毎年8月中旬を過ぎると、「暑さのピークは越えたのではないか」と感じる。
気象学的にも、お盆の頃が一年で最も暑さの極みにあたり、その後は少しずつ気温が下がっていくのが一般的だという。
実際に太陽の高さは既に夏至の頃より低くなっており、日照時間も着実に短くなっている。
真夏の名残のような厳しい日差しは続くものの、空の色や風の匂いに、わずかながら秋の気配が混ざり始める。
そうした変化に気づくと、「夏が終わりに近づいている」と身体の奥で感じ取り、どこかホッとするのだ。
もっとも、私にとって「お盆を過ぎるとホッとする」という感覚には、単なる気温の問題だけではなく、かつての生活の記憶が強く影を落としている。
・10年前の悪夢
20代前半から中盤の頃、私は職を転々としていたのだが、夏場は地元のスーパーで働くことが多かった。
私の地元は車がないと生活できないような田舎であり、普段は店内も閑散としていた。
それでもお盆になると、帰省した人々や親戚の集まりの買い物客で店はごった返した。
普段の週末の混雑など比べものにならない。
駐車場には次々と車が入ってきて、店内は買い物かごを持った人であふれ返る。
お盆の料理やお供えに使うのか、普段は見向きもされない野菜も飛ぶように売れる。
朝に山のように積んだはずの商品が、昼を待たずに半分以下になってしまう。
気づけば段ボールを抱えてバックヤードと売り場を何往復もしていた。
店内は冷房が効いているとはいえ、ひたすら作業に追われていると、疲労感に襲われていた。
一方で、目の前の買い物客たちは、休みを満喫している様子だった。
久しぶりに会った親戚と楽しそうに話す人、孫を連れた祖父母、両手いっぱいにご馳走の材料を抱える家族連れ。
皆それぞれに笑顔で、「これも買っておこう」、「せっかくだから奮発しよう」と賑やかに商品を選んでいた。
ただ、これくらいだと、まだ忙しさに追われるくらいの感覚である。
10年前の夏に働いていた店は、そんな生易しいものではなかった。
職場についての詳しい様子はこの記事に書いた通りで、ディスカウントストアにテナントとして出店する個人経営の八百屋である。
当初こそ穏やかのスタートだったが、2ヶ月程で店長は本性を現し、自分は全く仕事をせずに他のテナントの従業員や常連客とお喋りに興じ、私に売り場の全仕事を押し付け、「品揃えが悪い!!」「スピードが遅い!!」などと文句を垂れるクズ野郎だった。
扱う商品は大手のスーパーが買わないような品ばかりで、それを安値で仕入れて、使えるものだけを格安で販売していた。
当然、安かろう悪かろうである。
まあ、その方が格安のディスカウントストアに相応しいのだが、そんな事情を分からない客は、世間で名の通ったスーパー並みの品質を期待し、粗悪品が売られているとは夢にも思っていないため、商品の状態を詳しく確認しないまま購入し、後からクレームが入るのである。
もちろん、店内で不良品が見つかって、怒鳴られることになるのは私である。
それだけにとどまらず、多くの客は私をこのディスカウントストアの店員と勘違いして、全然お門違いの商品の売り場を訊ねてくる。
私は彼らをディスカウントストアの店員に引き継がないといけないのだが、この店には、とにかく売り場に人がいない。
彼らは無線やトランシーバーで連絡を取り合っていたため、「少ない人数でも平気」と平気な顔をしているが、テナントの従業員である私はそんなものはない。
そして、「担当者を呼んでくるからここで待て」と言ったにも関わらず、私が店員を呼びに行くと、客はプラプラとどこかへ出かけ、再度そいつを見つけるために店内を探し回らないといけない。
その他にも、店長から「退勤15分前に試食品を用意するように」と言われ、その指示に従ったものの、退勤5分前に確認したらすべて食いつくされていたため、残業して再度用意しなければならないこともあった。
私は売り場にいたため客入りについて把握しており、そこまで多くの出入りはなかったことから、おそらく少人数ですべて食べたのだろう。
まさに、「安売り店に相応しく民度の低さ」と呼べる客ばかりだった。
このように上司、客、店と揃いも揃って邪魔ばかりされたので、日々鬱憤が溜まっており、それがピークとなるお盆休みは噴火寸前だった。
さすがに、ここまで酷い経験はこの年以外になかったが、その時の記憶が強烈に残っており、後も「今年もお盆はあの時の悪夢が…」と身構えてしまうようになった、
・環境は変わっても気持ちは同じ
その後、私は転職し、今では事務職としてカレンダー通りの勤務をしている。
お盆休みは繁忙期ではなく、休暇として過ごせるようになった。
周囲と同じように休みを取り、家でゆっくりしたり、ちょっと出かけたりできるようになった。
以前のように、買い物客の笑顔を鬱陶しいと思うことはもうない。
それでも、私の中には「お盆を過ぎるとホッとする」という感覚が強く残っている。
暑さのピークが過ぎたという自然の変化もあるが、それ以上に、かつての仕事の記憶が身体に刻み込まれているのだと思う。
忙しさと底辺客に追われ、汗まみれで働いていたあの日々が、今となっては懐かしくもあるが、やはり二度と戻りたくはない。
お盆が終わると自然に肩の力が抜け、気持ちが楽になるのは、その頃の名残なのだろう。
今の私は冷房の効いた部屋でゆったりと過ごしながら、外の残暑を眺めることができる。
仕事が休みであるありがたさを感じつつ、ふと窓の外から虫の声が聞こえると、「夏も終盤に差しかかっている」と実感する。
かつてのような忙しさはなくても、お盆を境にした季節の変わり目には、昔と同じように安堵を覚える。
お盆が終わると、確かに暑さは和らぎ始める。
だが私にとっては、お盆が過ぎると心の底から安堵し、「ああ、やっとこの夏の峠を越えた」という感覚が強く残っている。
年末年始やゴールデンウィークといった連休明けはダルさを感じながら日常生活を送っているが、お盆明けはそれが一切ない。
お盆を過ぎるとホッとする。
これは気温の変化だけではなく、人生のある時期に体験した労働の記憶と結びついた、私なりの季節感なのだ。