子どもの時の性格は大人になっても変わらないものなんだろうか?

現在のマイブームはルパン三世の動画を見ることである。

私が契約しているネット動画では、数多くの作品が見放題なのだが、一部は今月末までの公開なので、今はペースを上げて視聴している。

この記事で紹介した通り、私はルパン三世が好きで、「ルパン一見のような付き合いが出来る仲間がいたらなあ…」と思っていた。

残念ながら、そのような仲間はいないが…

・あの人に似ている!?

このようにルパン三世の登場人物に憧れていたわけだが、昨年働いていた会社の上司にこんなことを言われたことがある。

上司:「他所の部署の人が、早川さんって、言葉は少ないけど、ルパンの銭形警部に似ているって言っていたよ」

これは顧客から他部署の業務に関する問い合わせがあった時に、他部署を3ヶ所ほどかけずり回ったことから来ているようである。

本来であれば、そのような依頼の場合、担当窓口の連絡先を伝えて、そちらに直に問い合わせするよう促し「後は知らん」という対応がデフォルトだったのだが、私は販売業に就いていた時の経験から、そのような対応に心苦しさを感じてしまい、他部署の担当者を探して顧客へ繋げる所までやっていた。

元々そうしていたが、さすがに3つの部署を股に掛けたことで、「まるでルパン逮捕のためなら、国境だろうが、関係者以外立ち入り禁止の場所だろうが、意に介さず踏み越えて、乗り込む銭形のとっつぁんのようだ」と噂になっていたらしい。

これは皮肉なのか、褒められているのかは定かではないが…

さて、憧れていた人物ではなかったものの、同じ作品の登場人物ということは、同じ原作者の理念が宿っているキャラクターだと思うので、嫌な気はしない。

のだが、気になることがあった。

「『銭形に似ている』とは、私も随分変わったな…」

・ものが言えなかった子ども時代

子どもの時の私は、信念を貫くためなら、管轄外だろうが構わず乗り込み、場の空気など全く読まない銭形警部とは正反対の性格だった。

よく言えば「上品でお利巧さん」、悪く言えば「度胸がない弱虫」という感じ。

たとえば、小学校の給食では毎日牛乳が出ていたのだが、私は牛乳が嫌いであるにもかかわらず、そのような素振りは一切見せずに毎日飲み干していた。

そのせいで、友達に「牛乳が好きな人」だと思われており、彼の家に遊びに行った時に、わざわざ牛乳を買ってもらい、「実は…」と本音を告白して、迷惑をかけてしまった。

また、鉛筆を借りパクされても本人に抗議するどころか、担任教師に密告も出来ず泣き寝入りしていた。

その件は、数ヶ月後に、たまたま別の同級生に愚痴を言ったことで、「それはちゃんと『返して』って言わなきゃダメだよ!!」と言われて、彼らに抗議してもらい、ようやく返してもらえるという情けない後日談もある。

その他にも、歯医者の銀歯の話や、地域の子ども会からの逃亡については過去に触れた通りである。

当時からおよそ20年経過しているとはいえ、こんな子ども時代から、「銭形警部に似ている」と呼ばれる大人になるなど誰も想像出来なかっただろう。

かくいう、私自身がそうである。

今でも不思議に思うことがある。

「日本は労働者やどんなに劣悪な環境であっても、退職やストライキなどの異議申し立てをしないから、ブラック企業が蔓延している」と言われている。

私もこの説には一理あると思っている。

自分自身がそんな会社で働いたことはあるが、喧嘩することはなくても、速攻で退職するし、そんな会社で文句も言わずに働いている人がいたら、「なんで、そんな理不尽に対して泣き寝入りしているの!?」と言いたくなる。

だが、思い返すと、先ほどの鉛筆のエピソードのように、彼らの姿はかつての私そのものなのだ。

子どもの頃は、周囲の人がはっきりと物を言う人で、自分は言えない人だったのだが、いつの間にか立場が入れ替わった気がする。

「三つ子の魂百まで」という言葉があるが、その言葉は本当なのだろうか?

・学生時代の教師が今の私を見たら…

その他にも、子ども時代とは大きく変わったことがある。

この記事に書いたように、小学生の時の私は、将来の夢について聞かれた時に、同級生が「野球選手になりたい!!」、「芸能人になりたい!!」という中で、「普通のサラリーマン」と答えていた。

これについては、優等生ぶった回答ではなく本心だった。

仕事に生きがいなんていらないから、サラリーマンとして地味ながらも安定して働いて、「今のように休日に友達と楽しく遊べたら…」というのが当時の私の夢だった。

それが今では「正社員には死んでもなりたくない」だからなぁ…

また、子どもの時は国語(特に作文)と英語が大の苦手だったけど、ブログを書いたり、英語を使う仕事に就くことになるのだから、学生時代の教師がそれを知ったら、きっと驚くだろう。

一方で得意科目は社会だったが、今では、自称社会人や正社員宣教師が得意げに語る「社会」という言葉に強烈なアレルギーを持っている。

これまた極端な逆転現象である。

そんな中で、どうしても気になるのが、私が小学生の時の担任教師のS氏のことである。

彼女とは卒業後も何度か顔を合わせることがあったが、もう10年以上会っていない。

彼女のことは、今でも恩師だと思っており、クラス替えで別れることになった際に貰った手紙は、上京時も持参した。

その手紙の文末にはこんなことが書かれていた。

「大人になっても、今と同じく友達思いで、優しい早川君でいてくれたら嬉しい」

今の私は彼女のこの想いを守ることが出来ているのだろうか…

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