前回は「高校中退者を『地元の仲間』とみなすことができるのか?」をテーマに「地元暮らしには金はなくとも絆がある」という言葉が本当なのかを考えてみた。
本日はもう一つの試金石として、こちらのテーマを取り上げたい。
・②:子どもを社会で育てることができるのか?
「子どもは社会が育てる」というフレーズは10年ほど前から耳にする機会が増えた。
共働きの家庭も増えたことだし、もはや、かつてのように親(ほとんど母親だが)だけで子どもを育てられる状況ではない。
これに対して、「いや、子どもは親が責任を持って育てろ!」と言いながら、公的な支援に強硬に反対する人たちもいる。
一見すると意見が対立しているように見えるが、賛成にせよ、反対にせよ、「昔は親が責任を持って子どもを育てていた」という前提は共有しているように思われる。
少々遠回りになるが「その説が本当なのか?」から考えてみたい。
・「昔は親が責任を持って子どもを育てていた」はウソ
結論から言えば、これは限りなくウソであると言える。
考えてみてほしい。
小学生くらいの年齢の子どもが「野球をしたい!!」「サッカーをやりたい!!」と言ったとしよう。
昔であれば、そんな子どもたちは学校の同級生で道具を持ち寄って、公園や空き地で遊んでいたものである。
「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」などの国民的アニメでおなじみの光景である。
だが、現代のように、騒音だ、危険だ、近所迷惑だ、不法侵入だ、と言われ、そのような遊びができなくなると、親が金を払って専門のクラブチームに入れるしかない。
そのようなクラブでは、道具代や試合を行うたびの遠征費など月謝以外にも多額の出費が必要となる。
これらの費用は仲間内で空き地や公園で遊ぶだけであれば、必要のなかったものである。
裏を返せば、子どもが公園や空き地で自由に遊ぶことができる社会は、子どもが遊ぶための費用を親ではなく、社会が負担していると言える。
つまり、「子どもを社会で育てる」というのは、税金で支援をすることだけではない。
子どもが公園や空き地で遊ぶことができる社会と、親が金を払ってクラブチームに入れなければいけない社会では、どちらが親の責任が問われる社会であるかは一目瞭然である。
「近頃の親は~!!」と言っている人は自身が子どもの時にこのような社会的な支えによって生きていたことをすっかり忘れている。(というよりも、それを「当然」だと思い、人の世話になったという自覚すらないのだろう)
・「田舎」=「昔の日本」ではない
子どもの遊びの今と昔を比較したわけだが、察しが良い人なら私が言いたいことに気付いたかもしれない。
地方は子どもが外で自由に遊べるから、高い月謝を払って習い事に通わせなくても、子どもを育てることができる。
これが、所得の低さを社会資本で埋めることができるの「地元型」の良い所である。
…と、言えたらどんなに良かったことか。
たしかに、そのような地域の協力によって子どもを育てる 所得の低さをカバーすることが「地元型」の理想なのかもしれない。
だが、注意してももらいたい点は、先ほどの比較は「今と昔」を比較したものであって、「都会と地方」を比較したものではない。
地方の田舎町で育った私が、先ほどのような公園や空き地で同級生と楽しく遊ぶ子ども時代を送っていたことは事実だが、それは20年も前の話である。
この記事で書いた通り、そのようなことは私が中学生の時からすでに難しくなっていた。
単に私の対象年齢が変わっただけかもしれないが、私が高校生だった時に、家の前で座り込んでいた顔見知りの小学生とこんなやりとりがあった。
早川:「何でこんな所で遊んでいるの?」
近所の小学生:「いつも遊んでいた公園でボール遊びが禁止になったから」
早川:「それじゃあ、(私が小学生の時によく遊んでいた)○○の空き地で遊んだら?」
近所の小学生:「空き地では遊んじゃいけないって学校で言われた」
ちなみに彼はその後、私営のラグビー教室に通うことになった。
これも15年近く前の話である。
この話から分かることは、私が住んでいた田舎町でも、その頃からすでに小学生が自由に遊び回ることができなくなっており、彼らが運動をするためには私費でスポーツクラブに通うしか道はなかったということである。
思い返せば、私が成人後に地元を散策していても、空き地で遊ぶ小学生など見かけたことはない。
空き地はどんどん増えているのに…
要するに、私の地元では、マイホームの購入に代表されるような、一国一城の主として自分の家族を持ち、煩わしい世間とのかかわりを避け、排他的な家族関係の中で快適な暮らしを追求する「大企業型」の社会になっている。
(もっとも、「大企業型」はしがらみの対象が地域から会社内へ移行しているだけで「悠々自適」というわけではないが…)
当然、そのような社会では「頼れるのは自分の家族だけ」ということになり、子どもは親が全責任を持って面倒を見るしかなくなる。
「塾やスポーツ教室に通わせるお金はなくとも、地域(社会)に見守られてノビノビと育つ」などというのは完全に過去の話なのである。
ちなみに、家族の近くで生活できることが地元暮らしの利点だと考えている人もいるだろうが、家族内(しかもこの場合は「家族=2親等以内(親・祖父母・兄弟姉妹)」に限定されていることが多い)ですべての情緒的な感情を満たすという考えは「大企業型」の発想であり、多様な人間関係の中に組み込まれて生活する「地元型」とは言えない。
・鶏が先か、卵が先か?
「地元の暮らしにはお金の豊かさはなくとも、心の豊かさがある」
この言葉が現実であると証明するためにはこの2点をクリアする必要があると思う。
・①:高校中退者を「地元の仲間」とみなす
・②:子どもを社会で育てる
所得の低さを絆で補完するのだから、それは当然である。
だが、私の地元にはそのようなものはない。
なぜか?
それは、ありもしない「大企業型」を生活の規範とし、社会の維持に必要な手間がかかこと、面倒なことの一切を放棄し、自分たちだけ豊かになる快適な暮らしを求めたからである。
要するに、「絆」ではなく「金」を選んだのである。
しかし、住民の多くがそのような生き方を望んでも、それに合わせて「大企業型」の生き方が増えるわけではない。
というわけで、「金もなければ、温かい絆もない」社会となっている。
はっきり言って
そんな場所に一体誰が住みたいと思うのだろうか?
地方社会の衰退は(そもそも自分たちとは無縁であるはずの)「大企業型」の猿真似をして、自らの長所を放棄した結果なのではないか?
ただ、一点だけ注意が必要なのは、「鶏が先か、卵が先か?」は定かではないということである。
お金はないけど絆があった社会が、金の豊かさを求めた結果、自ら望んで絆を捨てたのか?
それとも、お金がない社会がさらに貧しくなって、絆の維持が困難になってしまったのか?
これは「日本社会のしくみ」でも取り上げられていた、人口移動のグラフである。
(出典:平成27年版厚生労働白書)1-01.pdf (mhlw.go.jp)
これを見ると、戦後から90年代の半ばまでは景気の良し悪しと都心への人口流出は一致していることが分かる。
だが、90年後半になると、不況にもかかわらず都市部への人口流出が起きている。(しかも、三大都市圏でなく、東京だけが増えている)
これは、これまでのような「景気が悪くなったら、経済的に行き詰った人を地域や親族で抱え込む」モデルの維持が困難となり、以前であれば地元で生きていくことができた人たちが(「大企業型」への当てがあるわけではないものの)最低限の仕事を求め、都会へ出ざるを得なくなったことを表しているのかもしれない。
その結果、増えたのが「大企業型」でも「地元型」でもない「残余型」で、彼らは辛うじて生計を立てることはできても、企業にも、地域にも足場がなく、非常に不安定な暮らしを余儀なくされている。
かくいう私もその一人なのだが…
一方で、地元民の方も、もはやかつてのように地域の絆で経済の穴を埋めることができなり、「大企業型」以外に自分たちの生活を守る方法がないことを悟った結果、否応なしにその生き方を選ばざるを得なくなっているのかもしれない。
・「大企業型」は嫌いだが、「地元型」はもっと嫌い
最後は少し同情的な見方となったが、私は「絆を捨てて、金の豊かさを選んだ」にもかかわらず、「地元の暮らしには絆がある」などとほざいている人間を憐みの目で見ている。
その上、金はないのだから、そんな地域が見放されるのは当然のことである。
私はこれまで、東京の暮らしや「大企業型」の生き方、そのような人生しか認めない自称「社会人」をこき下ろしてきた。
その様子を見て「そんなに都会のサラリーマン生活が嫌なら早く地元へ帰ればいいじゃないか?」と思った人もいただろう。
しかし、地元へ戻ったところで、別の生き方ができるわけではない。
ちなみに、「大企業型」への嫌悪感はあくまでも「好き・嫌い」の問題であり、その生き方を好むこと自体は本人の自由だと思っている。
一方で、「地元型」に対しては、そこからはみ出た私の受け皿となってくれることを期待していたものの、それを裏切られたというルサンチマンがあるからなのか、「憎しみ」さえ感じている。
かつて放映されていた某引っ越し業者のCM風に言えばこのような言い方になる。
「大企業型」は嫌いです♪
でも、「大企業かぶれの(元)地元型」はも~っと嫌いです♪
地元を愛している(つもりでいる)人たちが本気で地元の繁栄を取り戻したいと思うのであれば、自分たちがやるべきことは何なのかをもう一度見直す必要がある。
ただでさえ、お金を持たない人たちが、「大企業型」の真似事をしても、そこで生まれるのは劣化版コピー以外の何ものでもないのだから。
今回のテーマはこれで終了となるが、次回も「絆」関係の記事を予定している。