通勤ラッシュの光景がこうも醜い理由

このブログでは過去に何度か通勤ラッシュの苦痛について取り上げた。

東京の通勤地獄は有名だが、ここ数年はコロナの影響によりテレワークやリモート授業が実施されていたおかげで、随分と快適に通勤することができた。

しかし、昨年のゴールデンウィークを過ぎた辺りから徐々に込み初め、コロナ前のような悪夢がじわじわと迫っている気がする。

私は「テレワークが出来たらいいな」とは思うが、会社に出向いて働くこと自体はそこまで苦痛ではない。

でも、通勤地獄に巻き込まれることだけは絶対に勘弁して欲しい。

コロナ渦で仕事を探す時は、通勤のことを気にせずある程度広い範囲で職探しを行うことが可能だったが、今ではコロナ前と同様に、良さそうな仕事であっても通勤面の不安を理由に諦めることが多々ある。

コロナの完全収束が、在宅勤務の終了を意味するのであれば、私にとってその日は、子どもたちにとっての夏休み明けである91日級の恐怖でしかない。(そのことの特集記事はこちら

・「列を乱さずに順番を待つ礼儀正しい日本人」は何処へ?

「通勤ラッシュの混雑が好き」という人はまずいないだろうが、それは私にとって、「割のいい仕事に就くことを諦めてでも避けたい」と思うほど重大なことである。

実際に少しでも混雑を避けるために、時間がかかってでも途中駅で始発電車に乗り換えたり、一本遅らせてでもホームの端に移動して空いている車両に乗ったりと数々の工夫をしている。

私が初めて東京の通勤ラッシュを経験したのは、上京して初めて就いた職場で働き出して1ヶ月が過ぎた頃だった。

その職場は自宅の最寄り駅から2駅先という短い距離であることに加えて、都心から離れる方面の終着駅間近ということもあり、混雑とは無縁で快適そのものだった。(その時の話はこちら

だが、当時はシェアハウス住まいで、一刻も早く一人暮らしをするつもりだった。

引っ越し先はどこを選んでも、通勤が不便になることは分かり切っていたが、満員で自宅の最寄り駅から電車に乗れないという事態だけは避けたかった。

そこで、先ず住みやすそうな街を複数リストアップして、休みの日(当時の仕事は平日が休みになることが多かった)に朝の通勤時間帯にその場所まで出向き、そこから勤務先まで電車に乗ってみて、通勤可能な路線であるかを身を持って調べることにした。

最初に出向いた場所は中央線の某駅。

その駅は快速線と緩行線が分かれているが、私は少しでも混雑がマシであると思われる緩行線を選んだ。

私が乗り込んだのは始発駅から数駅しか離れていなかったものの、すでに電車は多くの人で混雑しており、早くも圧倒された。

そして、電車が新宿に近づくに連れ、さらに多くの人が乗り込む。

しかし、それでも「耐えられない」という程ではなかった。

新宿で降りた後は山手線の内回りに乗り換える。

新宿駅では中央緩行線の千葉方面と山手線内回りが同一ホームになっているので、乗り換えは容易…

ではなかった。

その時は午前750分頃だったのだが、ちょうど通勤ラッシュのピークだったようで、それぞれの電車から降りた人でホームは凄いことになっていた。

そして、言葉にこそ出さないが「自分が生き残るために」と言わんばかりに、大勢の人が周りのことなど見向きもせずに直進している。

私は危険な目に遭いながらも、何とか山手線の電車に入ることが出来た。

それでも「これ以上は入りきれないだろう」というくらい電車の中はパンパンだ。

乗り換え前の電車は比ではないくらいに。

だが、本当に驚いたのはそこから先のこと。

すでに電車はギュウギュウの満員だったが、それでもお構いなしに人を押し込んででも乗り込んでくる(バカな)人が大勢いるのだ。

「こいつら、頭おかしいだろ!?」

そう叫びたくなったのは一度や二度ではない。

東日本大震災が起きた時、「どんなに苦しい時でも決して騒ぎを起こさず、順番を守り、周囲への配慮を欠かさない素晴らしいモラルを持った日本人」という言説が流行ったが、そこにはそんな気高き精神を持った人間などいなかった。

とてもではないが、私はこんな獣たちに混じって通勤することなど出来ない。

こうして、最優良候補地だった中央線某駅近辺に住むことは諦めることになった。

・本当の地獄

しかし、私は後々知った。

非常時はその時を上回る悪夢があるのだと。

東京に住んで1年が経ち、徐々にこちらでの暮らしにも慣れてきた頃、悲劇は起きた。

その日、私は新しい職場で働き始めてまだ数日だったため、余裕を持って家を出たが、駅で見た光景はカオスだった。

何と利用する路線の電車が車両トラブルを起こしてダイヤが大幅に乱れたため、やって来る電車の中は人・人・人だった。

当然、乗れるはずがないのだが、それでも漫画やアニメでも見ているかのように、人が必死にドアに体を挟まれないよう這いつくばりながら、乗り込もうとしている人もいる。

私には真似できないけど…

こうなったら、並走している別路線で途中駅まで行って、迂回して職場に向かうか…

そう思って、そちらのホームへ向かったが、私と同じ考えの人もいて普段以上にホームは混雑している。

その上、なかなか電車が来ない。

そんなモヤモヤした気持ちでいると、こんな案内放送が流れた。

「○○線は架線に異物が引っかかっているため、しばらくの間、運転を見合わせます」

「泣きっ面にハチ」とはまさにこのこと。

そうしているうちに、ますます人が増えてくる。

私は絶望的な気持ちになった。

これじゃあ、遅刻は確実である。

すると、ある考えが浮かんだ。

反対方向への電車は動いているのだから、逆方向へ数駅行って、そこから地下鉄に乗ればいいのでは?

私は数分前よりも人が増えたいつも使っている路線のホームへ向かい、パニック状態の人混みを潜り抜けて、反対方面の電車に乗り込んだ。

そちら側の電車は別世界と思うほど快適だった。

そして、地下鉄へ乗り換える。

こちらも、私と同じく迂回ルートとして使用している人が少なくないのか、かなり混んでいて、電車が発車する時は駅員さんが外から体を押し込んでいた。

それでも、始発駅だったため、一本見送ったら、無事座ることもでき、会社にも間に合った。

何とか会社に遅刻せずに並びに嫌な上司に怒られずに、済んだが、その時の悪夢は今でも忘れることが出来ない。

・素晴らしい人がいるからこそ醜い

満員電車に乗ることで体が疲弊することに加え、接触しても謝らずに完全無視で素通りするバカ、混雑の中でも歩きスマホがやめられない底辺、そして、周りのことなど気にせず「自分さえよければいい」という思いで無理にでも電車に乗り込むツラの皮が厚い人間(そもそも、あの獣を「人間」と呼んでいいのか?)の多さにはうんざりである。

だが、誤解して欲しくないのは東京で通勤通学をしている全員がそのようなモンスターというわけではなく、混雑する電車に無理やり乗り込んだり、駆け込み乗車をせずに、次の電車を待つ好青年(女性も含む)や紳士淑女も少なくないということ。

実際に、電車の中からホームを眺めていると、「目の前の電車に乗るためには死をも辞さず」というバカがいる一方で、そうではない素晴らしい人もたくさん見られる。

だからこそ、通勤ラッシュの光景が醜いと私は思うのである。

考えてみて欲しい。

駆け込み乗車をしたり、満員電車に無理やり乗り込むクズは一刻も早く会社に着くことが出来るが、それをやらない真人間は遅刻するリスクを負うことになる。

東京の都心部では電車一本遅らせることの時間差はそこまで大きくないのかもしれないが、電車を後ろにズラすことに比例して、遅延に巻き込まれるリスクは高まる。(たとえば、目的地の一駅前で、路線全体が不通になり、一本前の電車に乗っていたら、すでに目的に到着していた場合とか)

そんなことになれば、無理やり満員電車に乗り込むバカが得をし、乗り込まなかった真人間は会社から遅刻したことを責められることになる。

これを「正直者がバカを見る」と言わずに何と言えばいいのだろうか?

前回の記事でも取り上げたが、私はこの言葉が大嫌いである。

誠実で思いやりに満ちている人が報われるためにも、通勤地獄は断固として撲滅しなければならない。

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