現在の自宅にはテレビを置いていない。
実家に住んでいた時の私は、テレビがない生活など考えられなかった。
しかし、成り行きでこのような生活を送ることになり、今ではテレビがない生活は完全に板に付いた。
これまで、テレビがないことで明確に困ったと思えたことは、日本シリーズ(プロ野球の日本一決定戦)が見られない時くらいである。
私にとって、テレビという存在はこのまま過去のテクノロジーになると思っていた。
…のだが、最近はテレビが恋しくなってきた。
・どうせ、またすぐに引っ越すから
先ずは、「どのようにテレビがない生活を送ることになったのか」について簡単に説明したい。
住まいも仕事もないまま上京した私は、経済的な基盤が築けるまでの半年ほどシェアハウスに住んでいた。
そこにはテレビがなかった。
最初は少し心細かった。
だが、「今の生活は一時的なものであり、一人暮らしができるまでの辛抱だから」と思って、耐え凌ぐ
幸い、室内では無料のWi-Fiが利用できたため、テレビに代わって主にネット動画を見ることにした。
仕事を見つけるまでは暇な時間も多く、「テレビがあったらなあ…」と思うことも多かったが、仕事を始めてからは多少の忙しさに追われたことで、テレビがない寂しさを感じる余裕もなくなった。
仕事を始めて数ヶ月経つと、アパート探しを始めた。
しかし、家族が遠方に住んでいる派遣社員ということで、入居審査に二度も落ちて、結局は希望していたエリアの隣に住むことになった。
というわけで、一人暮らしこそ開始したものの、その場所に長居するつもりはなかった。
その上、海外生活の希望も完全に断ち切ったわけではなかったため、そこに住むのはせいぜい2年程度のつもりだった。(当時の状況はこの記事でも少し触れている)
「どうせまたすぐに引っ越しをすることになるのだから、極力手持ちの家具は減らそう」
そう考えて、テレビの購入も控えた。
シェアハウスで半年間過ごしたことで、テレビがない生活にすっかりなれたこともあり、テレビがなしの一人暮らしも特に抵抗なく始められた。
・家族がやって来たけど…
そんな生活を数年間続けていたが、冒頭で取り上げたように、最大で年間7試合行われる野球の試合が見られない時以外は特に不自由は感じなかった。
ネット動画を見るだけでなく、ペンパルサイトで知り合った外国人とメールのやり取りをしたり、ブログを書き始めたこともあり、「テレビがなく、誰ともつながっていない気がして寂しい」と感じることもなかった。
その様子が変化したのは、昨秋に実家に住んでいる母親と妹が、住まいを訪れた時である。
その時は私が東京で生活を開始して3年が過ぎていたが、家族がやって来るのは初めてだった。
というより、誰かを家に招き入れることすら、引っ越し直後に、この記事で紹介した台湾人のメル友が上がり込んだ時以来だった。
なお、家族が私の家にやって来た理由は、その頃はコロナの感染が落ち着いてきたため、東京観光にやって来て、そのついでに立ち寄ることになったからである。
元々は家にやって来る予定はなく、ホテルの予約も取っていたが、妹がどうしても行きたいと言ったことで、そうなった。
来訪の時間は夜の8時頃、すでに暗くなった中で道に迷わないよう、私は駅まで迎えに行くことになった。
家に着くと、二人は物珍しそうに部屋を見渡したが、くつろげるような場所は何もない。
二人は休憩がてら、しばらく床に座り込んで、10分ほどで帰った。
二人の考えは分からないが、少なくとも私は、狭い部屋に3人の大人が集まることに妙な居心地の悪さを感じた。
もしも、家にテレビがあれば、二人はもう少しくつろぐことができたかもしれない。
こうして、私と家族の久々の再会は何もせずあっという間に過ぎ去った。
ちなみに、当時やり取りがあった外国の友人にその話をしたところ、一様に
「え、滅多に会えない家族との再会なのに、それだけ!?」
「一緒に食事したりしなかったの!?」
と驚かれた。
彼らにとって、私の家族に対するもてなし方は有り得ないことのようである。
日本の文化に興味があるイラン人女性からは
と褒めているのか、皮肉なのか分からない言葉が返ってきた。
・ウソから出た誠
その出来事以降、私は「本当にこのまま一生、テレビがない生活を送れるのだろうか…」と不安になった。
「一人でいる時はテレビがなくても平気だったが、誰かと一緒にいると、テレビが必要になる」とは何とも不思議な感覚である。
加えて、最近は仕事で疲れていることもあり、テレビが恋しくなってきた。
行為自体はネットの動画でも満たすことができるが、疲れている時にネットで好みの作品を探すことはとても面倒である。
そんな時、テレビだと電源を入れて、適当にチャンネルを合わせて、何も考えずにボーっと見ることができる。
疲れている時は、そのように過ごすことが一番である。
以前、同僚から最近の休日の過ごし方を聞かれた時に、プライベートを隠す目的で「ボーとしながらテレビを見ることですかね」と答えたが、皮肉なことに、そのウソが今の私に最も必要なことになったのかもしれない。
この記事で、過去にテレビ依存症に陥った時の話をした。
精神的に追い込まれ時、テレビの何気ない雑音のおかげで、気持ちが落ち着いた。
もう10年ほど前の話で、今は気持ちで乗り切れると思っていたが、またテレビの助けを借りなければならないのだろうか…
そんなことを考えている。