日曜の夜よりも、昼間に憂鬱を感じる人の方が危ない気がする

今日は日曜日

もうすぐ、サザエさん症候群を発症してしまう人が少なくないかもしれない()

しかし、私には、うした感覚がない。

「通勤のために満員電車に乗るのは嫌だな~」という気持ちはあるが、「明日が来てほしくない」とまでは悲観していない。

それを聞いて、私が恵まれた環境にいるように感じる人もいるかもしれないが、それが良いことなのかどうか、正直分からない。

そのきっかけは1ヶ月ほど前に電車で耳にした男性たちの会話にある。

・人生の空虚感が身に染みる瞬間

平日の仕事を終えて帰宅中、私はいつものように電車に乗っていた

隣の席に、スーツ姿の男性が二人並んで座っていた。

年齢はおそらく30代半、同じ会社の同僚なのだろう。

仕事帰りの気だるい空気の中で、彼らは会話を交わしていた。

その中のひとりが、ふとこんなことを言った。

「若い頃は日曜の夕方になると明日から仕事かぁ…って、すごい憂鬱だったんだ

「だけど、最近は日曜の昼間の方が憂鬱んだよ」

彼の話によれば、日曜の昼間に街へ出ると、どこに行っても家族連れやカップルで賑わっているという。

彼には族も恋人もおらず、そんな人を見ていると、否応なしに孤独を感じて、こんなことを考えてしまう

「自分は彼らと違って、喜びを分かち合う人相手もいなければ、自身の衰えと引き換えに得られる子どもの成長という楽しみもなく、ただただ惰性で生きている」

そんな気持ちになるのが嫌で、最近は日曜はほとんど外出しないそうだが、一人で家に居ていても、そのことによって、より孤独に苛まれたり、将来のことを悲観するらしく、何をしても居心地の悪さを感じてしまうらしい

そして、日曜の夜になると、翌日の仕事のことを考えて、少し安堵する。

煩わしい日常に戻るが、誰かと繋がったり、必要とされる。

彼にとって週末が終わり、会社へ向かうことは孤独や将来への不安からの救済を意味する。

仕事があることによって、自分の中に生じる空白を一時的にでも埋めることができる。

・病の発症は人生が充実している証

彼の話を聞いた、不思議な感覚に襲われた。

私は「月曜の朝がやって来てホッとする」と感じたことはないが、サザエさん症候群を発症しない。

また、休日は常に一人で過ごしている。

かつて地元にいた頃は、少なからず友人もいた。

ゲームや、プラモデル作りなど一人で楽しめる趣味もそれなりにあった。

しかし、上京してからというもの、周囲に気軽に会える友人もおらず、生活費の工面や住まいのスペースから趣味も手放してしまった。

そして、もちろん未婚で恋人もいない。

当然、休日は一人でダラダラと過ごしている。

これって、彼と全く同じ状況なのではないのか?

それ以来、私も日曜の昼にひとりで過ごす時間が、なんとも言えず落ち着かないものになった。

以前はそんなに気にならなかった街の風景が、どこか刺々しく見えるようになった。

家族連れの笑い声、ベビーカーを押す夫婦、手を繋いで歩くカップル。

どれもが、自分の中にもどかしい空白を浮かび上がらせ、それらが一切ないこれからの自分の人生を悲観させてしまう。

こんな状況に陥っているので、サザエさん症候群にかかっていないことを手放しで喜べないのだ。

休日に大切な人と過ごし、自分の居場所を感じることができるからこそ、「日常」に戻るのが憂鬱になる。

皮肉な話だが、「仕事が嫌だ」とか「明日の仕事のことを思うと憂鬱で仕方ない」と感じている人の方が、人生のある側面においては充実しているのかもしれない。

仕事をすることはしんどい

決められた時間までに会社へ向かい、くだらない社内政治や理不尽な顧客、煩わしい雑務など不快になることで溢れている。

ことが「救い」に感じてしまうのは、やはりどこかがおかしい。

サザエさん症候群。

それは、充実した週末があるからこそ発症する贅沢な憂鬱なのかもしれない。

将来への明るい兆しが見えない人間にとっては、休日に暇を持て余していると、自分がより社会から取り残されたことが身に染みるのである。

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