先週の金曜ロードショーは「トイ・ストーリー4」が放送された。
私はテレビを持っていないため、視聴することはできなかったが、もしテレビがあったら、絶対に見ていただろう。
今作は賛否両論の声があるようだが、トイ・ストーリーシリーズは好きな映画であり、これまでの作品はすべて見ている。
3作目は前売り券を買って劇場まで見に行ったこともある。
テレビ放送された作品はビデオに録画して何度も見た。
それくらい好きな映画であるが、初めて目にした時のことを思い出すとやや複雑な気持ちになる。
・非常事態の中で
私が初めてトイ・ストーリーを目にしたのは、2000年11月17日で、今から22年前である。(※正確な日付は憶えていなかったが、Wikipediaには地上波で二度目に放送された日として同日が記載されているので、多分その日である)
当時の私は小学生。
その時のことをはっきりと憶えている理由のひとつは、入院中の妹に付き添うために、母親が前日からしばらくの間、家を不在にしていたからである。
実家には父方の祖母も一緒に暮らしていたが、その時はまだ仕事をしていて、遅番の日の帰りは夜10時を過ぎることも多く、母の代わりに家事を担ってくれるとは言えなかった。
ちなみに、父親は全く家事などできない。
というわけで、当時は我が家にとって非常事態だったのだ。
実際に私も、冬服の収納先を知らず、学校で寒い思いをして過ごすことになり、担任教師はもちろん、普段は悪態ばかりつく嫌な同級生からも本気で心配される程だった。
そんな最中、放送していたのがトイ・ストーリーだった。
平時であれば、単に「面白い番組」くらいの感想だったのかもしれないが、色々と疲弊しきっていた当時の私にとってはとてつもなく心が休まり、その後はしばらくの間、録画していたビデオを何度も見ていた。
そして、もうひとつの忘れられない理由は、翌日の出来事にある。
翌18日は第3土曜日であり、2000年当時はまだ半日登校だった。
その日の午後は父親が運転する車で妹が入院している病院にお見舞いへ行った。
夕方になり、いよいよお別れとなった頃、私は家に帰るのが嫌になった。
母親や妹がいない日常に戻りたくなかったからではない。
私が家に帰りたくない理由。
それは、その日の夜に催される地域の懇親会に出たくなかったからである。
そこには、地域の子どもとその家族、そして地元の高齢者が集い、私たち小学生は演劇に参加させられることになった。
当時は引っ越して来て日も浅く、引っ越し前の地域に愛着を持っていた私はその地域に馴染めなかった。
その上、地域のジジババとは遊び場を巡ってよくケンカをする間柄である。
というわけで、そんな連中をもてなすための劇に出ることが、嫌でたまらなかった。
しかし、家族全員が参観する中、自分だけ家に留まることはできないと思い、散々駄々をこねて、病院に泊まり込むつもりだった。
今になって思うと、本当に情けない話である。
会に出たくないなら、親に反対されようが、何食わぬ顔で堂々と参加拒否の姿勢を表明すればいいだけの話だ。
水泳の授業や虫歯治療の話と全く同じで、子どもの頃の私は「それは嫌!!」と言うことができないお利口ぶって優柔不断なガキだった。
しかも、妹が入院、母親は付き添いで不在という非常事態の時に一体何をやっているんだ!?
・何で笑っていられるの?
さて、当たり前だが、病院に泊まり込むことなどできるはずもなく、その日は病院の最寄り駅から電車で数駅離れた所にある母方の祖母の家に泊めてもらうことになった。
早い話が、親公認の家出である。
病院から駅までは父親に車で送ってもらい、電車で移動した後は祖母に迎えに来てもらった。
祖母の家には半年に一度程度は訪れており、これまでも駅まで車で迎えに来てもらうことはあったが、何れも兄弟の誰かと一緒であり、一人で訪れることは初めてだった。
祖母はこれまで通り迎えに来てくれたが、私はこの状況だけに、いつもと同じように無邪気な笑顔で
「久しぶり!! 迎えに来てくれてありがとう!!」
などと言えるはずもなかった。
すでに日も沈んでいる時間だったため、祖母は途中で私のために夕食を買ってくれることになった。
私が選んだのは大好きだったマクドナルドである。
私の地元にはマクドナルドがなく、祖母の家を訪ねる時はいつも楽しみにしていた。
というわけで、今回もその機に乗じて、厚かましくもマクドナルドを頼むことにしたのだが、私が感じたのは「思いがけずにチャンスが舞い込んできてラッキー!」という喜びではなく、「家出してきた上に、こんなことをしていいのか…」という何とも言えない罪悪感だった。
祖母は自分の分を頼むことはなく、向かい側の席に座って、食事中の私を笑いながら見つめていた。
その時の光景と衝撃は今でも憶えている。
私は、なぜ祖母が、こんなにわがままな私のことを笑いながら見ていられるのか理解できなかった。
そして、その笑顔にさらに申し訳ない気持ちが膨らみ、ますます気まずくなった。
「このバカ息子(厳密に言えば孫だが)!!」
「散々迷惑かけておいて、自分だけおいしいものを食べて!!」
と罵倒された方がよっぽど気が楽だった。
その日の私は一段と落ち込んでいた。
威勢よく家出しておきながら、なんという情けなさだろうか。
そんなこともあり、今でもその時のことはハッキリと憶えている。
翌朝、私は祖母が作ってくれた目玉焼きご飯を食べた。
普段は朝から和食を食べることができないが、前日のこともあり、その日は祖母が作ってくれたものは何でも食べようと思っていた。
祖母は農業を営んでおり、仕事が一段落した昼過ぎに、私を車で駅まで送ってくれた。
もちろん、電車の切符代も渡してくれた。
祖母の優しさを実感したためか、私の心は最後まで意気消沈していた。
自宅の最寄り駅から歩いて帰宅した私は、昨日の病院での出来事や懇親会バックレの件もあり、恐る恐る家に入った。
そんな時、リビングのテレビで流れていたのが、一昨日テレビ放映されていたトイ・ストーリーだった。
・祖父母にとって孫とは…
これは私が小学生の頃の出来事である。
あの時は不思議だったが、この歳になって、ハンバーガーを食べる私に祖母が見せた笑顔の意味が少しは分かるようになった気がした。
祖母にとって孫とは、「勉強や運動を頑張るから」とか「人に自慢できるから」というような市場、もしく商品としての価値など一切関係なく、無条件に慈しむ対象であり、見返りがなかったり、損失を被っても、一緒にいてくれるだけで喜ばしかったのだろう。
あくまで、私の推測だが…
他所の家庭であっても、小学生くらいの年代の孫を持つ高齢者はきっと同じ気持ちであり、出来は悪くても、孫が顔を見せてくれたり、元気に生きてくれていたら、それだけで満足なのだろう。
もっとも、そんな成熟した考えに辿り着いたのはごく最近のことだが…
あの時からおよそ20年が経過した2019年も同じような体験をした。
当時の私は短期間で仕事を退職することになり、退職数日前に同じ部署で働く同僚女性から食事に誘われたことがある。
その時の彼女も私が食事を終えるまで、微笑みながら私を見つめていた。
私は大した仕事もできず退職する身だったため、「なんで、そんな人間にこんなにも優しくしてくれるんだろう…」と不思議だったが、今にして思うと、あの人も、あの時の祖母と同じような気持ちだったのかもしれない。
さて、小学生の時はどんなに間が空いても半年に一回のペースで訪れていた祖母の家だが、私が成長するにつれて、その回数は徐々に減少した。
中学生の時、母親や兄弟と一緒にゴールデンウィ―クの日帰り旅行をすることになり、祖母も同行することになった。
帰り道の電車の中、母親が、その日は家に帰らず、祖母の家に泊まると言い出した。
まだ幼かった妹も母親についていくことになり、私も選択を訊ねられた。
私は、翌日に友人と遊ぶ予定があったため、自宅に帰ることを選んだ。
そんな私に対して、祖母は少し残念な顔でこんなことを言った。
「やっぱり、今の時期は友達が一番大事だよね。昔は一人で家(ウチ)に泊まりに来たこともあったけど…」
それを聞いた瞬間、私はまたもトイ・ストーリーのことを思い出した。
あの映画も、子どもが成長して、興味の対象が自分から離れて行ってしまう玩具たちの切ないシーンが度々登場する。
あの時の祖母も成長した私を見て、喜ばしい反面、寂しさも感じていたのかもしれない。
中学生の時はかろうじて、年一回は会っていたが、その後は数年に一度しか顔を出さなくなり、東京で暮らしている今では、もう5年以上会っていないことになる。
昨年、実家に帰省した時に母親から聞いたが、前年祖母は自動車の免許を返納したらしい。
農業を営む家庭でそんなことをして大丈夫なのか心配だったが、もう年齢は90歳近いから無理もないと思う。
絶対に避けたいことだが、もう二度と会えない可能性もある。
今の私は立派とは言えず、顔を合わせた所で、胸を張れたものではないことは重々承知している。
だが、あの時の祖母の笑顔から学んだことは「誰かを無条件に尊うこと」である。
そのことを理解できたというのであれば、今私がやるべきことは「たとえ立派な人生を歩んでいなくても、顔を向けること」ではないのか?
そして、祖母も、あの時と同じように、会えただけで微笑んでくれるかもしれない。
というのは、いささか都合よく考え過ぎだろうか…