・中学生は外で遊んではいけない?

私が初めてゲームを買ってもらったのが小学2年生の時である。

それ以降、ソフトや機材を買い足してはいたが、小学生の時はあくまでも、ゲームは数ある遊びの中の一つに過ぎなかった。

当時の私はアウトドア派だったため、家にいるよりも外で遊ぶことが好きな子どもだった。

私の場合はスポーツ教室に通うのではなく、友達と目的もなく遠出したり、公園や空き地で遊ぶことが好きだった。

その時の私は中学生になると自分の活動圏がさらに広がり、もっと遠くへ行けるものだと思っていた。

のだが、実際は全く逆であった。

中学生になると学校の勉強や部活動といった大人から指定された枠の中に押し込められた。

「勉強しろ!!」

「部活をしろ!!」

と大人の管理下に置かれて、それまでの居場所と生きがいを奪われた。

近所の公園には「中学生は使用禁止」という露骨に差別された看板を立てられたことがあったし、行く当てもなく友人と町内を自転車でウロウロしていた時は近所の婆さんから

「この当たりに近づかないで!! 出ていかないなら、学校に連絡するよ!!」

と罵られたこともある。

今でも、

「あの時は、よくババアのシワだらけで醜い面を殴ることを我慢できた!!」

と自分を褒めたい。

当時の私はこの町には自分の居場所はないと思って、自転車で5kmほど遠出して、川を渡り学区域をも越えた隣町の河原で遊ぶことにした。

すると、地元の人らしき婆さんが出てきて、

「芝生が痛むから、ここには入らないでほしい」

と言われて、そこからも立ち退かざるを得なかった。

踏んではいけない芝生とは一体何のために存在しているのだろうか?

(その一方で、地元の爺さん婆さんたちがゲートボールをしているのは不問にしていたが…)

このように、中学生の時の私は学校(その他、学校に関するもの)以外の居場所をすべて奪われた。

そんな生活ではゲームしかやることがなかった。

というよりも、ゲーム以外に何をして遊べというのだろうか?

もしも、ゲームがなければ自分と同じような境遇の同級生と一緒に「社会への復讐」と称し、居場所を奪った者の家や車を標的にして荒らしまわるか、暴走族に入っていたかもしれない。

そんな当時の私をゲームだけは受け入れてくれた。

特に冒険もののゲームをやっている時は、かつて追いかけていた夢の続きを見ている気がした。

とはいっても、私は

「三度のメシよりもゲームが大事だ!!」

「学校を休んででもゲームをやりたい!!」

などと思ったことは一度もない。

高校生になってアルバイトを始めると、自分の趣味にお金が使えるようになり、行き来できる世界も広がった。

その結果、暇な時間にゲームだけを行う理由はなくなり、自然とゲームの使用時間も減っていった。

このように、私が毎日のようにゲームばかりしていた理由はゲームそのものに熱中していたわけではなく、「大人が外で遊ばせてくれない」という外的な要因から生じたものに過ぎなかった。

・テレビの音で気を紛らわさないと重圧でつぶれる

次は「テレビ依存症」に陥った時の話をしたい。

その時の私は21歳で、仲の良かった友達と1年以上疎遠になり、突然仕事もクビになったことで、自分が誰ともつながっていない不安を感じた。

「テレビ依存」とは言っても、ずっと見ていたい大好きな番組があったわけではない。

それに昼間の明るいうちは、テレビを見たいとは思わなかったし、外に出かけることもあった。

しかし、夜になるととてつもない不安に襲われた。

孤独や将来への不安で押しつぶされそうになり、テレビの音で気を紛らわせなければ、頭がおかしくなりそうだった。

(お笑いのようにうるさいだけの番組は逆効果だったが)、政治関係のニュースや関心があるわけでもないスポーツの試合など、本当にどうでもいい雑音が流れている時だけは何も考えずに気持ちを落ち着けることができた。

大体、夜の11時を過ぎると「今から寝よう」と思い、布団に入るのだが、ネガティブなことばかり考えてしまい、すぐに2時間ほど経過する。

このままでは、朝まで眠れないのではないかと思い、暗い部屋の中でお気に入りのビデオ(映画版ドラえもん)を流すことでようやく心が落ち着いて、眠りに就くことができた。

こんなことをしていると健康に悪いことは分かっていたが、そうしなくては一睡もできない気がした。

私は経験していないが、今後、何十年も返さなくてはいけない家のローンに怯えている人や、年功賃金である程度の収入を得ているが、今の会社をクビになった時の家族のことを心配している人も似たようなものではないだろうか?

それから特殊なケースかもしれないが、ブラックバイトで夜勤をしていた時もテレビがなければ落ち着かないことがあった。

夜勤で働く時は睡眠時間の調整が難しい。

昼間の仕事では、ありえないことだが、夜勤の場合は毎日決まった睡眠時間が確保できるとは限らない。

一度眠りに就いて3,4時間で目が覚めると、その後は全く寝付けないことも珍しくなかった。

私の場合は家を出るのが午後の9時だったため、そのように睡眠時間が十分でない時は、夕御飯を食べた後に、出勤前までに12時間ほど寝ることが多かった。

その際に熟睡してしまうと起きれなくなるため、テレビをつけたまま横になり、意識の半分だけを眠らせるという自分でもよく分からない睡眠方法を取っていた。

そして、仕事を辞めてからもしばらくそのクセが抜けなかった。

そんな変な眠り方は自分だけだと思っていたが、後に同僚から「工場で夜勤の仕事をしている夫も同じことをしていている」という話を聞いた。

このように、私がテレビ依存に陥った原因は仕事関係で悩んだいたことだったため、仕事に就けたり、劣悪な条件の仕事を辞めるとテレビ依存からも自然に抜け出すことができた。

・ゲーム依存もテレビ依存も原因は別のところにある

というわけで、ゲーム依存もテレビ依存も

「ゲームのためには人生における他のすべての権利を放棄してもいい!!」

「テレビを見ることに命を懸ける!!」

というような強い気持ちで没頭しているのではなく、根本的な原因が他の所にあると思われる。

ゲームやテレビを目の敵にするのではなく、そちらの方の解決を支援すべきだと思う。

自分の居場所を見つけるとか、仕事の悩みを専門家に相談するとか。

ちなみに子どものゲーム依存を現実逃避だと考える人がいる。

「居心地のいい世界に逃げ込むのではなく、勉強やスポーツを頑張れ!!」

という理屈である。

はいはい。その通り。

だったら、テレビ依存患者に対しても同様に

「テレビに逃げるのではなく、自分の悩みを真正面から受け止めて家計問題の専門家や精神科医へ行きない!!」

と助言してください。

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