昨日(6/21)は1年のうちで最も昼が長い日である夏至だった。
太陽は最も高く昇り、朝は早く、夕暮れもなかなか訪れない。
東京では昼の長さが14時間を超えた。
文字に起こすと、壮大な出来事に思えるが、日常の中で夏至を意識することはそう多くなく、「ああ、そうだね~」くらいにしか思わない人が大半だろう。
しかし、私は子どもの頃から、毎年、夏至が訪れる度に不思議な感情を抱いていた。
・夏至を知った時の素朴な疑問
はっきりと憶えていないが、私が「夏至」という概念を知ったのは、幼稚園へ通っていた頃か、小学校低学年の時だった。
「今が一番昼が長い」と聞いた時、「ということは、明日からはどんどんお昼の時間が短くなるのだろう」と思った。
それは至って当たり前のことである。
しかし、同時に私は得体の知れない不安を感じた。
夏至は6月であり、これから夏本番がやって来る。
にもかかわらず、昼の長さはこの日がピークで、あとは短くなる一方なのだ。
最も暑い季節である8月にこそ、一年で最も太陽が顔を出す時間が長い日がありそうな気がするのだが…
7月に入ると、気温はどんどん上がって、セミが鳴き始め、海やプールや花火や祭りがやって来る。
短い言葉で表現すると「活動的でワクワクする季節」なのだ。
少なくとも、子ども時代の私にとっては…
だが、そんな楽しいイベントが待っている期待と反比例するように、太陽が照らす時間は、毎日下り坂に入っている。
これから暑くなるというのに、12月の冬至にかけて、昼間の時間が減っていく日々が続く。
この自然現象に対して、何とも言えない、不思議な気持ちを感じる。
・夏至と暑さのピークが一致しない理由
そんな不思議な気持ちを抱えながら四半世紀を生きていたのだが、大人になって知人にその話をすると、それは「季節のタイムラグ」であると教えてくれた。
つまり、夏至の頃が一番太陽が高く、日差しが強いのだが、地面や海や空気はすぐには温まらないらしい。
太陽のエネルギーをじわじわとため込んでいって、その蓄積がピークになるのが、7月の終わりから8月なのだそう。
これにより、最も日が長くなる日から1ヶ月半~2ヶ月遅れで、気温もピークを向かえるのだと。
これは夏の砂浜で例えると分かりやすい。
太陽が真上に来るのは昼の12時頃だが、砂浜が一番熱くなるのは午後2時~3時だったりする。
こういうのを「熱の慣性」と呼び、夏至からしばらく経った後で、最も暑い時期を迎えるのも、それと同じ現象らしい。
ちなみに、同じようなことが、冬至でも起きるのだそうだ。
冬至は12月の下旬で、一年の中で最も昼が短く、夜が長い。
でも、実際に寒さのピークが来るのは、1月の終わりから2月にかけてだ。
これもやっぱり、地面や海が冷えきるまでに時間がかかるからだそう。
太陽の光が戻り始めても、地球はすぐには暖かくならないのだとか。
「季節」というのはいつも「太陽の数ヶ月遅れでやってくる」ものなのかもしれない。
・消える間近の線香花火の輝き?
その話を聞いたことで、取りあえず、一年で最も太陽が顔を見せる時間が長い日と、最も暑い日に数ヶ月の差があることは納得した。
科学の知識として、それらの説明は確かに理解できる。
それでもやっぱり、子どもの頃から感じている胸の奥の不思議な感情は消えない。
夏の夜の思い出である線香花火。
最後の火花が一番強く光って、その次の瞬間には「ぽとり」と落ちる。
夏至を過ぎてやって来る楽しい夏のイベントも、それとよく似ている。
夏がやって来ることを実感するあの楽しいイベントも、実はどんどん日が短くなってくる中の出来事だと思うと、消える前の線香花火のように切なく、儚い輝きのように感じる。
太陽が最も高く、昼が最も長く、世界が一番明るく見えるあの瞬間が、実はもう終わりへ向かっている。
子どもの頃に感じたあの感情は、間違いなく今でも私の中に残っている。
お祭りも、花火大会も、おじいちゃんとおばあちゃんの家への家族旅行もなくなってしまった今の私には、そうした想いを馳せることが、夏という季節をいっそう感じさせるのである。