・同い歳の同僚からの告白
かつて、私は(まあ、いろいろと事情があって)長期の派遣の仕事を2度目の契約が満了した時点で退職したことがある。
私の退職は派遣会社→派遣先のマネージャー→教育担当者と渡って、部署内のミーティングで全員に発表されることになった。
その翌日、私と同じ部署で働いている同い歳の女性に誘われて、一緒に昼食を取ることになったのだが、その席でこんなことを言われた。
・彼女はこれまでその職種(事務)の経験がなく、職場に自分と同じ年齢の人もいなかったため、ずっと不安で心細かった。
・そこに自分と同じ歳の人(=私)がやって来て、とても心強かった。
・実際に悩みを相談するような間柄でなくとも、一緒にいるだけで勇気づけられた。
・私が辞めると聞いてとてもショックだった。
・この仕事が合わないなら、別の部署に移ってでもいいから会社に残ってほしかった。
それを聞いた私はとても驚いた。
自己都合で退職した私が言うのも変な話だが、その職場は間違いを指摘されたら子どものように駄々をこねて決して自分の非を認めないマネージャーのX氏を除いて良い人たちばかりだった。
しかも、彼女はとても仕事ができる人だったため、私には彼女が不安や孤独を感じているようには見えなかった。
そもそも、私と彼女は年齢が同じというだけであって、同じ学校に通っていた同級生(同窓生)だったわけではない。
入社した時期も違う。
子どもの時に育った環境も全然違う。
私は西日本の田舎で、彼女は首都圏の都心で育った。
もちろん、仕事以外のプライベートの付き合いも一切ない。
そのため、言葉にしなくても分かりあえるような共通の経験があるわけではない。
要するに、私たちは年齢以外に共通点が全く見当たらないのである。
実際に、彼女は私と同じ年齢であることは聞いていたが、彼女と同じような気持ちを持ったことなど一度もなかった。
彼女と同時期に入社した人は他に2人いた。
私は彼女が同期入社の人たちと親しくしている様子をよく目にしていた。
だから、彼女はその人たちとの間に絆を感じていると思っていたのだが、実際は「同期入社」の人には感じなかった仲間意識を「同い年」である私に対して感じていた。
「同じ年齢の人」とはそれほど特別な存在なのだろうか?
確かに「年齢が同じ」というのは「学歴(出身校ではない)が同じ」とか「性別が同じ」というような単なる共通点とは違う特別なものがある気がする。
極端な話、最近初めて出会ったばかりの相手でも、まるで「子どもの時からの知り合いであり、昔から同じ学校に通っていた」かのような不思議な絆を感じることがある。
実は私もかつてはそのような考えを持っていた。
小学生の時によく遊んだ友達はほぼ全員が同級生(=同い歳の人)だったし、中学に入れば「先輩ー後輩」の関係が生まれて、学年が違うとまるで別の生き物であるかのように扱われた。
そのような経験から、たとえ同じ学校の同級生でなくとも、同い歳の人は仲間のように特別な存在だと思っていた。
・差別と排斥を生む「絆」など肯定できないと思っていたが…
しかし、その考えは次第に変わっていった。
「同じ年齢である」ことを理由に親近感を持ったり、仲間意識を持ったりすることは結構なのだが、年齢を強く意識するとそこには排斥が生まれることがある。
このブログでも、そのような年齢差別を指摘した記事を書いたことがある。
差別の温床となり得るものを「絆」と呼べるのか?
「年齢」に対する特別な意識が差別を助長するのではないのか?
「年齢」に対する意識が人を傷つけるきっかけとなるのなら、同い歳の人に対する特別な感情も一緒に捨てるべきではないのか…
これが私のたどり着いた答えだった。
それ以来、私は親しくもない相手に対して年齢を聞くことを止めた。
もちろん、職場の同僚に年齢を聞くことも一切しなくなった。
私の生年月日を目にした派遣会社の面談担当者や保険の販売員が(戦略なのか無意識なのかは知らないが)「私も同じ19XX年生まれです」と言って笑顔で親近感アピールをしてきても、「そうですか」と一言答えるだけで、内心はこんなことを思っていた。
このような考えから、有名人の名前を出して「〇〇世代」などと自称して、同じ年齢であることだけを理由に、その人と自分が仲間であるかのように思い込んでいる人はバカだと思っていた。(訂正:今でも思っている)
そんなわけで、同い歳の彼女に対しても「同僚」以外の感情を一切持っていなかったのだが、それでも私は彼女の言葉が嬉しかった。
「力になれず申し訳ない・・・」
私は彼女にこう答えた。
今まで何度もこの言葉を使ったことはあるが、ほとんどはその場を切り抜けるための表面的な言葉に過ぎなかった。
しかし、この時だけは本心からこの言葉が出てきた。
そして、私の中にはある感情が生まれた。
「同い歳のつながり」というのも悪くないかな…
これまでの考えをすべて改めようとまでは思わないが、それ以降、かつて封印したはずの「年齢」に対する特別な感情が再発して、「自分と同じ年齢の人」の存在が気になるようになってしまった。
・外国人は本当に自分と同じ年齢の人のことを何とも思わないのか?
私が年齢に対する特別な意識を捨てた時には、よくこんなことを思っていた。
だが、ペンパルサイトのメールボックスを見ると自分と同じ年齢の人が結構いた。
彼らも日本人と同じように自分と同じ年齢の人には特別な感情を持つのだろうか?
実際に聞いてみよう。
と聞きたいのだが、「同い年」に当たる言葉を見つけ出すことが難しい。
「同級生」の意味であるclass mateは同じ学校に通う人の意味だからニュアンスが違う。
しかし、他に適当な単語が思いつかない。
ここでは単純にpeople who are the same age with youという「ただ自分と同じ歳の人」くらいの意味になってしまった。
次に「特別な気持ち」という単語を考えてみる。
「自分と気持ちを共有できる」というような意味に近いからsympathyを使えばいいのか?
どうも違う気がする。
結局、special feelingという言葉を使うことにした。
この質問をして得られた回答がこちら
・アメリカ人(男性)の意見
「はい。もちろん。あなたと私は年が近いから趣味や仕事の話を共有できると思いました」
・・・彼は「はい」と答えたが、私の言いたいことは十中八九伝わっていないようである。
彼の意見を解釈すると「同じ世代の人を意識することはあっても、同じ歳の人に対して特別な感情は持たない」ように思える。
私は英語ネイティブではないため細かいニュアンスは分からないが、people who are the same age with youという言葉では日本語の「同い年」のような仲間意識を表すことはできないのだろうか…
他の人の意見はこちら
・スペイン人(男性)の意見
「特別な気持ち」と呼べるほどのことではないですが、今は子どもの時と違い、同じ歳の人と会う機会が少ないので、たまたま会った人が自分と同じ年齢だとうれしい気持ちになることはあります。
・タイ人(男性)の意見
はい。育った国は違っても、同じ時代を生きている相手なので、話しやすいと思いました。
・マレーシア人(女性)の意見
はい。私と同じ歳の人は同じグループの仲間(buddy)のように感じます。
同じ歳の人と話すことは楽しいし心地良いです。
この3人は、最初のアメリカ人よりも同い歳の相手に対して特別な感情を持っているように見える。
「外国人は日本人ほど年齢を気にしない」という言説は正しくなく、実は私たちと同じように年齢に特別な意味を感じているのではないのだろうか・・・
だが、彼らのメッセージの中にも日本語の「同い年」に該当する言葉は見つからなかった。
その後もいろいろと調べてはみたが、日本人が持つ同じ歳の人に対する特別な感情を英語で表現することも、それを表す英単語を見つけることはできなかった。
もしかして「同い年」という単語を「onaidoshi」と訳して、この言葉の意味を外国人に教えるべきではないのか?
・・・いや、そうとも言えない。
先ほど触れた2つの記事で紹介したように、年齢に対して強いこだわりを持つことはいい面だけではなく悪い面もある。
だから、外国人に
というような考えを広めることが正しいとも言えない。
私が感じた「同い歳の絆」も自分の胸の中にそっと閉まっておくことにしよう。
・結論
・日本語の「同い年」のように同じ年齢というだけで、出身地も出身校も関係なく仲間意識を表すような英単語は見当たらない。
・しかし、外国人も日本人と同様に自分と同じ歳の人に対して仲間意識を持つ人はいる。