カッとなって人や物に八つ当たりしたくなった時に思い出すべき言葉

10日ほど前にネットのニュースの見出しで気になる情報を目にした。

そのニュースを読んだ時は唖然としたが、そこから徐々に私自身の過去の黒歴史を思い出すことになった。

・物に当たってケガをした野球選手たち

そのニュースとはこちらである。

【西武】森友哉の骨折はロッカールームでのマスク投げが起因「許されることじゃない」辻監督 – プロ野球 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

骨折で抹消の西武・森 2日の途中交代後、ロッカーでのアクシデントで負傷 辻監督「2カ月ぐらいかかるんじゃないか」|【西日本スポーツ】 (nishinippon.co.jp)

“憂さ晴らし骨折”の西武・森友哉 5年前には手術回避で復帰大幅遅れの「前科」(東スポWeb) – Yahoo!ニュース

野球に詳しくない人向けに概要を説明すると、

・埼玉西武ライオンズの森友哉選手が先発出場していた42日のロッテ対の試合で途中交代する。

・交代後、憂さ晴らしのためか、ロッカーで防具を投げつけたことが原因で指を骨折。

・復帰まで全治2ヶ月の見込みで、翌日に出場選手登録を抹消される。

・この件に関して、辻発彦監督は「試合中の負傷はつきもの。それは仕方ないと思うけど、ロッカーでの出来事となれば、それはしっかり考え直さないと。それはチームとして許されることではないからね」と苦言を呈する。

今回の原因は自身のプレーに対して腹を立てたのか、途中交代させられたことが不服だったのかは不明だが、プロ野球選手がプレー以外の場面で物に当たり怪我をすることは過去にも何度かあった。

同じ出来事を扱っている別の記事には、過去に起きたプレー以外での負傷者が載っていた。

西武・森友哉がマスク投げつけ骨折 過去のプレー外の負傷 冷蔵庫殴打、叩きつけたバットで骨折(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

その記事の内容を引用してみよう。

 ☆阪神・フィルダー 89914日の巨人戦で三振後、バットを叩きつけたが、はね返って小指に直撃し、右手第5中手骨骨折。全治1カ月。

 ☆ロッテ・伊良部 95412日の西武戦は82失点も援護なく敗戦。宿舎へ帰るバスを降りた後に何かを蹴り、左足打撲捻挫で全治5日。

 ☆西武・豊田 03924日のロッテ戦で1点リードの9回に登板も、追い付かれて降板。ベンチのクーラーボックスのガラスを右手で叩き割り、右手甲を3針縫う裂傷。

 ☆ダイエー(現ソフトバンク)・杉内 0461日のロッテ戦で27失点でKOされ、味方の制止を振り切りベンチのいすを殴打。「両手の第5中手骨骨折」の重傷を負った。

 ☆DeNA・パットン 1983日の巨人戦で8回に登板し2失点で追い付かれた。降板後、ベンチの冷蔵庫を右、左、右と3発殴打。右第5中手手根関節脱臼骨折と診断され患部の整復手術のため米国へ帰国した。

 ☆日本ハム・中田 2147日のソフトバンク戦の5回に空振り三振後、ベンチ内でバットを叩きつけ破壊。その後にベンチ裏で転倒して右目付近を強打し途中交代。翌8日に右目を大きく腫らした姿で球場に姿を現し試合も欠場した。

これらはあくまでも、結果的に負傷した選手の一覧であり、怪我こそしなかったものの、自身のプレーに激怒して物に当たっている選手は目撃することは多々ある。

スポーツをやっている時は自然と熱くなるし、それぞれ事情もあるのだろうが、体が資本のスポーツ選手が物に当たって怪我をするなど言語道断であるし、そもそも「いい歳をした大人が物に八つ当たりする(しかも多くは商売道具に)ことは褒められることではない」

と、言いたいところだが、過去の黒歴史を告白すると昔の私も同じようなことをやっていた。

しかも、幼稚園児や小学生のような幼い年齢の時だけでなく、成人して何年も経った後にも…

というわけで、当時の様子を知る人が、私の先の発言を聞いたら、間髪入れず「お前が言うな!」とツッコミを入れるだろう。

・私が物に当たっていた理由

かつての私はどんな時に物に当たることが多かったのか?

先ず、場所についてはほぼ100%自宅である。

学校や職場で人に怒りをぶつけることはもちろん、物を壊したことは一度もない。

次にどんな時に暴れていたのか?

最初に確認しておきたいが、私は「ストレスを発散(解消)するために物を壊したい」と思ったことは一度もない。

そのため、物を壊してスッキリした経験は一度もない。

これは綺麗事ではなく、真面目な話である。

それではどんな時に暴れていたのか?

それは・・・

「悔しい思いを表現したい時」

である。

野球の世界に限らず、昔は今よりも、暴力や暴言、器物損壊に甘く、人やモノに当たったり、暴れ回ることが「それだけ悔しい思いをしている」と思われている時代で、恥ずかしながら私もその潮流に乗っていた。

前段で引用した過去に暴れて怪我をした選手たちも同じような動機だったのではないだろうか?

私は特にスポーツをしていないが、それでも何か怒りをぶつけたいと思うほど腹が立つ出来事は何度も経験した。

子どもの時であれば、遊ぶ約束をすっぽかされたり、楽しみにしていた夕食のメニューが突然変更になったりと、今思うと「そんなことで…」と感じることだったが、当時の私は大真面目に腹を立てていた。

大人になってからは主に仕事に関することである。

ただし、これは「仕事で嫌なことがあった時」ではない。

繰り返しになるが、日頃のストレスを発散するために暴れたことはない。

そもそも、この件以降は仕事に関して「自分が悪い」と思ったことはない。

私が仕事関係で暴れたいと感じたのは就職活動が上手くいかなかった時である。

しかも、非正規の仕事に落ちた続けた時は堪らなく腹が立った。

アルバイトなのに高望みし過ぎだったり(そもそも何でアルバイトの採用に書類選考なんてあるんだよ)、派遣社員であれば違法と思われる派遣先による事前面接(※:紹介予定派遣を除く)や、複数候補者からの選別、それから年齢や性別のような努力では解決できない属性を理由にした不採用など理不尽な扱いを受けた時は何かに怒りをぶつけたかった。

その上、人には偉そうな顔で時間厳守のような社会人としての常識を要求しておきながら、自分は返事の期限を守らなかったり、最悪は放置し続けるずうずうしさも不愉快だった。

面接に落ち続けていた時はその「ないがしろ(バカ)にされている感」がとにかく許せなかった。

「この野郎、人のことを舐めやがって!!」

そんな怒りである。

そんな時、私がよくやっていたことは…

この場でそれを堂々と公表したら後々問題になりそうなので、詳細はお答えできません。

・怒りを向けるべき相手

さて、そんな若かりし頃を過ごしていた私だったが、さすがに30を超えた今では、怒りを表すために物に当たったり、暴れ回ることはなくなった。

そのような振る舞いをやめようと決心したエピソードがあるわけではなく、いつからそうなったのかはハッキリと分からないが、その理由は2つあると思っている。

まずひとつ目は周囲への諦念の気持ちが芽生えたから。

今の私は一人暮らしをしている。

そのため、「悔しさを分かってほしい!」と思って物に当たっても、気付いてくれる人は誰もいない。

その上、自分で後片付けをしなければならない。

それじゃあ、暴れる意味ないじゃん?

それに加えて、これまでの経験から、面接で人間性を判断しているつもりのバカ共の目など全く当てにならないことや、世の中は意外と下らない理由で動いていることも知った。

その度に、一々怒っていては疲れるだけではないか?

だって、バカ相手ですから。

ただ誤解して欲しくないのは、私は別に理不尽なことに対して、「耐えろ」とか「泣き寝入りしろ」と言って、黙って受け入れることを勧めているわけではない。

悪事を許さず、徹底的に戦うという姿勢は多いに結構である。

だが、物に当たることがその手段なのか?

そんな場面で出てくるのがこの言葉である。

「戦うべき相手が違う」

この言葉を覚えたことが、私が物に当たらなくなった二つ目の理由だと思っている。

物に当たる時の代表的な行為は壁に穴をあけるとか、机をひっくり返すとか、食器を叩き割るといったことだが、家にせよ、家具にせよ、身の回りの物は自分を助けてくれるもの、つまり味方ではないのか?

そのような物に筋違いの怒りをぶつけておいて、いざとなったら「守ってもらおう」と考えるのは虫が良すぎではないだろうか?

元大物プロ野球選手が、YouTubeで自身の(18または19歳の時の)新人時代の経験を話していたことがある。

ある日の試合中、自身の結果に腹を立ててヘルメットを叩きつけたら、普段は寡黙なベテラン選手から裏に呼び出されてこんなことを言われたらしい。

「お前な、このヘルメットが自分の頭を守ってくれるんだろ!?」

「そのヘルメットを地面に叩きつけるってどういうことだ!?」

(そのシーンはこちら

彼はそれ以来、引退するまで同じヘルメットを大切に使い続けた。

私も若い時にこのようなことを教えてくれる人と出会っていたら、もっと早く、物に当たることをやめていたのかもしれない。

今回取り上げたのは、物に当たることであったが、同様の理由から他人に怒りをぶつける人も珍しくない。

しかし、それだって、八つ当たりの対象は自分の味方であることが多い。

そのような理不尽なことをしておきながら、「いざとなった時は助けてもらおう」と考えるのは都合が良過ぎである。

それに、仲間から叩かれて、「この人のために頑張ろう!!」と思う人などいるはずがない。

「戦うべき相手が違う」

もしも、心の闇に飲み込まれそうになったら、すぐにこの言葉を思い出して欲しい。

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