「いい一年だった」のかどうかは年末の過ごし方で決まることが多い

・「暖かい冬」と「寒い冬」

年末と呼ぶにはまだ早いが、そろそろ今年一年を振り返っている人も増えてきていることだろう。

今年は「いい一年だった」だろうか、それとも「悪い一年」だったか?

しかし、一年を通して「いい年だった?」、それとも「悪い年だったか?」と冷静に評価することは意外と難しい。

少なくとも、私の場合は、一年を評価する時は「いい年末を迎えられるか」によってかなりバイアスがかかる。

実はかつて、毎年一年を振り返る際に「今年はいい年だった」と思いながら迎える年末を「暖かい冬」、逆に「今年はひどい年だった」と嘆きながら迎える年末を「寒い冬」(冬は寒くて当然なのだが)と呼んでいた。

だが、最近になって、それは全くあべこべであり、たまたま年末をいい状態、つまり「暖かい冬」で迎えることができたら、その年は「いい一年だった」と振り返り、「寒い冬」で迎えたら「悪い一年だった」と感じるのではないかと思うようになった。

・最後の1ヶ月で最悪だった年が良い終わり方をする

たとえば、前々回の記事で、2014年の年末は英語の勉強が大きく進展して、未来への希望を感じていたというようなことを書いたが、実はその年は私の20代の中でもワースト12位を争うほどの不甲斐ない一年だった。

前年の2013年は「日本の会社で働くのが嫌だから留学でもするか」と思って資金稼ぎのためのバイトをしていたのだが、その職場で働く自信を取り戻した私は「英語もろくに話せないのに、無理して海外へ行く必要などない」と思い直して、日本に留まることにした。

ただし、いつまでも親元にいるわけにはいかない。

それに維持費のかかる車が必要ない生活をしたかった。

そう思って、翌2014年は都会へ働きに出たのだが、およそ7ヶ月の滞在でまともに働いたのは短期派遣の1ヶ月間だけで、それ以外の時は単発の派遣をしながら求職活動をしていた。(当時の様子はこの記事にも書いている)

そして、派遣の仕事に応募するために登録会へ参加すると、その仕事はすでに募集を終了しており、同じような条件で別の仕事を探してもらったところ、皮肉にも実家の近く仕事を紹介され、結局、そこで働くために実家へ帰ることにした。

しかも、その仕事場は家から徒歩15分程度の場所であった。

「車がなくても生活できる場所で働きたい」と思って実家を出たのに、なんで都会では見つけることができなかった徒歩圏の仕事が、地元にあるんだ!?

これでは何のために高い引っ越し費用を払って都会へ出たのやら…

工場の仕事は正社員と派遣社員の垣根が高い。

休憩所もロッカーも別の場所で完全に隔離されている。

私は社員の人の名前は数人しか知らないし、社員も私のことを名前で呼ぶ人は数人しかいなかった。

こんな感じだったので、その職場を自分の居場所だと感じたことは一度もなかった。(この職場の詳しい様子はこちら

当時の願い事はたった一つ。

1年前に戻りたい…

情けない話だが、2014年は私にとって、このようなひどい年だった。

それでも最後の1ヶ月で英語の勉強が一気に進歩したので、それだけでもいい年の終わり方をした気がした。

また、21歳の時はこの記事で取り上げた通り、友人と1年以上音信不通になった上に、突然仕事をクビになって、挙句の果てに夜逃げまで考えるなど辛い年だったが、12月になって、新しい仕事に就くことができ、その職場は(当時は)アットホームな環境だったため、その年はいい思い出と共に終えることができた。

・悪い年末はいい思い出もかき消してしまう

逆に、充実した一年を過ごしても、嫌な気持ちで年末を迎えてしまうと、あたかも「今年はいい年ではなかったな…」と感じることがある。

たとえば、私が22歳になった年は、ハローワークを通じて初めて自分で探した職場で働いていたし、その後は、数ヶ月の短期間ではあったが、初めて親元を離れて仕事をし、都会の生活もそれなりに経験できた。(その時の職場が登場する記事はこちら

その年の前半はそのような充実した時間を過ごしたため、自分の世界が広がり、大きく飛躍した気がした。

のだが、その仕事を終えた後に就いた仕事が、今でも最悪だと思っているこの職場だった。

そして、その仕事を3ヶ月で退職し、無職で年末を迎えてしまったため、前半のいい思い出はすっかり記憶から遠ざかってしまい、「寒い冬」となってしまった。

その他にも「順調な1年だった」と思えた年の大晦日の夜に家族と些細なことで大喧嘩したせいで、未だにその年はその記憶に縛られている年もある。

今年(2019年)の年末は「暖かい冬」なのか、それとも「寒い冬」なのか?

それはまだわからない。

その結果は残りの二週間の頑張りにかかっている。

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