最近、この本を読んだ。
パオロマッツァリ―ノ(著)春秋社
この本では主に昭和時代を中心にして(古いものでは明治時代のものもある)、仕事、通勤、住まい、趣味などの庶民の暮らしを面白い語り口で紹介する本である。
詳しいことを知りたい方はぜひともこの本を読んでもらいたいが、あとがきに面白いことが書いてあったので、ここではその一部を引用したいと思う。
『週刊読売』一九七一年一月七日号臨時増刊では、出世コースを走るエリート「マジメ人間」と、出世の道からはずれて最低限の昇給しかない「ズッコケ人間」を比較し、収益をはじき出しています。某銀行の給与システムで試算すると、マジメ人間とズッコケ人間とでは、生涯賃金に七五〇〇万円の差が生じるとのこと。
しかし記事では、モーレツに仕事に打ち込むマジメ人間は、報酬も多いが払う犠牲も大きいことを警告しています。ノイローゼやアルコール依存症に陥るマジメ人間が増えているとした上で、出世をあきらめてズッコケ社員になることを勧めています。会社の仕事は適当にやって、余ったエネルギーで自分の好きなことや金儲けのアルバイトをやって自分を取り戻せと、ずいぶんとアナーキーな檄を飛ばします。
こうしてみると、昭和時代のサラリーマンは全員が自分を犠牲にして会社のために働く企業戦士(悪く言えば「社畜」)であったかのようなイメージは間違いで、ゆるい生き方を選ぶことも可能だったことが分かる。
・モーレツ社員とズッコケ社員
それにしても、「モーレツ社員」と「ズッコケ社員」とはなかなか面白いネーミングである。
私はこれまで労働者に対して、頑張らずにいい加減に生きることを勧める記事を書いてきた。
こうして見ると、私は「モーレツ社員」などにならずに、「ズッコケ社員」になることを勧めていたのだと思う。
やせ我慢せずに他人に堂々と甘えるズッコケ社員になろう!!
その方がみんな幸せになれるから。
こんなことを言うと
「それは労働者にとって幸せなことかもしれないが、会社の方はたまったもんじゃない!!」
と怒り出す人が出てくるかもしれない。
だが、事実として、「モーレツ社員」の方が「ズッコケ社員」よりも職場にとってはマイナスになってしまうこともある。
・他人の休憩が許せないモーレツ(気取りの派遣)社員
これは私がかつて同僚から聞いたお話。
彼は野外で立ち仕事の肉体労働を行っていた。
ある日、彼の職場に派遣社員のAという人物が入ることになった。
Aは50代の男性で、これまでデスクワーク中心の仕事に従事していたため、最初の数日は立ち仕事にかなり苦労していたようだった。
彼を気遣った正社員たちは彼にこまめに休憩を取ることを促した。
彼はその厚意を受け取り、1時間おきに5分や10分などの小休止を取っていた。
彼らの上司はAにこんなことを言っていた。
「慣れないうちはこの程度の働きで十分である。無理はせずに続けてほしい」
私の同僚もこの意見に同意していた。
当時の職場では人手不足が深刻だったため、無理して仕事を続けられなくなることが職場にとっては大きな痛手となる。
それに比べたら、たかだか1時間に数分の休憩など大した問題ではない。
しかし、これに納得しない人物がいた。
Aと同じく派遣社員のBである。(ちなみにAとBは別の派遣会社からやって来ていたらしい)
BはAがこまめに休憩することが許せなかったようで、Aに対して「自分たち派遣社員は時給で働いているのだから、社員から休憩の指示がない限り、自分の判断で勝手に休憩に入ってはいけない」と強く注意していた。
その後、Aが自分の判断で休憩を取ることはなくなった。
だが、50代の彼がすぐに今までと違う仕事に適応することは難しい。
次第に彼の動きが悪くなってきた。
それを見た社員はAに疲れたら遠慮せずに休憩を取ることを勧めた。
それでも、AはBの言葉が忘れられなかったのか、それ以降も自分の判断で休憩を取ることはなかった。
BはAが自分より少しでも楽をしていることが許せなかったようで、全員で休憩を取った時でも、たまたまAが他の人より数分早く休憩に入った場合は
と執拗に責めていたらしい。
そんなことが数日続いていたのだが、ある日、Aが勤務中に体調を崩して早退させられるということがあった。
翌日は出勤したものの、次の出勤日は欠勤した。
そして、休み明けの日、Aの派遣会社から勤務先に連絡があった。
Aは
と言ったらしい。
結局、彼は1ヶ月も経たずに職場を去ることになった。
その結果、職場は以前と同じ人手不足状態に戻った。
その忙しさに比べたら、Aが1時間おきに取る休憩など大した問題ではなかったのだが…
社員たちはAに対して、
と残念がっていた。
しかし、彼の休憩を非難して、退職する原因を作ったBは
と他人事のような顔だった。
それを聞いた私の同僚はこう叫びたくなった。
お前がAを退職に追い込んだんだろうが!?
・はき違えた「会社のため!!」精神の方が会社にとって迷惑
繰り返しになるが、その職場は人手不足に悩まされていた。
だから、「自分に厳しいが仕事を続けられない人」よりも「周りに甘えてでも仕事を続ける人」の方が、会社としては好ましかった。
社員がAに対してこまめに休憩を取ることを勧めていたのは、Aの体調を気遣うだけでなく、「それが会社のためである」と分かった上での判断だったのかもしれない。
このように、労働者に厳しくすることが必ずしも職場のためになるとは限らないのである。
それよりも「周りに甘えてもいいから仕事を続けてくれる人(ズッコケ社員)」の方があの状況でははるかに会社のためになる人だった。
BはAが自分と同じ時給で働いているにも関わらず、自分とは違ってたびたび休憩することにひどく不公平感を持っていた。
彼がAに休憩を取らないことを要求したのは、決して会社のためではなく、私怨によるものだったのかもしれない。
念のために言っておくが、社員の人たちはAをえこひいきしていたわけではなく、Bに対してもこまめに休憩を取ることを勧めた。
だが、Bは「申し訳ない」、「気まずい」などと理由をつけて、自分から休憩を取ることは一度もなかった。
Bが一人でやせ我慢をするだけなら、最悪の場合でも自業自得の自己責任ということで済む。
しかし、Bは自分と同じ立場であるAが頻繁に休憩をすることが許せないと思い、彼にも同じ苦しみを強要した。
その結果、Aは人生を狂わされたかもしれない。
Bのような(一見したところ)企業に従順な従業員のことを「社畜」とか「意識高い系」とか呼んで蔑む人もいるが、彼のやっていることはウザいだのキモいだのというような次元を超えて実害を出している。
しかも、皮肉なことに、それは会社の不利益にもなっている。
凶悪事件の犯人が「人生どうでもよくなった。社会に復讐したかった。死のうと思って、誰かを道連れにしたかった」と供述した時の常套句
「死にたいのならお前一人で勝手に死ね!!」
をそのまま適用したい所である。
なんだか、この記事で取り上げた、はき違えた強さ「奴隷の鎖自慢」と似た感じがする。
はたして、Bの行動は「会社のため」と言えるのか?
この記事を読んだ人の大半は決してそんなふうに思わないだろう。
それではBのような人のことを何と呼ぶのだろうか?
正解は
ただのバカである。
このような、はき違えた厳しさ(「会社のため!!」精神)の方がよっぽど会社にとって迷惑なのである。
ちなみに、Bは平成生まれの(当時)20代だった。
そのため、モーレツ社員のことを「老害」とか「昭和脳」とか呼んで蔑む人もいるが、それは正しい批判であるとは言えない。
Bほど極端ではないにせよ、他人の厚意を素直に受け取ることができない人は、彼のような人物に後ろ指を指されることが怖いのだと私は思う。
だが、自分とは違う働き方を見て「不公平だ!!」と憤慨する人間は、実のところそうは多くない。
意外と世の中そこまで捨てたものではなく、「無理をして体調を崩して退職する方が悲しい」と思われることの方が多い気がする。
だから、会社の人の厚意を受け取るのは、自分のためだけではなく、相手のためにもなることを考えてみよう。
決して「モーレツ社員」のようになることだけが、会社の役に立つことではない。