「子どもが多感な時期だから一緒に居たい」というけれど…

・田舎で働く介護職員の意外な過去

2ヶ月程前にInterPals40代後半のアメリカ人男性と知り合いになった。

彼は妻と3人の子どもと共に田舎町に住んで、介護の仕事をしている。

介護職に従事しているアメリカ人と出会うのは彼が初めてではない。

かつてこの記事に登場した男性のように、これまでも何度か介護の経験者と出会ったことがある。

日本で「介護職」と聞くと、「給料が低いわりに重労働なため離職率が高い」というイメージを持つ人が少なくない。

それはアメリカも同じようである。

ましてや、彼のように間もなく50代に突入しようという年代の人は、若い頃のように体が動かず、より一層肉体労働が体に響くだろう。

と思っていたが、彼はそんな悲壮感など微塵もないらしい。

彼は今でこそ田舎で慎ましい生活をしているが、5年ほど前まではニューヨークの金融街で働いており、収入もかなりのものだったという。

かつての彼はバリバリのビジネスマンで、今のような生活を送ることになるとは全く想像していなかった。

転機が訪れたのは10年程前のこと。

妻が実母の介護のために地元に帰ることになったのだが、彼一人では子どもの世話をすることが出来ないため、子どもたちも母の地元で暮らすことになった。

それにより、彼は数年間単身で生活していた。

それなりに収入も良かったことから、物価が高いニューヨークで一人暮らしをしつつ、子どもたちの養育費を支払うことにも不自由しなかった。

しかし、長男(長子)が高校卒業を控え、末子も思春期に入ったことから、年頃の子どもを父親不在の生活を送らせたくないと考え、輝かしいキャリアを捨て、妻の地元で暮らす家族と共に過ごすことにした。

これまでの収入も少なくなかったため、アーリーリタイアメントのような状況になり、今は家族との時間を大切にしながら、地元の人々の役に立ちたいという思いから介護の仕事をしている。

それまでのような高収入は望めないが、彼は家族と共に暮らせる今の生活が幸せだという。

・「近くに居たい」ということは…

子どもが多感な時期だから、仕事よりも家族を優先したい」という話はよく耳にする。

私は野球が好きでよく見るのだが、外国人の選手や監督が億を超える年俸を捨ててでも、家族とのゆっくりとした時間を過ごす道を選んだということは度々報じられる。

そこまで極端でないにせよ、これまで仕事一筋だった人が、子どもが思春期を迎えることで、「親としての責任を全うしたい」と考え、それまでの働き方を改めることは珍しくない。

だが、一方で、こんなことも感じる。

思春期の子どもは、それまで以上に、親に近くにいて欲しいと思うのだろうか?

私が中学生くらいの時は親を疎んでいた。

決して嫌っていたわけではないものの、自立心の芽生えというか、親に口出しされたくなかった。

休日は同級生と自分たちだけでいろいろなことをやりたかった。(結局、そうはならなかったのだが…)

これは私だけかもしれないが、親と将来の進路の話をしたことも一度もなかった。

むしろ、思春期だからこそ、親と距離を取りたかった。

もっとも、それ以前から、休みの日はいつも一緒にお出かけする仲良し親子というわけではなかったが…

自分がそんな子ども時代を過ごしていたので、「子どもが多感な時期だから、なるべく一緒に居たい!!」と言われたら、

「もしかして、この人の子どもは学校や警察からしょっちゅう呼び出されるほど荒れているのか!?」

と密かに感じてしまう。

どちらかというと、小学生以前の方が一緒に居てあげた方が良いのでは?

その方が、親子でいろいろと貴重な体験が出来ると思うし、思春期の子どもと同じことをやろうと思っても疎まれてしまうだけな気がする。

もしかして、多感な時期に一緒に居たいというのは、子どもにとって親の存在が重要だからなのではなく、小さい時に一緒にいられなかったことの罪悪感や、大人になる直前の最後の時間を一緒に過ごしたいという親心から来ているのかもしれない。

久しぶりに良い話になるかと思われたが、余計な勘繰りのせいで、話が変な方向に流れてしまった。

もちろん、彼と家族が幸せなら、そのことを外野からどうこうと言う必要はないのだが…

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