子どもの時以来、久しぶりに映画ドラえもんを改めて観て感じたこと

前回の記事の最終盤に触れた通り、今年のゴールデンウィークは帰省も旅行もせずに自宅で過ごしていた。

そこでは主に、ダラダラとネットで動画を視聴していた。

前回の記事に登場した「キッズ・ウォー」や「温泉へ行こう」のような昼ドラ系も観たものの、メインは映画ドラえもんだった。

私が契約しているサイトでは、2ヶ月ほど前から見放題になっていたのだ。

・冒険の後の別れ

この記事に書いたように、私は寂しさを紛らわせるために、上京時は自宅に撮りためていた映画ドラえもんを持ってきたため、今回は主にそれ以外の作品を視聴していた。

作品によっては私が小学生だった時以来、20数年ぶりに観るということもあって、ストーリーは知っているものの、当時は何とも思わなかったシーンにも感情移入することになった。

その中で何とも言えない気持ちになったのは、別れのシーンである。

ドラえもん一行が冒険の舞台となった世界を去る際に、共に困難に立ち向かい友情を深めたゲストキャラクターたちと挨拶をして、涙を流しながら別れるシーンはどの作品でも見られ(鉄人兵団や、夢幻三剣士のような例外もある)、「映画の最後はこういうもの」と誰しも納得している。

当然、私も別れのシーン自体には今まで何の疑念も持つことはなかった。

だが、よくよく見ると別れ方には2つのパターンが存在していた。

ひとつ目は「さよなら、また来るよ!!」という別れ方。

これは、タイムマシンやどこでもドアを含めて、異世界と繋がるルートが存在しているため、「行こう」と思ったら、お互いに自由に行き来することが可能な場合。

特に、宇宙小戦争や、ドラビアンナイトはエンディングで冒険後に再訪する様子が描かれている。

別れ方はこちらの方が圧倒的に多い。

そして、もう一つは時空の乱れによってのび太の家と異世界が繋がっていたが、乱れが解消されたことにより、二度と会えなくなる別れ方。

こちらは、宇宙開拓史や、太陽王伝説が該当する。

同じ異世界の友人たちとの別れであっても、こちらは「もう会えない…」と分かっているため、ひと際、別れがつらくなる。

前者は主題歌「心ゆらして」が流れる中、思い出のシーンが回想されるように登場し、徐々に「さよなら」と手を振っているコーヤコーヤ星の人々が遠く離れて行き、最後は完全に立ち消えて、元の床下に戻る。

後者はドラえもんが、もうここには来られない可能性が高いことと、早く行かないと元の世界に帰れなくなることを告げ、のび太はティオと直接お別れを言えないものの、「もう会えないかもしれないけど、君のことはずっと忘れない」と心境を語り、涙を流しながら、急いでタイムホールを駆け抜ける。

子どもの時は何も感じなかったが、どちらも、平常心を保てなくなるようなシーンである。

・帰るべき場所

異世界で冒険を共にした友人たちと永遠に別れることはつらい。

しかし、私の心に深く突き刺さったのは、ドラえもん一行の面々には、友人たちと永遠に別れることになったとしても、帰るべき世界があるということである。

異世界の危機を救った彼らは、そこでは英雄として称えられている。

だが、そこがどんなに居心地の良い世界だとしても、彼らは「二度と帰ることが出来ない」と分かったら、彼らは迷わず元の世界に帰ることを選ぶ。

自由に行き来できる場合もそうだが、エンディングでは、冒険が終わって、元の世界に帰り、これまでと同じ平和な日常シーンが流れる。

その時は「ホッとした」という一言では表せない安堵感に包まれる。

そんな感情に浸れるからこそ、彼らは異世界での英雄的地位を捨てても、友人たちと永遠に別れることになっても、元の世界に戻るのだろう。

私は彼らに感情移入しているものの、今の自分に同じような帰るべき世界があるのか疑問に思った。

東京には5年以上住んでいるが、「ここが自分の居場所」だと思ったことは一度もないし、永住するつもりもない。

未婚な上に、恋人も友達もいない。

悲しいことだけど…(笑)

だからといって、この記事で想像した世界のような温かい地元などない。

思い返せば、子どもの時はドラえもん一行と同じように、安心して帰ることが出来る家族や地元があったため、大変恵まれていたのだと今になっては思う。

ちなみに、昨年の年末に帰省した際は、前回の記事も含めて、このブログに度々登場しているマサル(仮名)とは別の元同級生と食事を共にすることになった。

彼の話によると、地元で暮らす小中学校時代の同級生の多くはすでに結婚していた。(※:ここでは同じ町ではなく、県内までを「地元」と呼ぶ)

この記事では、「高校卒業後も地元に残った学生時代の同級生は、女性は20代で結婚している者も多いが、男性は未婚のことが多い」と書いたが、さすがに30代ともなると、結婚している人は多いようである。

彼らはきっと、子どもの頃の私と同じで、今でも地元が帰るべき場所なのだろう。

地元から遠く離れた東京で独身生活を送っている30代の私としては、今後の人生についても大いに考えさせられた。

・エリート集団に所属するのはそんなに良きものか?

映画ドラえもんを観て感じたことがもう一つあった。

それは「翼の勇者たち」を観ていた時のことである。

渡り鳥が正規のルートから離れないよう監視したり、人間の攻撃から保護する「渡り鳥パトロール隊」と呼ばれる集団が登場し、物語の展開にも大きくかかわってくる。

物語の舞台となるバードピアでは、この隊はエリート集団として認識され、入隊は大変名誉のことだとみなされる。

入隊テストとして、「イカロスレース」と呼ばれる過酷なレースが行われ、入隊を熱望するゲストキャラクターのグースケはこのレースで見事1位になるが、どす黒い悪役たちの陰謀により不合格とされて落ち込む。

それでも、彼は翌年のテストに合格したのか、エンディングにはパトロール隊の制服を着た姿で登場している。

また、彼の弟との別れを惜しむスネ夫が「お前も早く大きくなって、渡り鳥パトロール隊に入って、また会おうな」と言ったことから、この隊に入れた者は誰もが幸せになれるかのように描かれている。

だが、私は天邪鬼な性格のためか、こんなことを思うのである。

「渡り鳥パトロール隊へ入ることが、そんなに羨ましいことなのか?」

たしかにパトロール隊は、多くの渡り鳥の命を守るという大変立派な任務を果たしているが、上層部は世界征服を企むジーグリードや、彼のイエスマンであるバビロン隊長であり、こんな腹の底まで腐り切った連中に牛耳られている組織なのである。

当然、入隊したら、彼らゲス共の命令に服さなければならない。

実際に彼らはフェニキアの封印解除というジーグリードの私的な野望のために動員されていた。

もう一度聞く。

「その仕事って、そんなに羨ましいか?」

また、エリート集団に所属することになると、それまで当たり前だった自由も失う。

イカロスレースに完走したジャイアンとスネ夫は入隊し、レースに参加しなかったり、リタイアしたドラえもんやのび太たちの前に、制服姿で登場し「俺たち明日から出動するんだ!!」と誇らしげに告げる。

「観光ビザで入国した外国籍の人間(厳密に言えば、彼らは不法入国の上、逮捕後の脱走まで行っている身)が国家公務員として採用されているような光景に違和感を持たない者はいるのか?」というツッコミは置いておくとして、私には、エリート部隊の制服を着て活動する彼らよりも、今まで通り、在野で自由に活動出来るのび太やグースケの方がよっぽど輝いて見えた。

実際に、彼らはフェニキアとの戦いに向けて、監獄島に閉じこもっていた伝説の鳥人イカロスに協力を仰いだのだが、そうした活動もパトロール隊に所属しなかったからこそ出来たのだ。

そのような、しがらみのない自由の立場で、のびのびと戦える姿がドラえもん一行の魅力だと思っている。

思い返せば、それは小学生の時にリアルタイムで観た時も同じ気持ちだったし、普段の生活でも自由を愛していた。

決して、学級内で孤立していたわけではないので、昼休みに遊びに誘ってもらうことも多かったが、最初は楽しくても、人が増えるにつれて、様々なしがらみも生まれるため、グループから抜けた時はホッとした。

だって、自由にやりたいことをやれるから。

そんな性格なので、塾や習い事、部活動は尊い自由を奪い、拘束するものという認識で避けていたし、友人がそれらの活動を始めたことで、付き合いが減った時は寂しく感じた。

私には、名誉も、肩書も、スキルアップも要らない。

自由に楽しくやりたいことをやれれば。

それは30代で非正規の仕事をしていることから、今も変わらないのかもしれない。

嫌な仕事はすぐに辞めるし…

私はドラえもんの声優が大山のぶ代だった頃の世代である。

彼女をはじめ、声優の一斉変更が行われたのが2005年だから、私が観ていたのはどれも20年以上前の作品であり、記事の中に登場した「宇宙開拓史」に至っては1981年放映の40年以上前の作品ということになる。

そんな昔に作られた子ども向けの映画が、30歳を過ぎた大の大人の心を動かすのだから、やはり映画ドラえもんの持つ力は計り知れない。

物語の登場人物の年代や、自身が初めて観た時のこともあるが、私も20年以上前の小学生の頃に引き戻された気分だった。

当時から、変わってしまったものもあれば、変わらないものもある。

今の自分は、あの時の自分に胸を張れる人間になっているのだろうか…

それを聞かれると、自信を持って「はい」とは言えないけど…

次回は、私が今回の視聴でより一層、ドラえもんたちに感情移入することになったきっかけを話させてもらいたい。

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